第42節:フィルター:鉄と土の防衛線
いつもお読みいただき、ありがとうございます!皆様のブックマーク、評価、そして温かい感想の数々、フロンティア村の防壁を築く、何よりの力となっております。
前回、ついに始まったフロンティア村防衛戦。ケイが設計した第一防衛ライン『偽りの平原』が、ゴブリンの先鋒に牙を剥きました。しかし、敵の数はまだ圧倒的です。
今回は、その絶望的な数の暴力に対し、ガロウ率いる狼の戦士たちが、鍛え上げられた鋼の牙で迎え撃ちます。村の存亡を賭けた、最初の本格的な白兵戦。どうぞ、その激戦の行方を見届けてください。
地獄とは、おそらく、この光景のことを言うのだろう。
ゴブリンたちの、貧弱で、しかし、悪意に満ちた思考回路は、目の前で起きている現象を、正しく理解することを、完全に拒絶していた。
ほんの数分前まで、目の前に広がっていたのは、ただの、静かな雪原だったはずだ。それが今や、唐突な爆発と、底なしの落とし穴、そして、空から降り注ぐ、死の雨によって、阿鼻叫喚の屠殺場へと変貌していた。
「ギ、ギギッ!?」
「ア、アガアアアアッ!」
仲間が、消える。
一瞬前まで、隣で涎を垂らしながら奇声を上げていた同族が、次の瞬間には、轟音と共に、四散した肉片と化して、赤い雪を降らせる。
足元の雪が、何の前触れもなく、奈落の口を開け、吸い込まれた仲間たちの、断末魔の叫びが、地底から、くぐもって響いてくる。
それは、彼らが、その短い生涯で、一度も経験したことのない、理不尽で、そして、理解不能な、死の形だった。
ケイが設計した第一防衛ライン『偽りの平原』は、単なる罠の集合体ではなかった。
それは、敵の心理を、徹底的に破壊するために設計された、悪意の塊だった。
魔法の地雷は、あえて、威力を分散させ、致命傷ではなく、手足だけを吹き飛ばすように調整されている。動けなくなったゴブリンが、雪原の上で、苦痛の叫びを上げ続ける。その声が、後続の部隊の、原始的な恐怖を、さらに煽り立てる。
落とし穴の配置は、一見、ランダムに見えて、その実、獣人族の狩りの知恵に基づき、群れがパニックに陥った際に、最も逃げ込みやすい死角へと、巧妙に誘導するように計算されていた。
だが、ゴブリンのスタンピードを、スタンピードたらしめている、最も恐ろしい要因。
それは、「飢え」だった。
恐怖よりも、生存本能よりも、強く、彼らを支配する、絶対的な行動原理。
腹が、減っている。
目の前の、あの、暖かそうな光が灯る村に行けば、食い物がある。女がいる。酒がある。
その、あまりにも、シンプルで、そして、強烈な欲望が、彼らの、わずかな理性を、完全に麻痺させていた。
「グガアアアアアアアッ!!」
群れの中から、ひときわ巨躯のホブゴブリンが、狂乱した雄叫びを上げた。
彼は、足元で助けを求めていた、手足の吹き飛んだ仲間を、その巨大な棍棒で、容赦なく、頭から叩き潰した。
そして、その、まだ温かい死体を踏み越えて、前へと進む。
その、狂気の号令が、伝播した。
ゴブリンたちは、もはや、罠を避けることさえ、やめた。
彼らは、目の前の、仲間たちの死体の上を、道とし、その、赤い絨毯の上を、ただ、ひたすらに、前へ、前へと、突き進んでいく。
