第38節: 絶望という名の負荷テスト
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前回、ついに冬の脅威が牙を剥きました。斥候がもたらしたのは、五百を超えるゴブリンの大群「ゴブリン・スタンピード」接近という、絶望的な報せ。村の総戦力では到底太刀打ちできない、圧倒的な数の暴力が、刻一刻と迫ります。
今回は、その報せが村にもたらす「絶望」そのものを描きます。歴戦の戦士さえも膝を折る、絶対的な危機。このどうしようもない状況に、彼らはどう立ち向かうのか。あるいは、立ち向かうことさえ、許されないのか。
それでは、本編をお楽しみください。
カン、カン、カン、カン!
心臓を直接鷲掴みにするような、けたたましい金属音が、吹雪の轟音を引き裂いて、フロンティア村の隅々まで響き渡った。それは、敵襲を知らせる警鐘の音。村が設立されて以来、訓練以外で、それが鳴らされるのは、初めてのことだった。
その、狂ったような響きは、穏やかな眠りについていた村人たちを、悪夢の底から、容赦なく現実へと引きずり出した。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
「敵襲!? どこからだ!」
温かい住居から飛び出してきた獣人たちは、猛烈な吹雪と、凍てつくような寒さに身を震わせながら、混乱の声を上げる。しかし、彼らが北の見張り台の方向――リーダーたちが集まるその場所から、地獄の底から響くような絶望のオーラを感じ取った時、その声は、ぴたりと止んだ。
見張り台の上は、沈黙に支配されていた。
それは、死を前にした者の、静寂だった。
「……五百……だと……?」
ガロウの口から漏れた声は、ひび割れたガラスのように、か細く、そして、空虚だった。歴戦の勇士である彼の、その黄金色の瞳から、光が消えている。長年の戦いの中で、彼の身体に刻み込まれた無数の傷跡が、まるで、これから起こるであろう、さらに深い傷を予感しているかのように、疼いていた。
彼の隣で、ドゥーリン・ストーンハンマーは、自慢の白い髭をわなわなと震わせながら、忌々しげに、闇の向こうを睨みつけていた。
「……ゴブリンの、掃き溜めか。これほどの数が、一斉に動くなど……。山の生態系が、根底から、ひっくり返でもせん限り、あり得んことだぞ……」
彼のスキル【神眼】は、吹雪の向こうに蠢く、一体一体の魔物の、貧弱なステータスを正確に見抜いていた。一体一体は、雑魚だ。彼が鍛え上げた鋼の武具を手にすれば、村の戦士一人で、十体は相手にできるだろう。
だが、その数が、五十倍になった時、話は、全く、別次元のものとなる。
それは、もはや、戦いではない。津波だ。あるいは、山火事だ。個人の武勇など、何の意味もなさない、抗いようのない、巨大な「災害」。自分たちが、丹精込めて築き上げた防御柵も、鍛え上げた鋼の剣も、この、圧倒的な数の暴力の前には、まるで、子供の砂の城のように、脆く、儚く、飲み込まれていく。その光景が、彼の、百五十年の経験則によって、嫌というほど、鮮明に、予測できてしまった。
「ケイ……」
ルナリアの声が、震えていた。彼女は、ケイの腕を、ぎゅっと、掴んでいた。その小さな手は、氷のように冷たい。薬師である彼女の頭には、これから起こるであろう、凄惨な光景が、浮かんでいた。傷つき、倒れていく仲間たち。どれだけポーションがあっても、どれだけ薬草があっても、追いつかない。助けを求める声が、吹雪の中で、一つ、また一つと、消えていく。その光景を想像しただけで、彼女の呼吸は、浅く、速くなった。
そして、その絶望は、ウイルスのように、瞬く間に、村全体へと、伝播していった。
「五百……!? 嘘だろ……?」
「俺たちの戦士は、百人もいねえんだぞ……!」
「どうすんだよ……。逃げるのか……?」
「逃げるって、どこへ!? この吹雪の中、子供たちを連れて、どこへ行けっていうんだ!」
女たちは、己の子供を、きつく、きつく、抱きしめた。その瞳には、涙が浮かんでいる。若い戦士たちは、ドゥーリンが作ったばかりの、鋼の槍を握りしめるが、その指先は、恐怖で、白くなっていた。
これまで、彼らの心を支えてきた、希望の灯火が、今、まさに、吹き消されようとしていた。食料も、武器も、暖かい家も、この、絶対的な数の暴力の前には、何の意味もなさないのではないか。自分たちは、結局、人間から逃げ、魔物に怯え、この凍てついた土地で、犬死にするだけの、運命だったのではないか。
