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第36節: 錬金術師のフラスコ

いつもお読みいただき、ありがとうございます!皆様の応援のおかげで、フロンティア村の炉は、希望の炎を燃やし続けることができています。


前回、ついに完成した反射炉が生み出した「本物の鋼」。その圧倒的な品質は、頑固な工匠ドゥーリンさえもひれ伏させ、村の技術レベルを一夜にして別次元へと引き上げました。


しかし、技術の灯火は、鉄だけに留まりません。今回は、我らがヒロイン・ルナリアが、薬師として、ある大きな壁に直面します。その壁を打ち破る鍵は、ケイの知識とドゥーリンの神業、そして、全く新しい「素材」でした。


それでは、フロンティア村の次なる技術革新の瞬間を、お楽しみください。

フロンティア村は、熱狂に包まれていた。


反射炉がもたらした「鋼」という名の奇跡は、村の日常を、文字通り根底から塗り替えていた。ドゥーリンが指導する若き鍛冶師たちが打ち出す鋼鉄の斧は、これまで三人がかりで一日を要したテツカシの大木を、たった一人で半日もかからずに切り倒す。鋼鉄の鍬は、石ころだらけの硬い大地を、まるで柔らかな腐葉土のようにたやすく耕していく。


狩猟部隊が持ち帰る獲物の量は、二倍以上に増えた。鋼の槍先とやじりは、硬い鱗を持つ魔獣の皮さえも容易に貫き、これまで取り逃がしていた獲物を、確実に仕留めることを可能にしたのだ 。


食料が増え、開墾が進み、村の防備が固められていく。誰もが、技術の進歩という、目に見える成果に酔いしれ、来るべき冬への不安を忘れ、明るい未来を語り合っていた。


だが、その喧騒の中心から少し離れた場所で、一人、その熱狂の輪に加わることなく、沈痛な面持ちで佇む少女がいた。


ルナリア・シルヴァームーン。


彼女は、自らが管理する薬草園の隅で、小さな乳鉢の中の液体を、じっと見つめていた。その美しい真紅の瞳には、普段の快活な輝きはなく、深い悩みの色が浮かんでいる。


「……だめ。これ以上は、無理……」


ぽつりと漏れた呟きは、誰に聞かせるでもなく、秋の乾いた風に溶けて消えた。彼女の目の前には、数種類の薬草をすり潰し、濾した液体がある。それは、冬に流行りやすい、悪性の気管支炎に効果がある薬の素だった。だが、何度試しても、不純物を取り除ききれない。薬効を高めようと濃度を上げれば、副作用を引き起こす微量の毒素まで濃縮されてしまうのだ。


今の技術では、これが限界だった。村の皆を、冬の病から守りたい。その一心で研究を続けてきたが、その道は、分厚い壁に阻まれていた。


「……どうしたんだ、ルナリア。何か問題でも発生したか?」


不意に、背後からかけられた声に、ルナリアはびくりと肩を震わせた。振り返ると、そこには、いつの間にかケイが立っていた。彼の青い瞳は、プロジェクトマネージャーが、進捗に遅れの出ているメンバーを気遣う時の、それだった。


「ケイ……。いえ、大したことでは……」


「君が、その顔をしている時は、いつだって『大したこと』だ」


ケイは、ルナリアの嘘を、あっさりと見抜いた。彼は、彼女の隣に腰を下ろすと、乳鉢の中の液体を覗き込んだ。


「……薬の精製に行き詰まっているのか」


「……ええ」


隠し通せないと悟ったルナリアは、観念して頷いた。


「薬草から有効成分を抽出する時、どうしても、不要な成分や、時には有害な成分まで、一緒に溶け出してしまいます。今は、布で濾したり、煮詰めて上澄み液を取ったりしていますが、それだけでは、純度を高めるのに限界があるのです。もっと、もっと純粋な薬を作ることができれば、より多くの病を治し、より多くの命を救えるはずなのに……」


