第82節: 陶管という名の血管
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
皆様の温かい応援に、心より感謝申し上げます。
前回、ケイがもたらした「魔導爆薬」という革新的な技術により、アークシティ建設の最初のボトルネックであった石材問題は、劇的な解決を迎えました。
しかし、都市とは、石を積み上げただけの、箱ではありません。そこに、生命の息吹を吹き込む、「水」という名の、血液が必要です。
今回は、その、都市の血管となる、上下水道の、要、『水道管』の、物語。
ここでもまた、ケイの異世界知識と、ドワーフの伝統技術が、驚くべき、化学反応を起こします。
それでは、第四巻の第九話となる第八十二話、お楽しみください。
魔導爆薬がもたらした衝撃は、フロンティア村の、いや、アークシティ建設プロジェクトの、全ての常識を、一夜にして塗り替えた。黒曜石の丘に、新たに開設された『第一石切り場』では、連日、ドゥーリン・ストーンハンマーの、狂気じみた、しかし、どこまでも楽しげな哄笑と、大地を揺るがす、轟音が、鳴り響いている。
かつては、数人がかりで、一日を費やしても、数個しか切り出せなかった、巨大な花崗岩のブロック。それが今や、ケイの精密な計算と、ドゥーリンの完璧な爆薬設置技術によって、規格化された建材として、まるで、工場製品のように、大量に、生産され続けていた。
「素晴らしい!
実に、素晴らしいぞ、小僧!
この、破壊という名の、創造!
これこそ、わしが、生涯をかけて、追い求めてきた、究極の、仕事よ!」
もはや、ドゥーリンの、ケイに対する態度は、以前のような、侮蔑や、反発心に満ちたものではなかった。それは、同じ、高みを目指す、一人の、恐るべき、天才技術者に対する、純粋な、敬意と、そして、ライバル心に、満ち溢れていた。
石材の、安定供給の、目処は立った。
プロジェクトの、クリティカルパスは、一つ、解消された。
だが、ケイの、青い瞳は、既に、次の、そして、さらに、厄介な、ボトルネックを、見据えていた。
『水』。
彼が、住民たちに、約束した、あの、衛生革命の、象徴。
『水洗トイレ』を、実現するための、最も、重要な、インフラ。
上下水道システムの、構築である。
その日の、朝会。
庁舎の、会議室に集まった、リーダーたちを前に、ケイは、一枚の、巨大な羊皮紙を、広げた。
そこには、アークシティの、地下に、網の目のように、張り巡らされる、上下水道の、詳細な、配管図が、描き込まれていた。
「――これより、我々は、プロジェクトの、次のフェーズへと、移行する」
ケイの、静かな、宣言。
「都市の、血管と、神経となる、上下水道の、敷設工事を、本格的に、開始する」
その、あまりにも、複雑で、そして、緻密な、設計図。
リーダーたちは、息を呑んだ。
「……大将。……確かに、すげえ、設計図だ。だが、問題は、どうやって、この、無数の、管を、作るか、だ」
ガロウが、もっともな、疑問を、口にした。
「鉄で、作るのか?
それじゃあ、ドゥーリンの爺さんが、あと、十人いても、何十年、かかるか、分からねえぞ」
「うむ。鉄は、使えん」
ドゥーリンもまた、その設計図を、唸りながら、見つめていた。
「これほどの、長さを、そして、これほどの、数を、寸分の狂いもなく、作り上げるなど、神の、御業でも、不可能よ。……石を、くり抜くか?
いや、それも、現実的では、ない……」
金属でも、石でもない。
では、何で、作るのか。
その、難問に、会議室は、重い、沈黙に、包まれた。
その、沈黙を、破ったのは、ケイの、静かな、一言だった。
「――土、だ」
「……土?」
ガロウが、怪訝な顔で、問い返す。
「ああ。粘土を、焼き固めた、『陶器』。それこそが、僕たちの、答えだ」
ケイは、きっぱりと、断言した。
彼は、前世の、歴史の知識を、紐解いていた。古代ローマの、水道橋。それを、支えていたのは、驚くべきことに、鉛や、鉄の管ではなく、緻密に作られた、陶製の、水道管だったのだ。
「粘土を、円筒状に、成形し、それを、窯で、焼き固める。……それならば、大量生産も、可能だ」
「……なるほどな。……確かに、それしか、あるまい」
ドゥーリンは、腕を組み、唸った。
「わしら、ドワーフも、古くから、酒樽や、壺を、作るのに、その技法を、使ってきた。……だが、小僧。……それには、致命的な、欠陥が、ある」
彼の、黒い瞳が、鋭く、光った。
「ただの、素焼きの土管では、ダメだ。あれは、脆い。そして、僅かだが、水を、通す。地下に、何十年も、埋設し、水圧に、耐え続ける、水道管としては、あまりにも、信頼性が、低すぎる。……いずれ、必ず、どこかで、ヒビが入り、水が漏れ、そして、システムは、崩壊する。……そんな、欠陥品を、このわしが、作ることを、許すと思うか」
その、職人としての、完璧なまでの、指摘。
それこそが、ケイが、待っていた、言葉だった。
「その通りだ、ドゥーリン殿」
ケイは、満足げに、頷いた。
「だからこそ、僕たちは、ただの、土管ではない、全く、新しい、『セラミック・パイプ』を、創り出す」
彼は、懐から、いくつかの、色の違う、鉱石の、粉末を、取り出した。
「これは、長石。これは、石英。そして、これは、ただの、灰だ」
彼は、それらの粉末を、粘土に、混ぜ込むと、少量の水で、練り上げていく。
「これらの、鉱物を、特定の、比率で、粘土に混ぜ、そして、摂氏、千二百度以上の、高温で、焼き上げる。すると、粘土の、内部構造は、化学変化を起こし、ガラス質へと、変化する。……これを、『焼結』と言う」
彼は、さらに、別の、粉末を、取り出した。
「そして、これが、仕上げだ。『釉薬』。ガラスの、原料となる、粉末を、水で溶いたものだ。これを、成形した、土管の、表面に、塗り、そして、再び、焼き上げる。すると、表面には、完璧な、防水性の、ガラスの、膜が、形成される。……内部は、焼結によって、石のように、硬く。表面は、ガラスの膜で、水を、完全に、弾く。……これならば、あなたの、お眼鏡にも、かなうはずだ」
その、あまりにも、化学的で、そして、あまりにも、革新的な、製法。
ドゥーリンは、もはや、言葉も、なかった。
彼は、ただ、呆然と、目の前の、少年が、語る、未知の、錬金術に、聞き入っていた。
粘土を、ガラスに、変える?