そんな、諦観と、絶望の空気が、まるで、濃い霧のように、村全体を、覆い尽くしていく。
◆
リーダー用の、一番大きな小屋に、緊急招集されたリーダーたちが、重い表情で、テーブルを囲んでいた。
部屋の中央では、暖炉の炎が、ぱちぱちと音を立てて燃えているが、その暖かささえも、部屋に漂う、氷のような絶望感を、溶かすことはできない。
「……選択肢は、三つだ」
最初に、重い沈黙を破ったのは、ガロウだった。彼は、テーブルの上に広げられた地図を、まるで、憎い仇敵でも睨むかのように、見つめている。
「一つは、ここで、戦う。……だが、結果は、言うまでもない。玉砕だ。運が良ければ、敵の数を、半分ほどに減らせるかもしれんが、俺たちは、間違いなく、全滅する」
その言葉に、誰も、反論できなかった。それは、あまりにも、明白な事実だった。
「二つ目は、降伏……あるいは、交渉だ」
ガロウは、自嘲するように、鼻を鳴らした。
「だが、相手は、飢えたゴブリンの群れだ。奴らに、知性や、理性を期待するだけ、無駄だ。奴らが求めるのは、食料と、女、そして、殺戮の快楽だけだ。交渉のテーブルにつく前に、俺たちは、喰われるだろうよ」
「……残るは、一つ、か」
ドゥーリンが、低い声で、呟いた。
「……ああ。脱出だ」
ガロウは、苦々しく、その言葉を口にした。
「敵の包囲網が、まだ、完成していない、南側。あそこには、切り立った崖がある。ゴブリンどもの、貧弱な足では、そう簡単には、登り降りできねえはずだ。そこから、女子供を優先して、脱出させる。俺たち戦士は、ここで、奴らを、少しでも、食い止める。……時間稼ぎだ」
それは、リーダーとして、最も、合理的で、そして、最も、残酷な、決断だった。戦士たちを、犠牲にして、非戦闘員だけでも、生き延びさせる。
だが、その、悲壮な決断に、狩猟隊のリーダーである、熊獣人の巨漢が、静かに、首を横に振った。
「……ガロウさん。その崖の向こうは、何日も、吹雪が吹き荒れる、ただの、雪原だ。食料も、焚き木も、何もない。女子供だけで、そこで、何日、生き延びられる……? それは、ここで死ぬか、あそこで、凍え死ぬかの、違いしか、ねえんじゃねえか……?」
その言葉が、最後の、細い、蜘蛛の糸のような希望さえも、断ち切った。
戦うも、地獄。
逃げるも、地獄。
八方塞がり。チェックメイト。
小屋の中は、再び、墓場のような、沈黙に包まれた。誰もが、顔を伏せ、ただ、己の無力さを、噛みしめることしかできない。
自分たちが、必死に、築き上げてきた、この、フロンティア村という、ささやかな理想郷が、今、まさに、音を立てて、崩れ落ちようとしていた。
その、絶望的な空気の中で。
ただ一人、ケイだけが、違っていた。
彼は、誰とも、視線を合わせることなく、ただ、じっと、テーブルの上の、一点を、凝視していた。その青い瞳は、まるで、この世の者ではないかのように、どこまでも、冷徹に、澄み切っている。
彼の脳内では、常人には、到底、理解不能な、超高速の、思考が、展開されていた。
(……敵の総数、N=500。こちらの戦闘可能人員、M=87。単純な戦力比、約1対5.7。正面からの衝突では、勝率、0.01%未満。……論外だ)
(……地形データを、変数Tとして、入力。村の北側は、緩やかな斜面。敵の進軍速度を、減速させる効果は、期待できない。東と西は、森。だが、ゴブリンは、森林での戦闘を得意とする。むしろ、地の利は、敵にある)
(……こちらの、保有リソースを、変数Rとして、再計算。鋼鉄製の武具、120セット。弓矢、約2000本。食料、燃料は、十分。だが、短期決戦では、これらの備蓄は、アドバンテージには、なり得ない)
彼の思考は、システムエンジニアの、それだった。
これは、絶望的な状況などではない。
これは、極めて、難易度の高い、しかし、解決不可能な問題ではない、「タスク」だ。
彼のユニークスキル【ワールド・アーキテクト】は、その権能と《プロジェクト・マネジメント》によって、この村の、全ての情報を、完璧に、データ化していた。地形、資材、そして、人材。その、膨大なビッグデータを、彼は、今、フル回転させているのだ。
(……シミュレーション・パターンA:防御柵に、戦力を集中。……ダメだ。敵の一部が、柵を乗り越えた時点で、内部から、崩壊する。敗北確率、99.8%)
(……シミュレーション・パターンB:遊撃部隊による、奇襲。……無意味だ。五百の群れに対して、数十の奇襲など、象に、蚊が刺すようなもの。返り討ちに遭うだけだ。敗北確率、99.9%)
