第34節: リファクタリング:鍛冶場という名のレガシーコード
いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援が、フロンティア村の技術革新の原動力です!
前回、塩を求める旅の果てに、ケイたちは伝説の工匠ドゥーリンを仲間に引き入れました。
しかし、村の鍛冶場はドゥーリンの怒りを買うほど貧弱なものでした。ケイが提示する新たな『炉』の設計図は、頑固なドワーフの心を動かすことができるのか。技術革新の狼煙が上がる、重要な回となります。
それでは、本編をお楽しみください。
フロンティア村の朝は、希望の匂いがした。
新しく建てられたリーダー用の小屋には、朝日と共に、村の主要メンバーが集結していた。ケイが導入した日課――「朝会」のためだ。中央にはケイ、その両脇をルナリアと、技術顧問という名の客人であるドワーフのドゥーリンが固めている。そして、各チームのリーダーである狼獣人たちが、自信に満ちた顔で床に座っていた。
「――以上が、昨日の各チームの進捗報告だ」
一通りの報告が終わったのを確認し、ケイが静かに口を開く。
「塩の確保により、食料保存チームの作業は計画通りに進んでいる。住居の断熱改修も、七割が完了。順調と言えるだろう」
その言葉に、リーダーたちの顔が誇らしげにほころぶ。だが、軍務大臣として防衛と武具の管理を担うガロウだけが、厳しい顔で腕を組んでいた。
「大将、塩のおげで肉の保存は順調だ。だが、問題は道具の方だ」
ガロウの低い声が、穏やかな空気に緊張を走らせる。
「新しい斧や鍬を作らせてるが、どうにも質が悪くてな。すぐに刃こぼれしちまう。これじゃあ、冬までに全ての準備を終わらせるなんて、到底無理だ」
その報告に、他のリーダーたちも次々と頷いた。伐採チームからは「斧の刃がすぐに駄目になるせいで、作業効率が半分以下に落ちている」と、建築チームからは「釘を打つ金槌が、逆にひしゃげてしまった」という悲鳴にも似た報告が上がる。
(……やはり、来たか)
ケイは、内心で静かに呟いた。
(典型的な依存関係の問題だ。建設、農業、防衛……『越冬プロジェクト』の全てのタスクが、『道具生産』という単一のモジュールに依存している。そして、そのモジュールが、致命的なまでに性能が低い。鍛冶場が、システム全体のボトルネックになっているんだ。このスループットでは、プロジェクト全体のベロシティが頭打ちになるのは当然だ)
これは、放置すればプロジェクト全体を崩壊させかねない、クリティカルな問題だった。
ケイは、即座に決断を下した。
「分かった。これより、鍛冶場の改修を、最優先事項とする」
彼は、これまで沈黙を守っていた、気難しい技術顧問へと向き直った。ドワーフの老人は、獣人たちの報告を、鼻で笑うかのような冷めた表情で聞いていた。
「ドゥーリン殿。技術顧問として、あなたの専門的な見地からの評価をお願いしたい」
その言葉に、ドゥーリンは、重々しく立ち上がった。その小さな身体からは、未だに、周囲を圧するような威圧感が放たれている。
◆
ケイがドゥーリンを案内したのは、村の西の端に隔離されるように建てられた、粗末な小屋だった。それが、フロンティア村の、唯一の鍛冶場だった。
小屋に一歩足を踏み入れた瞬間、ドゥーリンは、ぴたり、と動きを止めた。
彼の百五十年の人生で培われた、五感の全てが、この場所に満ちる「冒涜」に対して、最大級の警報を鳴らしていた。
空気が、淀んでいる。不完全に燃焼した木炭の、不快な煙の匂い。そして、鉄とは呼べない、何かが酸化した、錆の匂い。
鞴は、あちこちが破れた、ただの革袋だ。そこから漏れる、頼りない風では、炉の温度を上げるなど、夢のまた夢だろう。