悔しそうに、ルナリアは唇を噛んだ。彼女の薬師としてのプライドが、現状維持を許さなかった。


ケイは、黙って彼女の話を聞いていた。そして、おもむろに、その液体に指を浸すと、静かに《アナライズ》を実行した。彼の脳内に、液体の詳細な成分分析データが、滝のように流れ込んでくる。


(……なるほど。主成分のアルカロイドAが3.5%、これが有効成分だ。だが、不純物として、類似構造を持つアルカロイドBが0.8%、タンニンが2.1%、その他、微量な植物由来の油分や糖分が混在している。問題は、アルカロイドBだ。これは、治療効果はないが、過剰摂取すると、神経系に軽微な麻痺を引き起こす……)


ボトルネックは、明確だった。問題は、薬草の知識ではない。化学的な「分離・精製技術」の欠如だ。


ケイの脳裏に、前世の記憶が、鮮やかにフラッシュバックした。大学時代の、化学実験室の光景。白衣を着た学生たちが、複雑に組まれたガラス器具を操り、様々な色の液体を分離している。


(……そうだ。この問題を解決する技術は、既にある)


「ルナリア」


ケイは、顔を上げた。その瞳には、既に、明確な解決策ソリューションへの道筋が見えている。


「もし、液体の中から、特定の成分だけを、純粋な形で取り出す方法があるとしたら、知りたいか?」


「え……? そんなこと、できるのですか?」


ルナリアが、信じられないといった顔で、問い返す。


「ああ、できる。その魔法の名は、『蒸留』だ」


ケイは、地面に、木の枝で簡単な図を描き始めた。


「液体には、それぞれ、気体になりやすい温度……『沸点』というものがある。例えば、水は100度で沸騰して水蒸気になるが、アルコールは、もっと低い、約78度で気体になる」


彼は、丸いフラスコのような絵を描き、それを下から火で炙る絵を加えた。


「この液体を、ゆっくりと加熱していくと、まず、沸点の低い成分から、気体になって、立ち上ってくる。その気体だけを集めて、別の場所で冷やしてやれば、どうなる?」


「……また、液体に戻ります」


「その通りだ。そして、その液体は、最初に気体になった成分……つまり、沸点の低い物質だけで構成された、極めて純度の高い液体になる。これが、『蒸留』の原理だ」


それは、ルナリアにとって、天啓のような言葉だった。


薬草の成分にも、それぞれ、水に溶けやすいもの、油に溶けやすいものがあるように、気体になりやすいものと、なりにくいものがあるはずだ。その性質の違いを利用すれば、これまで不可能だった、成分の分離が可能になるかもしれない。


「……すごい。その方法なら……!」


ルナリアの真紅の瞳が、薬師としての、純粋な探究心の輝きを取り戻す。


だが、彼女はすぐに、はっとしたように、その輝きを曇らせた。


「……でも、ケイ。その『蒸留』とやらを行うには、どんな道具が必要なのですか? 熱に強くて、中身が見えて、しかも、気体が漏れないように、密閉できるような……そんな、都合の良い器、この村には……」


