第84節: 衛生という名の免疫システム
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
皆様の温かい応援に、心より感謝申し上げます。メリークリスマス・イブ!
前回、アークシティは、水車という、新しい心臓を手に入れ、産業革命の、第一歩を踏み出しました。生産性は、爆発的に向上し、都市の未来は、輝かしいものに見えました。
しかし、輝かしい、光の、裏には、必ず、濃い、影が、生まれるもの。
今回は、その、影の、物語。
都市の、急激な成長が、もたらす、見えざる、脅威。
その、脅威に、我らが、ヒロイン、ルナリアが、立ち向かいます。
それでは、第四巻の第十一話となる第八十四話、お楽しみください。
アークシティは、熱狂に、包まれていた。
水車がもたらした、圧倒的な、動力。それは、住民たちの、労働の、概念を、根底から、覆した。これまで、苦役でしかなかった、製材や、製粉が、今や、ボタン一つで、自動的に、行われる。人々は、その、浮いた、時間を、新しい、技術の、習得や、あるいは、家族と、過ごす、豊かな、時間へと、充てることが、できるようになった。
誰もが、この、輝かしい、発展が、永遠に、続くと、信じていた。
だが、その、熱狂の、中心から、少し、離れた場所で。
一人、その、喧騒の、裏側に、静かに、広がりつつある、影を、見つめている、少女がいた。
ルナリア・シルヴァームーン。
アークシティの、保健衛生局、初代局長。
彼女は、薬師として、この、都市の、全ての、住民の、「生命」を、預かる、責任者だった。
彼女は、ここ数週間、ずっと、胸の中に、一つの、大きな、懸念を、抱えていた。
それは、彼女の、薬草工房兼、診療所を、訪れる、患者たちの、カルテ(ケイに教わって、導入した、羊皮紙の、記録だ)の中に、現れていた、微細な、しかし、決して、無視できない、変化だった。
原因不明の、腹痛を、訴える、子供。
なかなか、治らない、皮膚の、湿疹に、悩む、老婆。
軽微だが、確実に、その、症例数は、増えていた。
彼女は、自らの、足で、調査を、始めた。
薬師としての、鋭敏な、五感と、そして、ケイから学んだ、論理的な、原因究明の、手法を、武器に。
そして、彼女が、たどり着いた、結論は、あまりにも、明白で、そして、恐ろしいものだった。
その日の、夕暮れ。
ケイの、執務室の扉が、ノックも、なしに、勢いよく、開かれた。
「ケイ!」
そこに、立っていたのは、血相を変えた、ルナリアだった。その、美しい、真紅の瞳には、焦りと、そして、かすかな、怒りの色さえ、浮かんでいる。
「……どうした、ルナリア。そんなに、慌てて」
ケイは、机の上の、都市計画の、図面から、顔を上げ、驚いたように、問い返した。
「……これを見てください!」
ルナリアは、そう言うと、机の上に、二つの、ガラス瓶を、叩きつけるように、置いた。
一つは、上水道から、汲んできた、清らかな、透明な水。
もう一つは、彼女が、住民たちの、生活排水が、流れ込む、小川の、下流から、汲んできた、どす黒く、濁った、水だった。
「ケイ。……私たちは、とんでもない、間違いを、犯しています」
彼女の、声は、震えていた。
「私たちは、都市の、血管と、神経は、作りました。……ですが、身体の、老廃物を、排出し、病原菌と、戦う、『免疫システム』を、作るのを、忘れていたんです!」
彼女は、一気に、まくし立てた。
急激な、人口増加。それに、伴う、ゴミの、急増。
分別も、されずに、村の、片隅に、山と積まれた、生ゴミの、山からは、既に、異臭が、立ち上り始めている。
そして、何よりも、深刻なのが、生活排水だった。
二百人を超える、住民たちが、毎日、垂れ流す、汚水。それは、かつては、自浄作用で、清らかさを、保っていた、小川の、キャパシティを、遥かに、超えていた。
川は、死にかけていた。そして、その、死んだ川が、今、目に見えない、病の、温床と、なっているのだ、と。
「このままでは、ダメです!
このままでは、次の、夏が、来る前に、この都市で、大規模な、疫病が、発生します!
そうなれば、私が、どれだけ、優れた薬を、作っても、追いつかない!
