第9節:移行フェーズ:拠点サーバーの移設
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前回、ナイトクローラーの襲撃を辛くも退けたケイとルナリア。しかし、その戦いはケイに「個人の限界」を痛感させる結果となりました。
生き残るため、そして「穏やかな人生」という目標を達成するため、彼は一つの決断を下します。
物語が新たなフェーズへと移行する第九話、どうぞお楽しみください。
ナイトクローラーとの死闘から一夜が明けた。
洞窟の中には、まだ微かに血と魔物の体液の匂いが残っている。ケイとルナリアは、夜明けと共に、後片付けに追われていた。麻痺して動けなくなったナイトクローラーの死骸は、解体して食料になる部位と、素材として使えそうな外骨格や爪に分け、残りは森の奥深くに埋めて他の魔物を誘き寄せないように処理した。全ては、ケイの《アナライズ》による詳細な分析結果に基づいた、合理的な作業だった。
作業を黙々とこなしながらも、ケイの頭脳は昨夜の戦闘データを繰り返し再生し、分析を続けていた。
勝てた。それは事実だ。だが、その勝利はあまりにも多くの偶然に支えられていた。もし、敵の弱点が光でなかったら? もし、ルナリアの持つ毒が効かなかったら? もし、敵の数が倍だったら?
シミュレーションを繰り返すたびに、導き出される結論は同じだった。
――詰みだ。
(……現状のままでは、いずれ破綻する)
この洞窟は、一時的なシェルターとしては優秀だ。だが、恒久的な拠点としては脆弱すぎる。食料は、ルナリアの知識とケイの探索能力をもってしても、日々の採取に頼るしかない。安定供給の目処は立っていない。防衛に関しても、昨夜のような場当たり的なトラップでは、より強力な魔物や、大規模な群れには対応できない。
これは、前世で何度も経験した状況によく似ていた。
小手先のパッチワークで、なんとか凌いでいるだけのレガシーシステム。根本的な設計に問題があるため、いつ、どこで、どんな致命的な障害が発生してもおかしくない。
このままでは、いずれサービスは停止する。すなわち、死ぬ。
「ルナリア」
作業の手を止め、ケイは静かに切り出した。
ルナリアは、ナイトクローラーの爪を薬研で砕きながら、真紅の瞳を彼に向ける。その瞳には、まだ昨夜の緊張の色が残っていた。
「ここを出よう」
「……え?」
ルナリアの手が、ぴたりと止まる。彼女の長い兎耳が、不安そうに揺れた。
「出るって……どこへ? ここは、安全なのに」
「安全じゃない。正確には、『一時的に安全が確保されている』に過ぎない。昨夜の襲撃で、この場所の安全性というパラメータは、大幅に下方修正された」
ケイは、かまどの火を見つめながら、淡々と分析結果を告げる。
「僕たちの現状をシステムに喩えるなら、リソースは二人分。外部からの攻撃に対する防御力は極めて低い。このままでは、より大規模な攻撃……例えば、昨夜の倍の数のナイトクローラーや、さらに上位の魔物が現れた場合、僕たちは確実に対応できない」
「…………」
ルナリアは、反論できなかった。昨夜の恐怖が、ケイの言葉に現実味を与えていた。
「僕が目指すのは、『穏やかな人生』だ。それは、常に外部の脅威に怯え、日々の食料にさえ苦労するような生活ではない。そのためには、もっと強固なシステムが必要だ」
「強固な、システム……?」
「ああ。十分な人員と、安定した生活基盤、そして、外部の脅威を確実に排除できる防衛機構。それら全てを統合した、一つの共同体。……いや、組織だ」
ケイの青い瞳に、強い光が宿る。それは、ただ生き延びるためだけの光ではなかった。明確な目的を持った、設計者の光だった。
「この森のどこかに、君以外の亜人がいるはずだ。君の話では、多くの亜人は人間から逃れ、この『見捨てられた土地』で暮らしているのだろう?」
