第87節: 法という名のシステム
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
皆様の温かい応援が、日々、アークシティの礎を、築いております。
前回、ついに、都市の急成長がもたらす歪みが、暴力という、最悪の形で、噴出しました。
その、共同体の、根幹を揺るがしかねない、重大な、インシデントに対し、我らがリーダー、ケイ・フジワラは、『法』という、新しい、システムの、導入を、決断します。
今回は、その、『法』とは、一体、何なのか。ケイの、口から、語られる、統治の、理想。
物語の、大きな、転換点となります。
それでは、第四巻の第十四話となる第八十七話、お楽しみください。
法。
その、たった一文字が、アークシティの中央広場を、支配していた。
それは、この土地に生きる、ほとんどの者にとって、聞き慣れない、そして、どこか、冷たい、響きを持つ、言葉だった。
彼らが、知っている、ルールとは、強者の、気まぐれ。あるいは、古くから、伝わるだけの、曖昧な、慣習。
だが、ケイが、今、口にした、その、『法』という、言葉には、それらとは、全く、異質の、揺るぎない、絶対的な、重みが、感じられた。
広場は、静まり返っていた。
誰もが、固唾を飲んで、彼らの、小さな、しかし、偉大な、リーダーの、次の、言葉を、待っていた。
暴力沙汰を、起こした、当事者である、ドゥーリンと、狼獣人の若者でさえも、自らの、痛みや、怒りを忘れ、その、荘厳な、空気の、中に、ただ、立ち尽くしている。
ケイは、その、二百人を超える、魂の、視線を、一身に、受け止めながら、静かに、語り始めた。
その声は、もはや、十歳の、少年の、ものではなかった。
それは、一つの、新しい、国家の、理念を、その、民に、説く、立法者の、声だった。
「――君たちは、『法』と聞いて、何を、想像する?」
唐突な、問いかけ。
住民たちは、顔を、見合わせた。
「……俺たちを、縛る、面倒な、決まり事、とかか?」
誰かが、ぽつりと、呟いた。
その、素朴な、感想に、他の、何人かも、頷いた。
「半分、正解だ」
ケイは、意外にも、その、意見を、肯定した。
「そうだ。法は、君たちを、縛る。だが、それは、君たちを、苦しめるためではない。君たちを、『守る』ために、縛るんだ」
彼は、先ほど、殴られた、狼獣人の若者を、指さした。
「例えば、だ。ここに、『何人も、理由なく、他者を、殴ってはならない』という、法が、あったとしよう。その法は、ドゥーリン殿の、『怒りに任せて、相手を殴る』という、自由を、確かに、奪う。……だが、その、代わりに」
彼は、若者を、指さしたまま、続けた。
「その法は、彼の、『理由なく、他者から、殴られない』という、権利を、守ることになる。……分かるか?
法とは、全ての、市民の、自由を、少しずつ、制限し合うことで、全ての、市民の、より、大きな、安全と、平等を、保障するための、『社会契約』なんだ」
社会契約。
その、あまりにも、高度な、概念。
住民たちは、まだ、その、本当の、意味を、理解できてはいなかった。
だが、彼が、言わんとしている、その、本質は、彼らの、心に、確かに、届いていた。
自分だけが、我慢するのではない。誰もが、等しく、我慢する。その、代わりに、誰もが、等しく、守られる。
その、あまりにも、公平な、考え方。
「だが、大将」
その、静寂を、破ったのは、ガロウだった。彼は、腕を組み、その、黄金色の瞳に、鋭い、疑問の光を、宿していた。
「その、『法』とやらを、誰が、決めるんだ?
そして、誰が、それを、裁くんだ?
