第67節: 初めての利益(ファースト・キャッシュ)
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
皆様の温かい応援に支えられ、フロンティア村はついに、外の世界への扉を開きました。
前回、我らが大将ケイが、亜人の村と侮り、詐欺まがいの取引を持ちかけた商人バートを、その圧倒的な情報力で完全に制圧しました。
今回は、その記念すべき最初の交易が、村に何をもたらしたのかを描きます。未知の物資、初めて手にする「お金」。村人たちの興奮と、その裏で冷静に次なる一手を見据えるケイ。
物語が新たなステージへと進む、重要な一話です。どうぞ、お楽しみください。
行商人バート・ランガーの、哀れな背中を乗せた荷馬車が、街道の遥か彼方へと消えていく。その姿が、吹雪の名残を宿した春先の霞の中に完全に見えなくなるまで、リリナ・テールウィップは、ただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。
彼女の足元には、先ほどの、悪夢のような、しかし、どこか現実離れした交渉劇の残骸が、静かに転がっている。山と積まれた、純白の塩の袋。未知の、芳しい香りを放つ、香辛料の木箱。そして、彼女がこれまでの人生で、一度も、その本当の価値を知らなかった、美しい織物と、絹の反物。
それら全てが、自分たちの村の、たった二つの製品と、引き換えに、手に入ったのだ。
「……大将様……」
リリナは、おそるおそる、背後で静かに佇む、小さなリーダーへと、振り返った。
ケイ・フジワラは、先ほどの、全てを見透かすような、絶対者の仮面を、すっと脱ぎ捨て、いつもの、十歳の少年の、無表情な、しかし、どこか穏やかな顔に戻っていた。
彼は、テーブルの上に散らばる、商人から「代償」として受け取った、金、銀、銅のコインを、ただ、静かに、指でなぞっている。
「……これが……『お金』……」
リリナが、か細い声で呟く。
「ああ。これが、この大陸の、経済というシステムを動かす、血液だ」
ケイは、そう言うと、一枚の、クラウン銀貨を、つまみ上げた。そこに刻まれているのは、リオニス王国の国章である、雄々しい獅子の横顔。
彼は、その銀貨に、静かに、《アナライズ》を実行した。
▼ 対象:クラウン銀貨
┣ 主成分:銀(92.5%)、銅(7.5%)
┣ 製造年:創世暦10221年
┣ 製造場所:リオニス王国王都造幣局
┣ 価値分析:
┃ ┣ リオニス王国内における、基準購買力:労働者の一日の賃金に相当。
┃ ┗ ザルツガルド商業ギルドにおける、金属的価値:銀地金として、銅貨98枚分。
┗ 追跡情報:過去24時間以内に、森の入り口の村の酒場で、エール二杯と、黒パンの購入に使用された痕跡を検出。
(……なるほどな。含有率、製造年まで分かるのか。面白い)
ケイは、内心で、自らのスキルの、底知れないポテンシャルに、改めて、舌を巻いた。これさえあれば、通貨の偽造はおろか、その流通経路さえも、把握することが可能になる。経済戦争を戦う上で、これほど、強力な武器はない。
その、ケイの思考を、遮るように。
交易所に、どやどやと、興奮した様子の、村人たちが、なだれ込んできた。
先頭に立っているのは、報告を聞いて、血相を変えて駆けつけてきたであろう、ガロウだった。
「大将!
無事か!?
あの、クソ商人に、何かされたんじゃねえだろうな!」
彼の、その、剥き出しの心配の言葉。
その背後で、他の狼獣人たちも、ドワーフたちも、皆、同じように、心配そうな、しかし、好奇心に満ちた目で、交易所の中を、きょろきょろと見回している。
ケイは、その、過保護な仲間たちの様子に、少しだけ、苦笑しながら、首を横に振った。
「問題ない、ガロウ。……交渉は、つつがなく、完了した」
「交渉、だと……?」
ガロウは、訝しげに、眉をひそめた。
だが、彼が、交易所の中に山と積まれた、物資の山と、そして、テーブルの上の、輝くコインの山を、その目で、認めた、瞬間。
彼の、黄金色の瞳が、信じられない、というように、大きく、大きく、見開かれた。
「……な……なんだ、こりゃあ……!?」
彼の、素っ頓狂な声が、全ての始まりだった。
次の瞬間、交易所は、お祭り騒ぎのような、熱狂に、包まれた。
「塩だ!
こんなに、たくさんの、塩……!」
「この、いい匂いは、なんだ!?
こ、香辛料……!
本でしか、見たことがねえぞ!」
「見てみろ、この布を!