多くの、命が、失われます!」
その、魂の、叫び。
それは、一人の、薬師としての、そして、この都市の、住民の、命を預かる、責任者としての、悲痛な、警告だった。
ケイは、黙って、彼女の、その、あまりにも、的確で、そして、情熱的な、プレゼンテーションを、聞いていた。
そして、彼が、感じていたのは、驚きや、焦りではなかった。
それは、深い、深い、安堵と、そして、誇らしさだった。
(……素晴らしい)
彼は、内心で、静かに、呟いた。
(……彼女は、もう、僕の、指示を待つだけの、少女ではない。自らの、専門分野において、自らの、意志で、問題を発見し、分析し、そして、解決策を、提言できる、真の、『リーダー』へと、成長してくれた)
ケイの、脳内で、プロジェクトの、一つの、タスクが、完了の、チェックマークを、つけられる。
『タスク:ルナリアの、リーダーシップ能力の、育成』
『ステータス:完了』
「……すまなかった、ルナリア」
ケイは、静かに、立ち上がると、彼女の前に、進み出た。
そして、その、小さな、リーダーの、その、激しい、情熱を、受け止めるように、深々と、頭を、下げた。
「……君の、言う通りだ。僕は、生産性の、向上という、目先の、成果に、目を奪われ、最も、重要な、リスク管理を、怠っていた。……プロジェクトマネージャーとして、失格だ。……君の、その、的確な、アラートに、心から、感謝する」
その、あまりにも、真摯な、謝罪。
ルナリアの、肩から、すっと、力が抜けた。
彼女は、別に、ケイを、責めたかったわけでは、ない。
ただ、この、村を、仲間たちを、守りたかっただけなのだ。
「……では、どうすれば……」
「もちろん、対策は、ある」
ケイは、きっぱりと、言った。
「いや、正確に言えば、元々の、グランドデザインに、組み込まれていた、プランを、前倒しで、実行するだけだ」
彼は、ルナリアを、執務室の、巨大な、都市計画図の、前へと、導いた。
そして、彼は、都市の、東側の、外れを、指さした。
「――ここに、『ゴミ処理場』を、建設する」
彼は、その、驚くべき、システムの、全貌を、語り始めた。
村から、排出される、全ての、ゴミを、一箇所に、集約する。
そして、それを、燃えるゴミと、燃えないゴミに、分別する。
燃えるゴミは、新しく、建設する、専用の、焼却炉で、高温で、燃やし、衛生的な、灰にする。その、焼却の、熱は、温水プールや、公共浴場の、熱源として、再利用する。
燃えないゴミ――例えば、割れた、陶器や、金属の、クズは、ドゥーリンの、工房で、新しい、資源として、リサイクルする。
『ゴミの、分別と、焼却。そして、熱と、資源の、再利用』。
その、あまりにも、先進的な、循環型社会の、概念。
ルナariaは、息を呑んだ。
そして、ケイは、次に、あの、黒い、下水道の、配管図の、終着点を、指さした。
「そして、下水処理だ。全ての、汚水は、この、巨大な、浄化槽へと、集められる」
彼は、その、浄化システムの、驚くべき、仕組みを、説明した。
まず、物理的な、フィルターで、大きな、ゴミを、取り除く。
次に、沈殿槽で、汚泥を、沈め、上澄み液を、分離する。
そして、その、上澄み液を、微生物の、力を、利用した、『生物濾過槽』へと、通す。特定の、バクテリアに、水の中の、有機物を、分解させ、無害化するのだ。
そして、最後に、砂と、炭の、層で、濾過し、消毒用の、魔法を、かけた後、再び、川へと、戻す。
『下水処理システム』。
それは、自然の、浄化作用を、人工的に、再現し、加速させる、生命工学の、結晶だった。
「……すごい……」
ルナ-リアは、もはや、その一言しか、発することが、できなかった。
目の前の、少年が、語っているのは、もはや、ただの、都市計画ではない。
それは、自然と、文明が、完全に、調和し、共存するための、究極の、理想郷の、設計図だった。
「――ルナリア」
ケイは、その、あまりにも、大きな、夢の、設計図を、前にして、呆然と、立ち尽くす、天才薬師へと、向き直った。
「君に、この、都市の、免疫システムを、司る、『環境衛生局』の、初代、長官への、就任を、要請する。……君の、その、深い、知識と、そして、何よりも、生命を、慈しむ、その、強い、心が、この、プロジェクトには、必要だ」
その、あまりにも、大きく、そして、誇り高い、役職。
ルナリアは、一瞬、ためらった。
だが、彼女は、すぐに、顔を上げた。
その、真紅の瞳には、もう、迷いはなかった。
そこにあるのは、この、偉大な、リーダーと、共に、その、壮大な、夢を、現実の、ものとする、覚悟を、決めた、一人の、科学者としての、燃えるような、決意の光だけだった。
「……はいッ!」
彼女の、力強い、返事が、執務室に、響き渡った。
アークシティは、今、その、骨格と、血管と、心臓に、加えて、自らを、内側から、守るための、強力な、『免疫システム』を、手に入れようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
都市の、発展の、影で、進行していた、衛生問題。
その、危機に、いち早く、気づき、声を上げたのは、我らが、ヒロイン、ルナリアでした。
彼女の、成長と、そして、ケイが、提示した、あまりにも、先進的な、環境システムの、構想。
ワクワクして、いただけましたでしょうか。
さて、これにて、第21章『石と水』は、完結となります。
都市の、物理的な、インフラの、基礎は、整いました。
次回より、物語は、第22章『見えざる手』へと、突入します。
都市という、ハードウェアが、完成に、近づく中、ケイは、次なる、そして、最も、厄介な、問題に、直面します。
それは、その、ハードウェアを、動かすための、ソフトウェア――『ルール』の、不在でした。
「面白い!」「ルナリア、かっこいい!」「循環型社会、すごい!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、アークシティの、最初の、ゴミ収集車となります!
次回もどうぞ、お楽しみに。