その、絶望的な問いに、ケイは、静かに、しかし、自信に満ちた笑みを浮かべて、答えた。


「ああ、ある。いや、正しく言えば、『これから作る』んだ。……僕たちの、技術顧問殿の力を借りてな」



ドゥーリン・ストーンハンマーの工房は、フロンティア村の、新たな心臓部となりつつあった。


反射炉の炎は、昼夜を問わず燃え続け、カン、カン、という、鋼を打つ音が、心地よいリズムとなって、村中に響き渡っている。


その工房の主は、山のように積まれた鋼のインゴットを前に、まるで新しい玩具を与えられた子供のように、目を輝かせていた。


「……フン。なるほどな。炭素の含有量を、コンマ一パーセント変えるだけで、こうも粘りが変わるか。面白い……実に、面白い……!」


彼は、誰に言うでもなく呟きながら、様々な配合の鋼を試し、その特性を、自らの身体に刻み込むように、確かめていた。


そんな、仕事に没頭する、気難しい職人の聖域に、ケイとルナリアは、足を踏み入れた。


「ドゥーリン殿。少し、時間をいただきたい」


「あぁ? 小僧か。見ての通り、忙しい。用なら、後にして……」


ドゥーリンは、顔も上げずに、無愛想に答えた。だが、ケイが、彼の作業台の上に、一枚の羊皮紙を広げた瞬間、その動きが、ぴたり、と止まった。


羊皮紙に描かれていたのは、彼が、これまで一度も見たことのない、奇妙な、しかし、どこか機能的な美しさを宿した、曲線的な器の数々だった。


丸い底を持つフラスコ。長い首を持つレトルト。そして、二重構造になった、不可思議な管。


「……なんだ、これは。酒瓶の、新しいデザインか?」


「違う。これは、僕たちの村の、医療技術を、百年先に進めるための、魔法の道具の設計図だ」


ケイは、きっぱりと言った。


「ドゥーリン殿。あなたに、これを作ってもらいたい。……『ガラス』で」


「……がらす、だと?」


ドゥーリンは、眉間に、深い皺を刻んだ。


「フン、冗談も休み休み言え。俺は、鍛冶師だ。石と金属を扱うのが、俺の仕事だ。砂や泥をこねくり回す、陶工の真似事など、する気はない。ましてや、そんな、ふけば飛ぶような、脆いもので、何が作れるというのだ」


それは、ケイが、完全に予測していた反応だった。プライドの高い、伝説の工匠。彼が、未知の、そして、自らの専門外の素材に、易々と手を出すはずがない。


「あなたの言う通りだ。ガラスは、脆い」


ケイは、ドゥーリンの言葉を、素直に肯定した。


「だが、それは、ただのガラスの話だ。僕が作ろうとしているのは、鋼のように強靭で、そして、ダイヤモンドのように透明な、全く新しいガラスだ」


ケイは、おもむろに、懐から、小さな石を二つ、取り出した。一つは、どこにでもある、ただの石英の粒。もう一つは、彼が《クリエイト・マテリアル》で生成した、ホウ砂の結晶だった。


「この砂の主成分は、二酸化ケイ素。融点は、約1700度。あなたの反射炉の熱を使えば、十分に溶かすことができる」


彼は、次に、ホウ砂の結晶を指し示した。


「そして、これが鍵だ。この鉱石を、溶けたガラスに混ぜ込むことで、ガラスの分子構造は、より強固に、そして、安定的に変化する。熱による膨張を、極限まで抑えることができるんだ。その結果、生まれるのは、煮えたぎる湯を注いでも、氷水に浸けても、決して割れることのない、『硬質ガラス』だ」


その言葉は、もはや、ただの依頼ではなかった。


それは、一人の技術者から、もう一人の技術者への、挑戦状だった。


未知の素材。未知の理論。そして、不可能を可能にするという、甘美な響き。


ドゥーリンの、髭の奥の瞳が、ギラリ、と光った。


彼の、職人としての魂が、この、あまりにも魅力的で、そして、無謀な挑戦に、激しく、揺さぶられていた。


「……面白い」


長い沈黙の後、彼の口から漏れたのは、その一言だった。


「……小僧。貴様の言う、その『こうしつがらす』とやらが、本当に、俺の炉の熱に耐え、そして、鋼のごとき強さを持つというのなら……。この俺が、それを、意のままの形に、打ち延ばしてやろうではないか!」