もし、法を決める奴が、自分に、都合のいい、法ばかりを、作り、法を裁く奴が、自分に、甘い、裁きばかりを、下したとしたら。……それは、結局、そいつが、王様になるのと、何も、変わらねえんじゃねえか?」
その、あまりにも、鋭く、そして、本質的な、指摘。
それは、人類の、統治の歴史が、常に、直面してきた、最も、根源的な、問いだった。
絶対的な、権力は、必ず、腐敗する。
その、問いに、答えられなければ、ケイの、理想もまた、ただの、絵に描いた餅で、終わるだろう。
広場の、視線が、再び、ケイへと、集中する。
その、重圧を、前にして、ケイは、静かに、そして、誇らしげに、微笑んだ。
「……素晴らしい、質問だ、ガロウ。……それこそが、僕が、これから、君たちと、共に、創り上げようとしている、新しい、システムの、最も、美しい、核心部分だ」
彼は、庁舎の、壁を、背に、地面に、三つの、巨大な、円を、描いた。
そして、その、円の、一つ一つに、文字を、書き込んでいく。
一つは、『立法』。
一つは、『行政』。
そして、最後の一つは、『司法』。
「僕たちが、創る、国家には、王は、いない」
ケイは、きっぱりと、断言した。
「代わりに、三つの、独立した、『権力』が、存在する。……これを、『三権分立』と、呼ぶ」
彼は、まず、『立法』の円を、指さした。
「第一の、権力。それは、『法を、創る』力だ。だが、その力は、僕、一人が、独占するのではない。それは、この、都市に住む、全ての、種族から、選挙によって、選ばれた、代表者たちによる、『議会』が、担う。……狼獣人族の、代表。ドワーフ族の、代表。兎人族の、代表。猫獣人族の、代表。……全ての、種族の、声が、そこに、集まり、議論を尽くし、そして、全ての、民が、納得できる、公平な、法を、創り上げていくんだ」
次に、彼は、『行政』の円を、指さした。
「第二の、権力。それは、『法を、執行する』力だ。創られた、法に、基づいて、この都市を、実際に、運営していく。インフラを、整備し、税を、集め、そして、民の、安全を、守る。……これは、僕を、筆頭とする、各部門の、責任者たちが、担う。……だが、僕たちは、決して、法を、超えることはできない。僕たちの、全ての、行動は、議会が、定めた、法の、範囲内でのみ、許される」
そして、最後に、彼は、『司法』の円を、指さした。
「そして、第三の、そして、最も、神聖な、権力。それが、『法で、裁く』力だ」
彼の、視線が、ドゥーリンと、狼獣人の若者を、射抜いた。
「今日のような、事件が、起きた時。法を、破った者が、現れた時。その者を、誰が、裁くのか。……それは、僕ではない。ガロウでもない。……それは、この、司法権を、担うために、特別に、選ばれた、独立した、『裁判官』たちだ。……彼らは、立法にも、行政にも、属さない。ただ、ひたすらに、法と、証拠にのみ、基づいて、公平な、裁きを、下す。……たとえ、裁かれる相手が、僕であろうと、ガロウであろうと、ドゥーリン殿であろうと、その、裁きは、等しく、下される」
法を、創る者。
法を、執行する者。
法で、裁く者。
その、三つの、権力が、互いに、監視し合い、抑制し合うことで、一つの、権力が、暴走するのを、防ぐ。
『チェック・アンド・バランス』。
その、あまりにも、洗練された、権力の、分散システム。
広場は、水を打ったように、静まり返っていた。
彼らは、今、人類が、数千年の、歴史の中で、ようやく、生み出した、統治システムの、最高傑作の、一端を、目の当たりにしていたのだ。
それは、彼らの、素朴な、知性では、まだ、完全には、理解できない、概念だったかもしれない。
だが、その、根底に、流れる、思想は、痛いほど、伝わってきた。
――誰か、一人が、支配するのではない。
――誰もが、等しく、法の下に、ある。
その、あまりにも、公平で、そして、あまりにも、力強い、理想。
「……信頼や、善意だけに、頼る統治は、組織が、大きくなるほど、機能しなくなる」
ケイは、静かに、そして、自らの、過去の、失敗を、悔いるかのように、語り始めた。
「前世で、僕は、何度も、その、失敗を、見てきた。優秀な、仲間たちが、互いの、善意を、信じ、そして、裏切られ、傷つけ合い、そして、全てが、崩壊していく、その、悲劇を」
彼の、脳裏に、デスマーチの、果てに、互いを、罵り合う、かつての、同僚たちの、疲れ切った、顔が、浮かび上がる。
「だから、僕は、もう、間違えたくない。……僕たちが、創る、この、理想郷を、そんな、曖昧で、脆い、砂の、土台の上に、築きたくはないんだ」
彼は、集まった、全ての、仲間たちの、顔を、見渡した。
その、青い瞳には、深い、深い、決意の光が、宿っていた。
「僕たちが、必要なのは、個人の、善意に、期待する、性善説でも、個人の、悪意を、疑う、性悪説でもない。僕たちが、必要なのは、人が、善人であろうと、悪人であろうと、システムとして、正しく、機能する、強固な、仕組みだ。……僕たちは、人を、信じるのではない。僕たちが、創り上げた、『法』という名の、システムを、信じるんだ」
その、魂からの、宣言。
それは、この、アークシティという、共同体が、単なる、理想主義者の、夢物語から、一つの、現実的な、そして、持続可能な、「国家」へと、その、第一歩を、踏み出すことを、告げる、力強い、鐘の音だった。
広場の、静寂は、まだ、破られていない。
だが、その、静寂の、中で。
二百人を超える、魂たちが、今、確かに、一つの、同じ、未来を、見つめていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
『法』という、新しい、OSの、導入。
その、核心となる、グランドデザイン、『三権分立』。
ケイの、口から、語られた、その、あまりにも、洗練された、統治の、理想は、住民たちの、心を、強く、打ちました。
人治から、法治へ。
アークシティは、今、真の、近代国家への、道を、歩み始めようとしています。
さて、理想は、語られました。
次回は、いよいよ、その、理想を、現実の、形にする、最初の、一歩。
ケイが、その、頭脳の、全てを、注ぎ込み、この、異世界、初の、基本法典の、起草に、取り掛かります。
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次回もどうぞ、お楽しみに。