その、おびただしい数の犠牲と引き換えに、彼らは、ついに、第二防衛ライン――『絶望の塹壕』の、縁へと、たどり着いた。
そして、彼らは、再び、絶望した。
目の前に、ぽっかりと口を開けていたのは、彼らの、貧弱な想像力を、遥かに超える、巨大な、あまりにも巨大な、堀だった。
幅は、屈強なホブゴブリンが、五人並んでも、まだ余裕がある。深さは、見下ろすだけで、眩暈がするほどだ。そして、その、遥か下の底には、ドゥーリンが鍛え上げた、無慈悲な鋼鉄の串が、まるで、巨大な獣の牙のように、ずらりと、上を向いて、獲物を待ち構えていた。
「……ギ……?」
先頭にいたゴブリンたちが、急ブレーキをかける。だが、後続の勢いは、止まらない。
「グェッ!?」
「ア、ア……」
押される。落ちる。突き刺さる。
悲鳴を上げる間もなく、数十体のゴブリンが、まるで、滝のように、次々と、塹壕の底へと、吸い込まれていった。
肉が、骨が、鋼鉄の串に貫かれる、鈍い、不快な音が、吹雪の中で、不気味に響き渡る。
だが、それでも、ゴブリンの波は、止まらない。
彼らは、狂っていた。
塹壕の底が、仲間たちの死体で、少しずつ、埋まっていく。
その、おぞましい光景を、好機と見たのか、何体かの、身軽なゴブリン・ライダーが、その巨大な狼に鞭を入れ、塹壕を、飛び越えようと試みた。
その、瞬間を。
フロンティア村の防壁の上で、鋼の弓を引き絞っていた者たちが、見逃すはずがなかった。
『――弓兵部隊、跳躍する個体を、優先的に狙え。……無駄弾は、撃つな』
司令塔から送られてくる、ケイの、冷徹な命令。
その声に従い、エルフの血を引く、数名の射手が、同時に、矢を放った。
ヒュッ、ヒュッ、と、空気を切り裂く、静かな音。
次の瞬間、宙を舞っていたゴブリン・ライダーたちの喉と、その騎乗する狼の心臓を、寸分の狂いもなく、鋼鉄の鏃が、貫いていた。
人馬一体となったまま、彼らは、力なく、塹壕の底へと、墜落していった。
だが、その犠牲もまた、無駄ではなかった。
ゴブリンたちは、仲間たちの死体を、足場とし、その上を、乗り越えていく。
塹壕の底は、やがて、おびただしい数の死体によって、完全に埋め尽くされ、一つの、おぞましい、肉の橋を、形成した。
そして、ついに、最初のゴブリンが、その、肉の橋を渡り切り、フロンティア村の、最後の砦――鋼鉄の丸太で組まれた、高さ三メートルの、防壁の、その足元へと、たどり着いた。
「ギャアアアアッ!」
そのゴブリンは、勝利を確信したかのように、歓喜の奇声を上げ、その、汚れた爪を、壁面に、突き立てた。
そして、その、壁の上で、自分を待ち受けていた、黄金色の、瞳と、目が合った。
「……ようこそ、クソッタレ」
ガロウ・アイアンファングは、その傷だらけの顔に、獰猛な、そして、歓喜に満ちた、笑みを浮かべていた。
「――待ちくたびれたぜェッ!!」
その、魂の咆哮が、合図だった。
防壁の上に、ずらりと並んでいた、狼獣人族の、精鋭たち。その、全員が、一斉に、その手に持った、鋼鉄の槍を、真下へと、突き下ろした。
ザクッ! ザクッ! ザクッ!