そんな、馬鹿なことが。
だが、この、小僧が言うのだ。そして、彼の、その、青い瞳は、絶対的な、確信に、満ちている。
ならば、それは、真実なのだろう。
「…………分かった」
やがて、彼は、絞り出すような声で、言った。
「……やってやる。……その、『せらみっく・ぱいぷ』とやら。……この、わしの、生涯の、最高傑作として、創り上げて、やろうではないか」
その日、ドゥーリンの、工房の、隣に、新しい、巨大な、施設が、建設され始めた。
ケイが、前世の知識で、設計した、最新鋭の、トンネル式の、連続焼成窯――『登り窯』だった。
それは、山の、斜面を利用し、いくつもの、焼成室を、階段状に、連結させた、巨大な、窯。一番下の、燃焼室で、発生させた、熱が、煙突効果によって、上へ、上へと、引き上げられ、それぞれの、部屋を、順番に、加熱していく。
一度、火を入れれば、二十四時間、休むことなく、陶器を、焼き続けることができる、画期的な、大量生産システムだった。
工務部隊の、半分が、その、窯作りに、動員された。
そして、残りの半分は、村の、女性たちや、子供たちと、共に、来る日も、来る日も、粘土を、こね続けた。
ケイが、設計した、木製の、押し出し機を使い、同じ、規格の、円筒状の、パイプが、次々と、生み出されていく。
その、パイプの、一つ一つに、ドゥーリンの、厳しい、検品が、入る。
「こらッ!
厚さが、一ミリ、違うわ!
やり直せ!」
「その、釉薬の、塗り方!
ムラが、ある!
そんなことでは、魂は、宿らん!」
彼の、怒号は、相変わらずだった。
だが、その、声には、以前のような、ただの、癇癪ではない。
最高の、作品を、創り上げるための、職人としての、熱い、情熱が、込められていた。
そして、その、情熱は、パイプを、作る、村人たちにも、確かに、伝播していた。
自分たちは、今、この、都市の、血管を、創っているのだ、と。
その、誇りが、彼らの、地道で、単調な、作業を、支えていた。
そして、プロジェクト開始から、一週間後。
ついに、巨大な、登り窯に、最初の、火が、入れられた。
窯は、三日三晩、ごうごうと、音を立てて、燃え続け、そして、ゆっくりと、冷やされていく。
そして、ついに、最初の、扉が、開かれた、その時。
窯の、中から、現れたのは、もはや、ただの、土管ではなかった。
それは、表面が、深い、緑色の、ガラスの輝きを放ち、叩くと、キーン、と、金属のような、澄んだ音を立てる、完璧な、『セラミック・パイプ』だった。
それは、石のように、硬く、鉄のように、強く、そして、ガラスのように、美しかった。
その、あまりにも、完璧な、完成品を、前に。
ドゥーリン・ストーンハンマーは、その、白い髭を、震わせ、ただ、一言、呟いた。
「…………美しい……」
それは、彼が、自らの、作品以外に、捧げた、初めての、そして、最大級の、賛辞だった。
アークシティの、血管は、今、確かに、その、最初の、一本が、生み出されたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
石の、次は、水。そして、土。
ケイの、前世の知識が、この、異世界の、自然素材と、融合し、次々と、新しい、技術を、生み出していきます。
『セラミック・パイプ』。
これで、アークシティの、衛生革命は、また、一歩、現実へと、近づきました。
さて、都市の、骨格と、血管が、整い始めました。
次に、必要なのは、その、全てを、動かすための、『動力』です。
次回、ついに、ケイの、次なる、一手、『水車』が、登場します。
それは、フロンティア村の、生産性を、別次元へと、引き上げる、産業革命の、始まりを告げる、狼煙となるでしょう。
「面白い!」「陶管作り、地味だけど、熱い!」「ドワーフ爺様、完全に、デレたな!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、アークシティの、最初の、水道管を、敷設する、力となります!
次回もどうぞ、お楽しみに。




