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第5節:デバッグ:クリティカルエラーへのパッチ適用

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。皆様からのブックマークや評価の一つ一つが、私のキーボードを打つ指に力を与えてくれます。

前回、森の奥で傷ついた兎耳の少女を発見したケイ。

面倒事を避けるのが最適解だったはずの元・社畜SEは、この異世界でどのような判断を下すのか。

物語が大きく動き出す、運命の第五話です。

それでは、本編をお楽しみください。

思考が、高速で回転する。

目の前の光景は、明らかに異常事態だ。瀕死の少女。種族は不明だが、長い兎の耳を持つことから、この世界の住人――亜人と呼ばれる存在なのだろう。

ケイの脳内で、二つの思考プロセスが激しく衝突した。


一つは、三十二年間の社畜人生で培われた「リスク回避モジュール」。

――関わるな。これはトラブルの匂いしかしない。彼女を襲った何者かが、まだ近くに潜んでいる可能性がある。下手に手を出せば、自分も同じ運命を辿る。生存確率を最大化するなら、即座にこの場を離れるのが最適解だ。見なかったことにして、自分の安全を確保しろ。


もう一つは、この世界に来てから芽生え始めた、まだ名前のない「新しい思考モジュール」。

――本当にそれでいいのか? 目の前で命が消えようとしている。君に与えられたスキルは、あるいは彼女を救えるかもしれない。何もしなければ、後悔という名の、決して消せないバグを魂に抱え込むことになるのではないか? 新しい人生を歩むと決めたのなら、ここで見捨てるのは、過去の自分と何も変わらないのではないか?


二つの思考がせめぎ合い、ケイのCPU使用率は急上昇する。

だが、答えはすぐに出た。

彼は、ゆっくりと茂みから姿を現し、少女へと一歩、足を踏み出した。


(……リスク分析は完了した。だが、今回はリターンを優先する)


リターンとは何か。

それは、この世界の情報を得ること。仲間を得られる可能性。そして何より、この新しい人生で、自分が「正しい」と思える選択をすること。その価値は、未知のリスクを上回ると、彼は判断した。


ケイは慎重に少女に近づく。周囲への警戒は怠らない。《アナライズ》を常に起動させ、半径五十メートル以内の生物の気配を探る。幸い、敵性存在の反応はない。少女を襲った魔物か何かは、既にこの場を去った後らしい。


少女の傍らに膝をつき、彼は改めてその状態を観察する。

呼吸は浅く、速い。顔色は土気色で、唇は青紫がかっている。左腕と右足の傷は、鋭い爪で引き裂かれたようだ。傷口の周囲が、不気味な紫色に変色している。


(……ただの外傷じゃない。毒か、あるいは呪いか)


素人判断は危険だ。ここで必要なのは、正確な情報。

ケイは、少女の身体にそっと触れた。ひやりと冷たい肌の感触が、十歳の少年の小さな手にはあまりにも重い。

彼は意識を集中させ、スキルの核心的な権能を行使する。


「《アナライズ》」


瞬間、彼の視界は再び情報の光で満たされた。

目の前の少女の身体が、半透明のワイヤーフレームへと変換され、その内部を流れる血液、神経系、骨格、そして魔素の流れまでもが、色分けされたラインとなって可視化される。まるで、最高性能のMRIとCTスキャンを同時に行っているかのようだ。


▼ 対象:名称不明(種族:月光兎族)

┣ ステータス:瀕死(生命活動レベル:8%)

┣ バイタルサイン:心拍数180/分(異常)、呼吸数45/回(異常)、血圧60/35(危険水域)、体温34.2℃(低下傾向)

┣ 物理的損傷:

┃ ┣ 左上腕部:裂傷(深度:筋層到達)、動脈損傷による継続的な出血

┃ ┗ 右大腿部:裂傷(深度:骨膜到達)、骨に微細な亀裂

┣ 異常ステータス:

┃ ┗【神経毒(強)】:対象の神経伝達物質を阻害し、全身麻痺と呼吸不全を誘発。

┃ ┣ 感染経路:裂傷部からの直接注入

┃ ┣ 毒物成分:アルカロイド系化合物(詳細な分子構造式を展開)

┃ ┗ 予測:約15分以内に心肺停止に至る可能性95%

┗ 種族特性:月光兎族げっこううさぎぞく。夜間活動に特化した亜人種。高い敏捷性と聴覚を持つ。魔素への感受性が極めて高く、特に月光の下で身体能力と治癒力が向上する。


「……っ!」


脳内に叩き込まれた情報に、ケイは戦慄した。

月光兎族。聞いたこともない種族名。そして、何よりも致命的なのは、強力な神経毒。余命は、わずか十五分。


絶望的な状況だ。前世の知識では、どうすることもできない。

だが、今の彼には、この絶望を覆すための武器がある。


(落ち着け。問題点を切り分けろ。タスクは二つ。毒の除去と、外傷の治療。優先順位は、毒の除去が最優先)


彼は即座に思考を切り替える。

《アナライズ》によって、毒の分子構造式は完全に把握できている。ならば、必要なのは、その毒を中和する化学物質だ。


(周囲の植物をスキャン。解毒作用のある成分を持つものを探せ!)


ケイは、少女から視線を外し、周囲の森へと《アナライズ》の範囲を広げる。視界に映る全ての植物が、次々と解析されていく。

――ダメだ。この草には鎮静効果しかない。

――この木の樹皮は、止血には使えるが、解毒作用はない。

――この苔は……微弱な抗菌作用のみ。


焦りが、冷静な思考を侵食しようとする。

残り時間は、刻一刻と減っていく。


(落ち着け、藤堂慧。デバッグの基本を思い出せ。一つずつ、可能性を潰していくんだ)


彼は、さらに範囲を広げ、地面に落ちている石や、土そのものにまで解析の対象を広げた。

そして、ついに見つけた。

少女が倒れている樫の木の、すぐ根元に生えている、地味なシダ植物。


▼ 対象:名称不明(通称:月影ソウ)

┣ 分類:シダ植物

┣ 魔素特性:月光兎族の魔素に親和性を持つ。

┣ 薬効:葉に含まれる特殊な酵素は、特定のアルカロイド系神経毒を分解する作用を持つ。ただし、単体での効果は薄く、特定の鉱物成分と化合させることで、効果が飛躍的に増大する。

┗ 備考:月光兎族が、自らの傷を癒すために利用する伝承がある。


これだ!

ケイは、すぐさま月影ソウの葉を数枚摘み取る。

次に、必要な鉱物成分。《アナライズ》は、近くの岩盤に、その成分が微量に含まれていることを示していた。


材料は揃った。だが、これらをすり潰して化合させている時間はない。

ここで、第二の権能を行使する。


「《クリエイト・マテリアル》!」


彼は、スキルメニューから二番目のアイコンを選択した。

権能クリエイト・マテリアル:魔素を消費し、解析済みの物質や簡易な魔法効果を生成する』


ケイは、脳内で完璧なプロセスを組み立てる。

まず、月影ソウの葉と、岩盤の鉱物成分の情報をインプット。

次に、《アナライズ》で得た毒の分子構造式をターゲットとし、それを中和するための、最も効率的な化合物の完成形を、頭の中で設計する。

最後に、実行コマンドを、スキルへと送る。


「――生成せよ、『神経毒中和剤』!」


ケイの身体から、ふわりと魔素が吸い取られていく感覚。体内のエネルギーが、目に見えない形で消費されていく。

彼の目の前の空間が、陽炎のように揺らめいた。空気中の魔素が、ケイの設計図通りに収束し、再構成されていく。

光の粒子が集まり、形を成す。

そして、数秒後。

ケイの小さな手のひらの上に、ぽとり、と一つの小さなガラスアンプルが出現した。

中には、月光のように淡く輝く、透明な液体が満たされている。


(……これが、物質創造)


