016
路地に残っていたのは、
血の匂いと、崩れた死肉だけだった。
敵の気配は、もうない。
手帳を開く。
8人目の人名を黒く塗り潰す。
そこに特別な感慨はない。
ただの記録だ。
――倒した。
それだけのこと。
手帳を閉じた瞬間、
視界がわずかに揺れた。
体が限界を告げる
連戦。
深い傷。
魔力の枯渇。
立っている理由は、
もはや根性だけだった。
一歩踏み出そうとして、
足の感覚が抜ける。
膝が崩れ、
地面が近づいた。
「クロウさん!」
リリアの声が聞こえた。
振り向こうとしたが、
首すらまともに動かない。
「……大丈夫だ」
そう言ったつもりだった。
だが、声になっていたかは分からない。
視界が暗くなり、
意識が途切れた。
目を開くと、
見慣れない天井があった。
古い木材。
湿った空気。
薬草の匂い。
「……ここは?」
喉が乾いて、声が掠れる。
「スラム街の簡易宿です」
リリアが椅子から立ち上がった。
「正規の宿は断られました。
クロウさんの噂、あまり良くありませんから」
困ったように笑う。
「どれくらい寝ていた」
「十日ほどです。
まだ動かないほうがいいですよ、クロウさん」
体は鉛のように重い。
胸と脚に巻かれた包帯が、
戦いの痕を静かに主張していた。
無理に動かそうとすると、
鈍い痛みが走る。
窓の外には、
崩れかけの家々が見えた。
痩せた子どもたち。
疲れ切った大人たち。
死と隣り合わせの生活。
「……スラムか」
小さく呟く。
「ここなら、あなたを拒む人は少ないです」
リリアは静かに言った。
「アンデッドを追い払ってくれましたから。
“怖い人”だけど、“役に立つ人”だって」
「……そうか」
それ以上、感想は出てこなかった。
嬉しいわけでもない。
嫌なわけでもない。
ただ、
そういう評価にも慣れてしまっている。
目を閉じると、
戦いの光景が浮かぶ。
殺意。
血。
断末魔。
胸の奥が、わずかに軋んだ。
何も感じないわけじゃない。
ただ――
感じる前に、押し潰しているだけだ。
「……まだ終わっていない」
誰に向けたわけでもなく、
静かに呟く。




