第90節:罪と罰:秩序を維持するアルゴリズム
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
年の瀬も迫る中、アークシティの建設は、着実に、そして熱く、進んでおります。
前回、ケイが提示した『アーク憲章』とその核心である「法の下の平等」。そのあまりにも気高い理想は、多様な種族からなる住民たちの心を、確かに一つにしました。
今回は、その理想を、現実の秩序として機能させるための、より具体的な「牙」の部分。すなわち、刑法と、裁判制度について語られます。
理想だけでは、社会は動かない。その、冷徹な現実を、我らがプロジェクトマネージャーは、どう、設計するのでしょうか。
それでは、第四巻の第十七話となる第九十話、お楽しみください。
『法の下の平等』。
その、あまりにも輝かしく、そして、あまりにも気高い理想は、アークシティの住民たちの心に、希望という名の、力強い火を灯した。自分たちは、もはや、生まれや、種族によって、一方的に、虐げられる存在ではない。誰もが、等しく、尊厳を、保障される、『市民』なのだ、と。
その、熱狂的な、高揚感は、数日間にわたって、都市全体を、包み込んでいた。
だが、その、熱狂の、水面下で。
ケイ・フジワラは、独り、冷静に、次なる、そして、最も、困難な、システムの、実装に、取り掛かっていた。
それは、光の、裏側に、必ず、存在する、影の部分。
理想を、理想のまま、終わらせないための、冷徹な、現実主義の、刃。
すなわち、『刑法』と、『司法制度』の、構築だった。
庁舎の、一番、大きな、会議室。
そこに、集められていたのは、全住民ではない。ケイが、信頼する、各部族、各チームの、リーダーたちだけだった。
その、空気は、いつになく、重く、そして、真剣だった。
「――アーク憲章の、基本理念は、理解してもらえたと思う」
ケイは、巨大な、黒板の前に立ち、静かに、切り出した。
「だが、理想を、語るだけでは、秩序は、生まれない。光が、強ければ、強いほど、その、影もまた、濃くなる。……僕たちは、その、影の、部分と、どう、向き合うべきかを、決めなければならない」
彼は、黒板に、大きく、三つの、単語を、書き出した。
『殺人』
『傷害』
『窃盗』
その、あまりにも、直接的で、そして、暴力的な、言葉。
リーダーたちの、顔が、険しくなる。
「憲章は、全ての、市民の、生命、身体、そして、財産を、保障すると、謳っている。だが、もし、その、神聖な、権利を、自らの、欲望のために、侵す者が、現れたとしたら。……僕たちは、その者を、どう、扱うべきか」
その、根源的な、問い。
最初に、口を開いたのは、やはり、ガロウだった。彼の、黄金色の瞳には、狼の、一族に、古くから伝わる、掟の、厳しさが、宿っていた。
「……決まってらあ」
その声は、低く、そして、重かった。
「目には、目を。歯には、歯を、だ。……仲間を、殺した奴は、殺す。仲間を、傷つけた奴は、同じ、傷を、負わせる。仲間から、奪った奴は、全てを、奪い返す。……それが、俺たち、獣の、掟だ」
その、あまりにも、シンプルで、そして、過激な、同害復讐法(タリオの法)。
その、意見に、ドゥーリンもまた、重々しく、頷いた。
「うむ。わしら、ドワーフの、掟も、似たようなものよ。……仕事道具を、盗んだ、不届き者の、両手は、二度と、槌を、握れんように、叩き潰す。……それが、職人の、世界の、けじめ、というものだ」
獣の、掟。職人の、掟。
それらは、それぞれの、共同体を、長年、維持してきた、厳しい、しかし、機能的な、ルールだった。
だが、ケイは、静かに、首を、横に振った。
「……その、やり方は、もう、古い。……いや、間違っている」
その、あまりにも、断定的な、否定の言葉。
ガロウと、ドゥーリンの、顔が、険しくなる。
「なぜだ、大将!」
「フン。小僧の、理想論は、聞き飽きたぞ」
「理想論ではない。合理性の、問題だ」
ケイは、冷静に、反論した。
「考えてもみろ。もし、ドゥーリン殿が、狼獣人の、若者を、殴った、あの事件。あの時、もし、『殴られたら、殴り返す』という、掟が、適用されていたら、どうなっていた?
……狼獣人の若者は、ドゥーリン殿を、殴り返しただろう。それに、怒った、ドゥーリン殿の、弟子たちが、若者を、袋叩きにする。それを見た、狼獣人の、戦士たちが、黙ってはいない。……結果は、どうなる?
……全面的な、種族間、抗争だ。僕たちの、この、都市は、内側から、崩壊する」
その、あまりにも、リアルで、そして、恐ろしい、シミュレーション。
ガロウと、ドゥーリンは、ぐっと、言葉に詰まった。
「復讐は、新たな、復讐しか、生まない。その、負の、無限ループを、断ち切ること。それこそが、『法』の、最も、重要な、役割なんだ」
ケイは、きっぱりと、断言した。
「故に、僕は、提案する。……この、アークシティにおいて、全ての、私的な、復讐を、完全に、禁止する」
その、革命的な、宣言。
リーダーたちの間に、どよめきが、走る。
「では、どうするのだ!