神の力の一端に、彼は改めて畏怖を覚えた。だが、感嘆している暇はない。

彼は、アンプルの先端を指で折り、少女の口元へと運ぶ。抵抗なく開かれた小さな唇の隙間から、中和剤をゆっくりと流し込んだ。


液体が、少女の喉を通っていく。

ケイは、固唾を飲んで《アナライズ》で彼女の体内を監視する。

中和剤の成分が血流に乗り、毒素へと到達。そして、設計通り、毒の分子構造を破壊し、無力化していく。

視界に表示されていた【神経毒(強)】のステータス表示が、明滅を始め、やがて完全に消滅した。


「……よし!」


第一関門、クリア。

だが、まだだ。毒は消えたが、物理的な損傷は残っている。このままでは、出血多量で死んでしまう。


(次は、ポーションだ)


彼は、再び周囲の植物を《アナライズ》する。今度は、細胞の再生を促す成分を持つ薬草を探す。

すぐに見つかった。先ほど見つけた、抗菌作用のある苔と、止血効果のある木の樹皮。そして、生命力の高い、別の薬草。

それらの情報を統合し、最も治癒効果の高い配合を脳内で設計する。


「《クリエイト・マテリアル》! 生成、『下級治癒薬レッサー・ポーション』!」


再び、魔素が消費される感覚。

今度は、粘り気のある、緑色に輝く液体が満たされた小瓶が、手のひらに現れた。

彼は、躊躇なくその液体を少女の傷口へと振りかける。


すると、驚くべきことが起こった。

ジュワ、という微かな音と共に、緑色の液体が傷口に浸透していく。どす黒かった出血がピタリと止まり、裂けていた皮膚と筋肉が、目に見える速さで盛り上がり、結合していく。

それは、前世の医療知識では到底ありえない、まさに魔法としか言いようのない光景だった。

数分後には、あれほど深かった傷は、痛々しい傷跡を残すのみで、完全に出血は止まっていた。


ケイは、最後の確認のため、少女に《アナライズ》を再実行する。


▼ 対象:月光兎族の少女

┣ ステータス:衰弱(生命活動レベル:35%)

┣ バイタルサイン:安定軌道に移行

┣ 物理的損傷:治癒プロセス進行中

┣ 異常ステータス:なし


「……助かった」


安堵のため息が、ケイの口から漏れた。

全身から力が抜け、彼はその場にへたり込む。スキルの連続使用は、十歳の身体には、そして三十二歳の精神にも、大きな負担を強いたようだ。


だが、心は不思議と満たされていた。

前世では、どれだけ働いても、どれだけ完璧な仕事をしても、得られるのは次の無茶な仕事と、僅かな給料だけだった。

だが、今はどうだ。

自分の力で、一つの命を救った。

それは、藤堂慧の人生では決して得られなかった、確かな手応えと、温かい達成感だった。


彼は、改めて少女の顔を見た。

苦悶に歪んでいた表情は、穏やかな寝顔に変わっている。銀色の長い髪が、森の木漏れ日を浴びて、キラキラと輝いていた。


その、あまりの儚さと美しさに、ケイはしばし見惚れていた。

その時だった。


少女の長い兎耳が、ぴくり、と微かに動いた。

そして、ゆっくりと、その瞼が持ち上がり始める。

中から現れたのは、血のように鮮やかな、真紅の瞳だった。

まだ焦点の合わないその瞳が、ぼんやりと、ケイの姿を映し出した。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

ケイのスキル、いかがでしたでしょうか。ただの鑑定やアイテムボックスとは一味違う、SEらしい(?)能力の片鱗が見えたかと思います。

そして、ついにヒロインが目を覚ましました。

彼女は一体何者なのか。そして、自分を助けた少年ケイに、どのような反応を示すのか。

物語はここから、さらに加速していきます。

「面白い!」「二人の絡みが楽しみ!」と思っていただけましたら、

ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の一票が、この物語を紡ぐ力となります。

次回の更新は、本日の夕方17時半頃です。お見逃しなく!

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