第8節:ストレステスト:予期せぬDDoS攻撃
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前回、ケイとルナリアの奇妙な共同生活が始まりました。互いの能力を認め合い、少しずつ信頼関係が芽生え始めた二人。
しかし、この『見捨てられた土地』の夜は、彼らに安息を与えてはくれません。
初の本格的な戦闘シーンとなります。どうぞ、お楽しみください。
夜の森は、昼間とは全く異なる貌をしていた。
生命の息吹に満ちていた森は沈黙し、代わりに、闇に蠢く何者かの気配が、じっとりと肌にまとわりつく。ケイが作った簡易かまどの火が、洞窟の壁に二人の影を揺らめかせていた。それが、この漆黒の世界で唯一の、頼りない安全地帯だった。
ケイは、燃える炎を見つめながら、思考を巡らせていた。
今日の出来事を、脳内でログとして整理し、レビューする。
スキルの仕様確認、水と火の確保、そしてルナリアとの接触。プロジェクトの初日としては、上々の滑り出しと言えるだろう。だが、課題は山積みだ。食料の安定供給、防衛システムの構築、そして、この世界の全体像の把握。やるべきことは、デスマーチ時代のタスクリストのように、無限に存在した。
隣では、ルナリアが壁に寄りかかり、浅い眠りについていた。その長い兎耳が、時折ぴくりと動く。彼女の種族――月光兎族は、夜行性であり、聴覚に優れると《アナライズ》は示していた。彼女が眠っているように見えても、その意識の一部は、常に外部の音を監視しているのかもしれない。
その、張り詰めたような寝顔を見ていると、ケイの胸に、前世では感じたことのない奇妙な感情が芽生える。
(……守らなければ)
それは、論理や合理性を超えた、もっと根源的な衝動だった。この少女の存在が、この過酷な環境における、自分自身の精神的なセーフティネットになっていることを、彼は無意識に感じ取っていた。
その、静寂を破ったのは、ルナリアだった。
彼女の耳が、ピンと天井を向く。閉じていたはずの真紅の瞳が、カッと見開かれた。
「……ケイ」
囁くような、しかし、切迫した声。
その声に含まれるアラートレベルの高さに、ケイの背筋も凍る。
「どうした」
「……何か、来る。たくさん」
ルナリアの言葉と同時に、ケイもまた、それを聞いた。
最初は、風の音かと思った。だが、違う。
カサカサ、カサカサ……。
無数の乾いた葉を踏みしめるような、不快な摩擦音。それが、一つの方向からではなく、洞窟を取り囲むように、四方八方から聞こえてくる。
ケイは、咄嗟に《アナライズ》を起動し、意識を洞窟の外へと向けた。
視界に、赤い警告表示が、滝のように流れ込む。
警告:複数の敵性存在を検知。
警告:対象との距離、100メートル。急速に接近中。
彼は、意識のフォーカスを、その敵性存在の一体に合わせた。
▼ 対象:ナイトクローラー
┣ 分類:魔獣(夜行性・集団捕食型)
┣ 脅威レベル:D(単体)、B(10体以上の集団)
┣ 特性:
┃ ┣ 昆虫と爬虫類の中間のような生態。全長約1.5メートル。
┃ ┣ 硬質化した外骨格は、粗末な刃物では傷つけるのが困難。
┃ ┣ 俊敏性が高く、壁や天井を自在に移動可能。
┃ ┣ 弱点:視覚器官が光に極めて弱い。腹部の外骨格が比較的柔らかい。
┗ 検出数:12体。包囲陣形を形成し、本拠点に接近中。
「……ナイトクローラー、十二体……!」
ケイの口から、呻くような声が漏れた。
ルナリアが、息を呑む。
「ナイトクローラー……! 群れると、森の主である大型の魔獣さえも喰い殺す、最悪の魔物……!」
彼女の知識が、ケイの分析結果の危険性を裏付ける。
これは、まずい。
前世で言えば、リリース直後のサーバーに、想定外のDDoS攻撃が仕掛けられたようなものだ。こちらの防御は、まだ最低限しか構築できていない。
「ルナリア、下がっていろ!」
「でも!」
「君はまだ本調子じゃない。それに、君にはやってもらうことがある」
ケイは、ルナリアの反論を制し、素早く指示を出す。その頭脳は、極限の状況下で、逆に冴え渡っていた。
彼は、洞窟の入り口と、その周辺の地形データを、脳内で立体的に再構築する。
入り口は狭いが、敵は壁を登れる。つまり、平面的な防御では意味がない。立体的な迎撃システムが必要だ。
(時間がない。使えるリソースは、この場の地形と、僕のスキルだけだ)
彼は、まず洞窟の入り口のすぐ外、左右の岩壁に意識を向けた。
「《アナライズ》、岩盤の強度、亀裂の有無をスキャン!」
スキャン完了。対象の岩盤、上部に不安定な岩塊を複数確認。
(これだ!)