その顔には、もはや、侮蔑の色はなかった。ただ、自らの神業をもって、新たな伝説を創造しようとする、伝説の工匠の、歓喜に満ちた笑みだけが、そこにあった。



それからの数日間、ドゥーリンの工房は、ガラス工房へと、その姿を変えた。


反射炉の、灼熱の炎が、ケイの指定した配合の砂を、飴のように、どろりと溶かしていく。


最初は、失敗の連続だった。温度が高すぎれば、ガラスは泡立ち、低すぎれば、すぐに固まってしまう。


「温度が、50度高い! すぐに、鞴の風量を、一段階、下げろ!」


ケイが、《アナライズ》で、炉内の温度を、リアルタイムで監視し、叫ぶ。


ドゥーリは、その指示に従いながら、長い吹き竿の先に、溶けたガラスを巻き取ると、神業のような息遣いで、それを、美しい球体に、膨らませていく。


「小僧! 徐冷が、早すぎる! このままでは、内部応力で、全てが砕け散るぞ!」


ドゥーリンが、自らの経験則から、危険を察知し、怒鳴る。


ケイの、異世界の化学知識と、ドゥーリンの、百五十年の経験と技。二つの、異質な才能が、ぶつかり合い、そして、融合していく。


そして、プロジェクト開始から、五日目の朝。


工房の作業台の上に、朝日を浴びて、きらきらと輝く、一つの、芸術品が、置かれていた。


透明な、球体のフラスコ。そこから伸びる、冷却水が通る、二重構造のガラス管。そして、その先には、純粋な雫を受け止めるための、ビーカー。


それは、ケイが設計図に描いた、完璧な「蒸留器」の姿だった。


その、あまりにも美しい、完成品を前に、ルナリアは、言葉を失っていた。


彼女は、震える手で、その蒸留器に、昨日まで、あれほど苦しめられていた、薬草の液体を、注ぎ入れた。


そして、アルコールランプ(これも、ケイが設計し、ドゥーリンが作ったものだ)で、フラスコを、ゆっくりと、加熱していく。


やがて、液体が、静かに沸騰を始め、無色透明の蒸気が、ガラス管の中を、立ち上っていく。冷却管を通過した蒸気は、そこで、再び、液体へと姿を変え、そして――。


ぽたり、と。


ビーカーの中に、最初の一滴が、落ちた。


それは、まるで、真珠の涙のように、美しく、そして、どこまでも、澄み切った、一滴だった。


ルナリアは、その液体を、指先に、ほんの少しだけ取り、そっと、舐めた。


瞬間、彼女の真紅の瞳が、信じられない、というように、大きく、大きく、見開かれた。


「……嘘。こんな……こんな、純粋な、味……」


それは、薬草の、有効成分だけが、奇跡的な純度で、濃縮された、エッセンスそのものだった。不純物の、雑味も、苦味も、一切ない。ただ、純粋な、薬の魂だけが、そこにあった。


「……これさえ、あれば……」


彼女の手が、わなわなと、震え始めた。


「これさえあれば、どんな病気も……! 助けられる命が、たくさん……!」


彼女は、ケイと、そして、腕を組んで、仏頂面で、しかし、どこか誇らしげに、その光景を見守っていたドゥーリンへと、向き直った。


そして、その場に、深々と、頭を下げた。


「……ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます……!」


その、魂からの、感謝の言葉。


それは、フロンティア村の、医療技術が、新たな時代へと、その第一歩を、踏み出したことを告げる、祝砲のようでもあった。


鉄に続き、ガラスを手に入れた、フロンティア村。


その、技術革新の灯火は、もはや、誰にも、消すことのできない、大きな炎となって、燃え上がろうとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


今回は、ルナリアとドゥーリンが主役の回でした。ケイの知識を触媒に、それぞれの専門家が、その能力を最大限に発揮する。まさに、フロンティア村の理想とする形が、描けたのではないかと思います。頑固爺様ドゥーリンの、職人魂が炸裂するシーンは、書いていて、とても楽しかったです。


さて、鉄とガラスを手に入れ、来るべき冬への備えを、着々と進めるケイたち。しかし、この世界の冬は、彼らの想像を、遥かに超える脅威を、連れてきます。


「面白い!」「ガラス作り、熱い!」「ドワーフ爺様、最高のツンデレ!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、フロンティア村の、次なる技術革新の、燃料となります!


次回、ついに、冬が、その白い牙を剥く。どうぞ、お楽しみに。

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