肉を、貫く、鈍い音が、連続して、響き渡る。
壁を登ろうとしていた、最初のゴブリンたちは、その目的を、一歩も、果たすことなく、ただの、串刺しの肉塊と化した。
「怯むなァッ! 隊列を崩すな! 一人、三体殺すまでは、ここを、一歩も、動くんじゃねえぞ!」
ガロウの、雷鳴のような、檄が飛ぶ。
彼の指揮の下、狼の戦士たちは、もはや、個々の獣ではなかった。
それは、一つの、巨大な、そして、完璧に統率された、殺戮機械だった。
前衛が、槍で、壁を登ろうとする敵を、確実に、突き殺す。
中衛が、弓で、後方から支援しようとする、ゴブリン・アーチャーを、射殺す。
そして、後衛が、予備の武器を準備し、負傷した仲間を、即座に、後方へと下げる。
その動きには、一切の、無駄も、迷いも、ない。
それは、ケイが導入した『朝会』と、日々の訓練、そして、何よりも、ドゥーリンがもたらした、鋼鉄の武具の賜物だった。
これまで、彼らが使っていた、黒曜石の槍では、ゴブリンの、粗末な革鎧さえ、貫けないことがあった。だが、この、鋼の槍は、違う。それは、面白いように、敵の、肉を、骨を、断ち切っていく。
その、圧倒的な、性能差が、戦士たちの心から、恐怖を、完全に、拭い去っていた。
自分たちは、強い。
自分たちの武器は、最強だ。
そして、自分たちの背後には、守るべき、仲間と、家族がいる。
その、絶対的な自信が、彼らを、鬼神へと、変えていた。
「ウォオオオオオオオッ!!」
狼たちの、雄叫びが、吹雪の中で、何度も、何度も、こだまする。
それは、フロンティア村の、魂の咆哮。
自分たちの、理想郷を、土足で踏みにじろうとする、汚れた侵略者に対する、怒りと、誇りの、叫びだった。
◆
「……第二防衛ライン、交戦開始。敵の第一波、約百五十は、ほぼ、無力化。……だが、敵の主力は、まだ、温存されている」
司令塔の、見張り台の上で、ケイは、脳内に表示される、戦況データを、冷静に、分析していた。
戦いは、今のところ、彼の、シミュレーション通りに、進んでいる。
だが、彼の表情に、安堵の色は、なかった。
彼の《アナライズ》は、敵の、巨大な集団の中に、ひときわ、大きく、そして、禍々しい、魔力の反応を、捉えていたからだ。
(……ボス個体。おそらく、このスタンピードを、率いている、リーダー格だ。……ステータスは、通常のホブゴブリンの、三倍以上。……そして、保有スキルに、『魔法』の文字)
それは、彼の、シミュレーションにおける、最大の、不確定要素。
その、ボス個体が、動き出す時。
この、完璧に設計された、防衛システムに、最初の、致命的な、亀裂が、入ることを、彼は、予感していた。
そして、その予感は、最悪の形で、的中することになる。
闇の、向こう。
ゴブリンの、おびただしい死体の上で、一体の、巨大なホブゴブリンが、その、醜悪な顔を、上げた。
その手には、巨大な棍棒ではなく、捻くれた、枯れ木のような、杖が握られている。
そして、その、濁った瞳が、防壁の一点を、じっと、睨みつけた。
「グルルル……。……シャガ……(小賢しい)……」
その、汚れた唇から、意味をなさない、しかし、明確な、呪いの言葉が、紡がれ始めた、その時。
フロンティア村の、本当の、悪夢の幕が、静かに、上がった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
フロンティア村の、存亡を賭けた、防衛戦。その、最初の攻防が、描かれました。ケイが設計した、冷徹で、合理的な防衛ライン。そして、ガロウ率いる、狼の戦士たちの、鬼神の如き、奮戦。彼らは、見事に、ゴブリンの第一波を、食い止めました。
しかし、敵の主力は、まだ、その牙を、隠しています。そして、ついに、このスタンピードを率いる、魔法を操る、ボス個体が、その姿を現しました。
果たして、ケイたちは、この、予測不能な、最大の脅威に、どう、立ち向かうのでしょうか。
「面白い!」「防衛戦、熱すぎる!」「ガロウ、かっこいい!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、フロンティア村の、防壁の、強度を、さらに、高めます!
次回、ついに、ホブゴブリンの魔法が、炸裂する! そして、ケイの、次なる一手とは。どうぞ、お楽しみに。