「《クリエイト・マテリアル》! 強度が高く、しなやかな蔓を生成!」
ケイの手のひらに、光と共に、丈夫な蔓が数本現れる。彼は、それを入り口の上部に巧みに通し、不安定な岩塊に結びつけた。簡易的な、落石トラップだ。
次に、彼は入り口の地面に視線を落とす。
「《クリエイト・マテリアル》! 硬質化した木の枝を、先端を鋭利に加工して生成!」
光の中から、数十本の、槍のように鋭く尖った杭が出現する。
彼は、それを入り口前の地面に、斜めに突き刺していく。敵が飛び込んできた際の、物理的な障害物だ。
カサカサ、という音は、もう目と鼻の先まで迫っていた。
闇の中から、ぬるり、と最初の影が現れる。
それは、巨大なカマドウマと、蜥蜴を混ぜ合わせたような、冒涜的な姿をしていた。無数の足が、不気味なリズムで地面を掻き、複眼のような赤い瞳が、洞窟の入り口の光を捉えて、ギラリと輝いた。
「ルナリア! 君が持っている毒で、一番即効性の高いものは!?」
「これ……!」
ルナリアは、腰の小さな革袋から、黒い液体が満たされた小瓶を取り出した。
「痺れ蔓の毒。傷口から入れば、数秒で全身を麻痺させる」
「それを、何かに塗って、投げつけることはできるか!?」
「やってみる!」
ルナリアは、近くに落ちていた鋭い石つぶてを拾い上げ、手早く毒を塗りつけていく。その手つきに、迷いはなかった。
その時、最初のナイトクローラーが、壁を駆け上がり、天井から洞窟内へと飛び込んできた!
「ケイ!」
ルナリアの悲鳴。
だが、ケイは冷静だった。
「今だ!」
彼は、仕掛けておいた蔓の一本を、力一杯引いた。
ゴゴゴ、という鈍い音と共に、入り口上部の岩塊が崩れ落ちる。
飛び込んできたナイトクローラーは、それに気づき、咄嗟に身を翻そうとするが、間に合わない。
岩塊の直撃を受け、甲高い悲鳴を上げて、地面に叩きつけられた。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
一体の犠牲をものともせず、残りの十一体が、波のように洞窟へと殺到する!
地面から、壁から、天井から。あらゆる角度から、死が迫ってくる。
「ルナリア、投げろ!」
「えいっ!」
ルナリアが、毒を塗った石つぶてを、力任せに投げつける。
それは、壁を駆け上がってくる一体のナイトクローラーの脚に命中した。
魔物は、一瞬動きを止める。そして、全身を痙攣させながら、壁から剥がれ落ちた。
(……すごい。本当に、数秒で麻痺した)
ケイは、ルナリアの知識の正確さに舌を巻いた。
だが、敵の数はまだ多い。
地面に仕掛けた杭が、数体の突進を防ぐが、それを乗り越えてくる個体もいる。
一体が、ケイの目の前まで迫った。
鋭い鎌のような前足が、振り上げられる。
十歳の少年の身体能力では、回避は不可能。
(……ここまでか!)
死を覚悟した、その瞬間。
彼の脳裏に、《アナライズ》で得た情報が、フラッシュバックした。
『弱点:視覚器官が光に極めて弱い』
(……これだ!)
彼は、最後の魔素を振り絞り、スキルを発動した。
「《クリエイト・マテリアル》! 魔法効果、『閃光』を、最大出力で生成!」
彼の目の前の空間に、魔素が凝縮する。
そして、炸裂した。
世界が、白に染まる。
太陽を直視したかのような、強烈な光が、洞窟全体を包み込んだ。
ケイとルナリアは、咄嗟に腕で顔を覆う。
キシャアアアアアアアアアッ!
ナイトクローラーたちが、耳をつんざくような絶叫を上げた。
光に焼かれた視覚器官を押さえ、のたうち回る。
その隙を、ルナリアは見逃さなかった。
彼女は、残りの毒付きの石つぶてを、次々と魔物たちに投げつけていく。
麻痺し、動けなくなるナイトクローラーたち。
やがて、光が収まった時。
洞窟の入り口には、痙攣しながら動けなくなっている魔物が、数体転がっていた。
残りの個体は、未知の光に恐怖したのか、蜘蛛の子を散らすように、森の闇へと逃げ去っていった。
「……はぁ、はぁ……」
ケイは、その場にへたり込んだ。魔素を使い果たし、指一本動かせない。
ルナリアもまた、肩で息をしながら、震える手で次の毒を用意していた。
静寂が、洞窟に戻ってくる。
二人は、辛うじて、生き延びた。
だが、ケイの心は、晴れなかった。
彼の思考は、既に、この戦闘のレビューと、反省点の洗い出しを始めていた。
(……ダメだ。これでは、ダメだ)
今回の勝利は、あまりにも綱渡りすぎた。
敵の弱点が光でなければ。ルナリアの毒がなければ。落石トラップが上手く機能しなければ。
どれか一つでも欠けていれば、今頃、二人は魔物の餌食になっていただろう。
(……個人の力には、限界がある)
前世で、彼は何度もその現実を味わってきた。
一人のスーパープログラマーがいても、プロジェクト全体が破綻していれば、システムは完成しない。
一人で、全ての障害に対応し、全てのタスクをこなすことなど、不可能だ。
この世界で「穏やかな人生」を送るという、壮大なプロジェクトを達成するためには、何が足りない?
――人材だ。
――役割分担(モジュール化)だ。
――そして、それらを統括する、強固な組織だ。
ケイは、洞窟の外の、深い闇を見つめた。
この闇の中には、まだ見ぬ仲間がいるかもしれない。そして、今日以上の脅威が、無数に潜んでいる。
一人では、生きていけない。
二人だけでも、いずれ限界が来る。
この世界で本当に生き延び、そして理想を実現するためには、もっと多くの仲間が必要だ。
その事実が、戦闘の疲労よりも重く、ケイの心にのしかかっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
初の戦闘、いかがでしたでしょうか。ケイの知略と、ルナリアの知識が噛み合った、ギリギリの勝利でした。
この戦いを通じて、ケイは一人で生きることの限界を痛感します。この気づきが、彼の次の行動へと繋がっていきます。
物語が面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ぜひブックマークや↓の評価ボタン(☆☆☆☆☆)を押していただけると、作者が夜の森の魔物に襲われずに済みます(?)。
次回、ついに二人は、新たな仲間を求めて動き出します。
本日20時半頃の更新を、どうぞお楽しみに。