「……そう、だけど。みんな、バラバラに、隠れるように暮らしている。人間だけでなく、魔物も、同族以外の亜人も、信用していないから」
ルナリアの声には、諦めの色が滲んでいた。それが、この土地の現実なのだろう。誰もが、他者を信じられず、孤独の中で生きている。
「だからこそ、作るんだ。誰もが安心して暮らせる場所を。僕のスキルと、君の知識があれば、それは可能だ。だが、僕たち二人だけでは、あまりにも非効率的すぎる。マンパワーが、絶対的に不足している」
前世のプロジェクトマネージャーのような口調で、ケイは断言した。
「だから、探しに行こう。僕たちの仲間を。このプロジェクトの、最初のメンバーを」
ルナリアは、しばらく黙り込んでいた。彼女の真紅の瞳が、揺れている。
この洞窟は、彼女にとって、家族を失ってから初めて得た、安息の場所だった。ここを出て、再び危険な森を彷徨うことへの恐怖は、計り知れない。
だが、同時に、目の前の少年の言葉には、抗いがたい説得力があった。彼の言葉は、常に論理的で、そして、その先にある未来を見据えている。
何より、昨夜、彼は自分を、そしてこの場所を守ってくれた。
「……わかった。貴方の言う通りにする」
やがて、彼女は小さな声で、しかしはっきりと頷いた。
「ただし、一つだけ条件がある」
「なんだ?」
「無茶はしないこと。貴方の言う『合理的判断』で、危険すぎると判断したら、すぐに引き返すこと。いい?」
「……了解した。その条件を、プロジェクトの基本仕様に組み込もう」
ケイは、真面目な顔でそう答えた。そのやり取りに、ルナリアの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
方針は決まった。
二人は、その日から旅の準備を始めた。
ケイは《クリエイト・マテリアル》を駆使し、サバイバルに必要な道具を次々と生成していく。
硬質の黒曜石を《アナライズ》し、その分子構造を元に、切れ味の鋭いナイフを二振り。
強靭な蔓の繊維情報を元に、細く、しかし決して切れない頑丈なロープを数本。
特殊な植物の葉と、動物の皮の情報を組み合わせて、軽くて丈夫な防水性のマントと、水を運ぶための水筒を二つずつ。
彼のスキルは、まるで万能の3Dプリンターのように、必要なものを次々と形にしていった。
一方、ルナリアは、薬師としての知識を最大限に活用した。
洞窟の周辺を巡り、携帯可能な薬草を大量に採取する。傷薬になるもの、解毒作用のあるもの、滋養強壮に効くもの。それらを、種類ごとに丁寧に布で包んでいく。
さらに、食べられる木の実や根菜を見つけては、保存食を作る。干したり、燻したり。それは、彼女の一族に古くから伝わる、生きるための知恵だった。
数日後、二人の準備は整った。
洞窟は、もはやただの岩穴ではなく、彼らの知恵と技術が詰まった、小さな秘密基地のようになっていた。
出発の朝、二人は最後に、自分たちが作り上げた浄水器や、かまどを見つめた。
「……少し、名残惜しいな」
ケイが、ぽつりと呟いた。
「……そうね」
ルナ"リアも、静かに頷いた。
短い間だったが、ここは確かに、二人が初めて協力し、共に困難を乗り越えた、始まりの場所だった。
彼らは、その始まりの場所に背を向け、未知なる森へと足を踏み出した。
ケイは、常に《アナライズ》を起動させ、周囲の警戒を怠らない。ルナリアは、彼の少し後ろを歩きながら、植物の分布や、動物の痕跡から、この先の環境を予測する。
二人の連携は、数日間の共同生活で、驚くほどスムーズになっていた。
旅を始めて、二日目の昼過ぎだった。
森の様相が、少し変わってきたことに、ケイは気づいた。これまで鬱蒼と茂っていた木々が、少し開け、風通しが良くなっている。
その時、彼の《アナライズ》が、微弱な、しかし見過ごせない異常を検知した。
警告:前方エリアに、非自然的な痕跡を多数検出。