やられ損で、いろと、言うのか!」
「違う」
ケイは、黒板に、新しい、単語を、書き加えた。
『国家による、処罰』。
「罰を、与える、権利。それは、個人が、持つべきものではない。それは、この、アークシティという、『国家』だけが、独占する、神聖な、権利だ。……そして、その、罰の、内容は、個人の、感情や、さじ加減で、決まるものではない。あらかじめ、定められた、法典に、基づいて、公平に、そして、機械的に、執行される」
彼は、黒板に、具体的な、罰則の、草案を、書き出していく。
『殺人罪:都市からの、永久追放、または、終身、鉱山労働の刑』
『傷害罪:被害の、程度に応じて、一年から、十年以下の、労働の刑』
『窃盗罪:盗んだ、物の、価値に応じて、三ヶ月から、五年以下の、労働の刑』
そこには、「死刑」の、文字は、なかった。
「……なぜだ、大将」
ガロウが、静かに、問いかけた。
「なぜ、殺した奴を、殺さない。……それでは、死んだ、仲間が、浮かばれない」
「僕も、個人的な、感情で言えば、君と、同じだ」
ケイは、静かに、認めた。
「だが、僕は、この都市の、リーダーだ。僕の、判断基準は、感情であっては、ならない。常に、合理性で、あるべきだ。……そして、合理的に、考えれば、『死刑』は、最も、非効率的な、罰だ」
「……非効率、だと……?」
「そうだ。人を、一人、殺せば、この都市は、一人分の、貴重な、労働力を、失う。だが、その、犯人を、死刑にすれば、さらに、もう一人分の、労働力を、失うことになる。……合計、二人分の、損失だ。……だが、もし、その犯人を、終身、鉱山労働の刑に処せば、どうなる?
……彼は、生きている限り、自らの、罪を、償うために、この都市のために、働き続けることになる。……どちらが、この都市にとって、より、有益か。……答えは、明白だろう?」
その、あまりにも、冷徹で、そして、あまりにも、功利主義的な、思考。
ガロウたちは、もはや、反論の、言葉さえ、見つけられなかった。
目の前の、少年は、人の、命さえも、一つの、『リソース』として、計算しているのだ。
その、事実に、彼らは、ある種の、恐怖さえ、感じていた。
「そして、最も、重要なのが、『誰が、裁くのか』だ」
ケイは、最後の、そして、最も、核心的な、テーマへと、話を、移した。
「先日の、理念説明でも、話した通り、法を、裁くのは、独立した、『司法』の、役割だ。……だが、その、初代の、裁判官を、どう、選ぶか。……これこそが、僕たちの、法治国家の、最初の、そして、最も、重要な、試金石となる」
彼は、そこで、一度、言葉を切った。
そして、その場の、全ての、リーダーたちの、顔を、見渡しながら、静かに、言った。
「僕が、提案するのは、『陪審員制度』だ」
「……ばいしんいん?」
「ああ。罪を、犯したと、疑われる者が、現れた時。その者を、裁くのは、一人の、偉い、裁判官ではない。……その、裁判を、見届けるために、この都市の、全ての、市民の中から、無作為に、選ばれた、十二人の、『陪審員』たちだ。……彼らが、全ての、証拠を、見聞きし、そして、議論を尽くし、その、被告人が、『有罪』か、『無罪』かを、全員、一致で、決定する。……裁判官は、その、決定に、従い、法典に、定められた、刑罰を、言い渡すだけだ」
市民が、市民を、裁く。
その、あまりにも、民主的で、そして、あまりにも、先進的な、システム。
それは、ケイが、この、多種族共栄都市のために、考え抜いた、最適解だった。
特定の、種族や、権力者に、司法が、独占されるのを、防ぐ。
そして、何よりも、全ての、市民に、「法とは、自分たちが、作り、そして、自分たちが、運用していくものなのだ」という、当事者意識を、持たせるための、最高の、教育システム。
「……それが、僕が、起草した、『アーク憲章』の、第二部、『刑法』と、『司法制度』の、骨子だ」
ケイは、静かに、語り終えた。
会議室は、水を打ったように、静まり返っていた。
リーダーたちは、今、自分たちの、脳が、新しい、情報の、奔流に、焼き切れそうになるのを、感じていた。
復讐の、否定。功利主義的な、刑罰。そして、市民参加の、裁判制度。
その、どれもが、彼らの、常識を、根底から、覆す、ものだった。
だが、その、どれもが、不思議なほどの、説得力と、そして、抗い難いほどの、合理性の、輝きを、放っていた。
彼らは、まだ、気づいていない。
自分たちが、今、参加している、この、会議が、単なる、村の、寄り合いでは、ないことを。
それは、一つの、新しい、国家の、根幹を、定める、歴史的な、『制憲議会』、そのものなのだということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
アークシティの、秩序を、維持するための、具体的な、アルゴリズム。
ケイが、提示したのは、復讐の否定と、そして、『陪審員制度』という、あまりにも、先進的な、司法システムでした。
彼の、冷徹なまでの、合理性と、その、奥にある、深い、人間不信(性悪説)に、基づいた、システム設計。
その、一端が、垣間見えた、回だったかもしれません。
さて、法典の、骨子は、示されました。
次回は、この、あまりにも、革新的な、法案を、住民たちが、どう、受け止めるのか。
各部族の、リーダーたちによる、議論と、対立。そして、ケイの、粘り強い、説得が、描かれます。
「面白い!」「陪審員制度、すごい!」「ケイの、合理性、徹底してる!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、アーク憲章の、次なる、条文を、刻む、力となります!
次回もどうぞ、お楽しみに。