(……シミュレーション・パターンC:村を放棄し、脱出。……熊獣人の言う通りだ。生存確率、一時的に上昇するも、一週間以内に、80%以上が、凍死、または、餓死。……これも、論外だ)
何万通りもの、シミュレーションが、彼の脳内で、繰り返される。
その、全てが、導き出す、結論は、ただ一つ。
『全滅』
だが、ケイは、思考を、止めなかった。
前世の、デスマーチで、彼が、唯一、学んだこと。それは、どんなに、絶望的な状況でも、思考を停止した瞬間に、本当の「負け」が、確定する、ということだった。
(……パラメータが、足りない。……視点を、変えろ。戦力は、兵士だけじゃない。資材は、武器だけじゃない。地形は、障害物だけじゃない。……この村の、全てが、僕の、リソースだ)
彼の思考が、さらに、深く、深く、潜っていく。
そして。
何十万回目の、シミュレーションの、果てに。
彼の脳内に、一つの、あり得ない、しかし、唯一、生存確率が、ゼロではない、解が、閃光のように、弾き出された。
それは、常識的な、軍事行動の、範疇にはない。
それは、建築学と、土木工学と、そして、プロジェクトマネジメントの、知識を、総動員した、狂気の沙汰としか思えない、立体的な、迎撃システム。
(……これだ)
ケイは、ゆっくりと、顔を上げた。
その、あまりにも静かな動きに、絶望に沈んでいた、リーダーたちが、はっとしたように、彼へと、視線を向けた。
「……まだだ」
ケイの、静かな、しかし、鋼のような、意志を宿した声が、小屋に響いた。
「まだ、終わってはいない」
「……大将……? 何を、言って……」
ガロウが、かすれた声で、問いかける。その瞳には、「この子供は、あまりの恐怖に、正気を失ってしまったのではないか」という、憐れみの色さえ、浮かんでいた。
だが、ケイは、その視線を、まっすぐに、受け止めた。
「勝算は、低い。限りなく、ゼロに近い。だが、ゼロじゃない。僕の計算が、正しければ、五分……いや、六分四分で、僕たちが、勝てるプランが、一つだけ、ある」
その言葉に、小屋の中が、凍りついた。
勝てる?
この、絶望的な状況で?
五百の、魔物の大群を相手に?
誰もが、彼の言葉を、信じられなかった。それは、狂人の、戯言にしか、聞こえなかった。
最初に、我に返ったのは、ドゥーリンだった。
「……小僧。貴様、正気か。それとも、恐怖で、頭がおかしくなったか。六分四分だと? この、わしでさえ、万に一つも、勝ち目はないと、言うておるのだぞ!」
その、怒声に、ケイは、静かに、首を横に振った。
「あなたは、職人だ。ガロウは、戦士だ。それぞれの専門分野で、物事を判断している。だが、僕は違う」
ケイは、立ち上がった。その、小さな身体から、その場の、誰をも、圧倒するような、凄まじい、プレッシャーが、放たれる。
「僕は、プロジェクトマネージャーだ。僕の仕事は、あらゆるリソースを、最適化し、不可能を、可能にすることだ」
彼は、テーブルの上の地図を、指で、強く、叩いた。
「ガロウ。すぐに、村の、全ての住民を、中央広場に、集めてくれ。戦える者も、そうでない者も、一人、残らずだ」
「……集めて、どうするんだ」
「プレゼンテーションだ」
ケイは、不敵に、笑った。
「絶望している、彼らに、希望という名の、新しい、プロジェクトを、提示する」
その、あまりにも、場違いな、しかし、絶対的な自信に満ちた、言葉。
ガロウと、ドゥーリンは、ただ、呆然と、その、小さな、リーダーの顔を、見つめることしか、できなかった。
フロンティア村、存亡の危機。
ゴブリン・スタンピード、到達まで、あと、二時間半。
運命の、プロジェクトが、今、始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
絶望的な状況の中、ついに、我らがプロジェクトマネージャー、ケイが、立ち上がりました。彼の武器は、剣でも魔法でもない。膨大なデータに基づいた、完璧な「計画」です。
果たして、ケイが提示する、起死回生の「村落防衛システム」とは、一体、どのようなものなのか。そして、絶望に沈む村人たちを、再び、奮い立たせることはできるのか。
「面白い!」「ケイ、格好良すぎる!」「プレゼン、楽しみ!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、ケイのプレゼンを、成功に導く力となります!
次回、絶望を希望に変える、ケイのプレゼンテーションが、始まります。どうぞ、お楽しみに。