俺たちの、ゴワゴワの麻布とは、大違いだ……!」
獣人たちが、生まれて初めて見る、文明世界の、豊かな物資に、子供のように、目を輝かせ、歓声を上げる。
彼らは、塩の袋に顔をうずめ、その、海の香りを、胸いっぱいに、吸い込んだ。香辛料の袋を開けては、その、エキゾチックな香りに、くしゃみをし、そして、笑い合った。
それは、彼らが、この『見捨てられた土地』に追いやられて以来、とうに、忘れてしまっていた、純粋な、消費の、喜びだった。
ドゥーリンでさえも、その、分厚い腕を組みながら、商人が置いていった、絹の布地を、その、節くれだった指で、確かめるように、撫でていた。
「……フン。人間の、仕事も、なかなか、捨てたもんじゃねえな。この、織りの細かさは、わしら、ドワーフの、無骨な指では、真似できんわい」
その、素直ではない、賛辞の言葉。
その、熱狂の渦の中心で。
ケイは、静かに、テーブルの上の、コインの山を、見つめていた。
彼は、その中から、一枚の、ゴールド金貨を、つまみ上げる。
それは、他のコインとは、明らかに、違う、重さと、そして、輝きを、持っていた。
「……大将。それが、『きんか』ってやつか?」
ガロウが、興奮したように、そのコインを、覗き込む。
「ああ。この、たった一枚で、普通の家族が、一年は、何不自由なく、暮らせるだけの、価値がある」
その、ケイの、静かな説明に、周囲の獣人たちが、ごくりと、喉を鳴らした。
一年分の、生活。
それが、この、小さな、金属片の、中に、凝縮されている。
彼らの、素朴な、価値観では、到底、理解の及ばない、世界の、理。
「……大将様」
リリナが、おそるおそる、ケイに、問いかけた。
「……私たちは、この、お金と、物資を、手に入れるために、何を、失ったのですか?
……あの商人は、一体、何と、これを、交換していったのですか?」
その、最も、本質的な、問い。
交易所の中が、再び、静まり返る。
全ての視線が、ケイへと、注がれた。
ケイは、静かに、答えた。
「ドゥーリン殿が作った、鋼鉄の鍬、一本。それと、ルナリアが作った、高純度のポーション、一瓶。……以上だ」
「「「…………はあっ!?」」」
その場にいた、全員の口から、信じられない、といった、絶叫が、迸った。
たった、それだけで?
鍬一本と、薬一瓶で、この、山のような、宝物を?
それは、もはや、交易ではない。錬金術だ。
「……馬鹿な。……あの商人は、正気か?」
ガロウが、呆然と、呟く。
「いや、彼は、正気だった。そして、心の底から、『自分は、人生で、最高の取引をした』と、信じ込んでいるはずだ」
ケイは、静かに、そして、少しだけ、皮肉な笑みを浮かべて、言った。
「それが、『情報』の、格差が生み出す、恐ろしさだ。そして、それこそが、僕たちが、これから戦う、経済という、戦場の、本質なんだ」
彼は、金貨を、テーブルの上へと、戻した。
そして、全ての仲間たちに、聞こえるように、宣言した。
「この、金と、物資は、全て、この村の、共有財産とする。そして、その、使い道を決めるのは、僕ではない。この村の、全ての住民による、評議会だ。……だが、一つだけ、僕からの、提案がある」
彼の、青い瞳が、強い光を宿す。
「この、初めての利益を使って、僕たちは、更なる、『投資』を、行うべきだ。……僕たちの、理想を、この大陸に、広めるための、投資を」
その、静かな、しかし、力強い、言葉。
それは、フロンティア村が、単なる、生産拠点から、一つの、経済主体へと、その、第一歩を、踏み出したことを、告げる、号砲だった。
◆
その日の、夕暮れ。
空になった荷馬車を引き、街道を、とぼとぼと、戻っていた、バート・ランガーの元に、一羽の、伝書鳩が、舞い降りた。
それは、ザルツガルド商業ギルド、本部からの、緊急の、連絡だった。
彼は、震える手で、その、小さな、羊皮紙を、広げた。
そこに書かれていたのは、彼の、最後の希望を、打ち砕く、無慈悲な、文字列だった。
『――貴殿が報告せし、亜人の村『フロンティア』について。ギルド本部は、これを、重大な、潜在的脅威と、認定。全ての、ギルド所属商人に対し、当該地域への、立ち入り、および、一切の、交易を、禁止する、通達を発令す。……なお、貴殿に関しては、ギルドの規律を乱し、独断で、危険な勢力と接触した、その、責を問い、本日付で、三級商人からの、降格、および、無期限の、交易停止処分と、する――』
「…………あ……。……ああ……」
バートの、口から、空虚な、呻き声が、漏れた。
全てを、失った。
財産も、商品も、そして、商人としての、地位と、未来までも。
あの、悪魔のような、少年の、手のひらの上で、踊らされ、そして、用済みになった、自分は、ギルドからも、見捨てられたのだ。
だが、彼は、まだ、気づいていなかった。
彼が、この日、持ち帰った、二つの、奇跡の品々と、そして、恐るべき、亜人の村の、噂。
それが、やがて、ギルドの、独占体制という、巨大な、壁に、最初の、亀裂を入れ、大陸の、経済の、勢力図を、根底から、塗り替える、引き金になることを。
そして、彼自身が、その、歴史の、転換点において、極めて、重要な、役割を、果たすことになるのを、まだ、彼は、知る由もなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに、フロンティア村の、記念すべき、最初の交易が、成立しました。ケイの、チートな《アナライズ》と、前世の経験に裏打ちされた交渉術が、見事に炸裂しましたね。商人バートの、その後の、悲惨な運命には、少し、同情してしまったかもしれません(笑)。
さて、初めての「通貨」と、そして、大量の物資を手に入れた、フロンティア村。この、歴史的な、第一歩は、村に、どのような、変化を、もたらすのでしょうか。
そして、恐怖と共に、ギルドへと帰還した商人バートが、もたらす、「フロンティア村」の噂。それは、やがて、大陸の、経済界に、どのような、波紋を、広げていくことになるのか。
「面白い!」「ケイの交渉術、痺れた!」「経済戦争、本格的に始まって、ワクワクする!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、フロンティア村の、次の、取引を、成功へと導きます!
次回もどうぞ、お楽しみに。