「ルナリア、止まれ」
ケイは、静かにルナリアを手で制し、身を屈めた。
「どうしたの?」
「……何かある」
彼は、茂みに身を隠しながら、ゆっくりと前方へと進む。
やがて、視界が開けた。
そこは、かつて誰かが野営をしていた場所のようだった。焚き火の跡が、まだ生々しく残っている。
だが、その光景は、あまりにも異様だった。
荷物が、乱雑に散らばっている。破れた布、割れた壺、そして、食べかけのまま放置された、干し肉。
地面には、争ったような跡。深くえぐられた土、引きずられたような痕跡。
そして、そこかしこに、黒ずんだ染みが点在していた。
血の跡だ。
ルナリアは、その光景を見た瞬間、息を呑み、顔を青ざめさせた。彼女の鼻が、微かな匂いを嗅ぎつけていた。
「……血の匂い。それと……鉄の匂い」
ケイは、無言で、その場所に《アナライズ》を実行した。
彼の視界に、無慈悲なデータが表示される。
▼ 現場情報分析結果
┣ 痕跡①:血液反応(複数)。DNA情報から、亜人種(狼獣人族、猫獣人族)のものと推定。
┣ 痕跡②:足跡(多数)。亜人種のものに加え、複数の人間(成人男性)のものを検出。後者は、靴底に鉄製の鋲が打たれた、軍靴に類似する形状。
┣ 痕跡③:遺留物。破損した矢(人間が使用する様式)、鉄製の枷の破片(奴隷拘束用)。
┣ 状況推定:
┃ ┗ 当該地点にて、複数の亜人が、武装した人間の集団による襲撃を受けたと断定。
┃ ┗ 抵抗の痕跡が見られるが、最終的に制圧され、連行された可能性:97.8%。
┃ ┗ 推定発生時刻:約48時間前。
┗ 結論:人間族による、亜人の奴隷狩りが行われた可能性が極めて高い。
「……奴隷狩り」
ケイの口から、凍るような声が漏れた。
前世の知識として知ってはいた。ファンタジーの世界には、そういった非人道的な行為が存在することを。
だが、こうして、その生々しい痕跡を目の当たりにすると、それは知識ではなく、冷たい現実として、彼の胸に突き刺さった。
隣で、ルナリアが小さく震えているのが分かった。彼女の真紅の瞳には、恐怖と、そして深い憎しみの色が浮かんでいた。彼女は、あるいは、これと似た光景を、過去に何度も見てきたのかもしれない。
理不尽な暴力。
一方的な搾取。
それは、ケイが前世で最も嫌悪し、そして、この世界で最も避けたいと願ったものだった。
だが、この世界では、それは日常として、当たり前のように存在している。
(……穏やかな人生、か)
彼は、自嘲気味に心の中で呟いた。
そんなものは、この世界のどこを探しても、存在しないのかもしれない。
ただ、隠れて、怯えて、やり過ごすだけでは、いつか必ず、この理不尽な暴力に飲み込まれる。
ならば――。
(……作るしかない。そんな場所が存在しないのなら、僕が、この手で)
彼の青い瞳の奥で、冷たい炎が燃え上がった。
それは、怒りであり、決意だった。
彼は、震えるルナリアの肩を、そっと、しかし力強く抱いた。
それは、慰めであると同時に、無言の誓いでもあった。
この世界の理不尽を、必ず修正してみせる、と。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、この世界の厳しい現実が描かれました。ケイとルナリアが目指す「穏やかな人生」は、決して平坦な道のりではなさそうです。
この理不尽な世界で、二人はどう生き抜いていくのか。そして、仲間を見つけることはできるのか。
物語の核心に触れる、重要な転換点となりました。
「面白い!」「二人の旅路を応援したい!」と思っていただけましたら、
ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、彼らの道を照らす光となります。
次回、遠くに見える一つの希望。それは、救いか、それとも新たな絶望か
本日21時半頃投稿予定です