焼き入れに使う水槽には、正体不明の浮遊物が漂う、濁った水が澱んでいる。
そして、何よりも、彼の目に、神聖なる仕事場への冒涜として映ったのは、その中央に鎮座する、炉そのものだった。それは、ただの石と泥を積み上げただけの、原始的なブルマリー炉。ケイが、前回の旅で分析した通りの、旧時代の遺物だった。
ドゥーリンのスキル【神眼】は、彼の意思とは関係なく、炉の脇に無造作に置かれた、打ちかけの剣の、その内部構造を、完璧に見通してしまった。不均一な炭素量。無数に混入したスラグ。それは、もはや、剣ではなかった。ただの、鉄の形をした、ゴミの塊だった。
次の瞬間。
ドゥーリンの、岩塊のような身体が、わなわなと震え始めた。その、白い髭に覆われた顔が、溶鉱炉の鉄のように、真っ赤に染まっていく。
「――これが、鍛冶場だとッ!?」
魂の絶叫が、小屋全体を揺がした。
「ふざけるなッ! これは、神聖なる仕事場への、冒涜だッ!!」
彼は、その短い足で、傍にあった焼き入れ用の水槽を、力任せに蹴り飛ばした。濁った水が、派手な音を立てて、床にぶちまけられる。
「なんだ、この濁水はッ! こんなもので、鋼が鍛えられるかッ!」
彼は、震える指を、炉へと突きつけた。その指先は、怒りのあまり、白を通り越して、紫色になっている。
「そして、この泥の山は、なんだッ! これでは、鉄は生まれん! 鉄のクソが、生まれるだけだッ!!」
その怒りは、単なる癇癪ではなかった。自らが愛し、人生の全てを捧げてきた「モノ作り」という神聖な儀式が、目の前で、無残に汚されていることに対する、敬虔な信徒の、聖なる怒りだった。
狼獣人の若い職人たちが、恐怖に顔を引き攣らせ、後ずさる。ガロウでさえ、そのあまりの剣幕に、声をかけることさえできない。
「……やってられるか。こんな、豚小屋以下の場所で、この俺が、仕事などできるものかッ!」
ドゥーリンは、そう言い放つと、踵を返し、小屋から出て行こうとした。
「――ならば、本物を作りましょう」
その、あまりにも冷静な声に、ドゥーリンの足が、ぴたりと止まった。
振り返ると、そこには、完璧なまでに無表情な顔で、しかし、その青い瞳だけは、挑戦的な光を宿したケイが、一枚の、巨大な羊皮紙を広げて立っていた。
そこに描かれていたのは、ドゥーリンが、見たこともない、しかし、一目で、その革新性を理解できる、炉の設計図だった。
独立した燃焼室。熱を反射させるための、緩やかなアーチを描く、ドーム状の天井。燃料と素材が、完全に分離された、溶解室。そして、強力な上昇気流を生み出すための、高く、真っ直ぐに伸びる煙突。
「これは、『反射炉』。火(燃料)と、鉄(素材)を、完全に分離する。これが、重要だ。直接触れさせないことで、燃料の不純物が、製品に混入するのを、防ぐ」
ケイは、SEの用語を交えながら、その構造を、淡々と説明していく。
「そして、この天井だ。このアーチで熱を反射させ、溶解室に集中させる。熱効率を最大化し、ブルマリー炉では到達不可能な高温を、安定して維持できる。いわば、熱のルーティングを、最適化するんだ」
その説明は、ドゥーリンの、職人としての魂を、根底から揺さぶった。
(馬鹿な……燃料と素材を、分けるだと? なんという、発想だ……。この天井の角度……この煙突の高さ……全てが、計算され尽くしている。これならば……これならば、俺が長年悩まされてきた、スラグの問題を、根本から、解決できる……!)
彼は、ほとんど、反射的に、羊皮紙をケイの手からひったくった。その、節くれだった指が、設計図の、一本一本の線を、まるで、愛しいものを撫でるかのように、なぞっていく。
「この、耐火煉瓦は、どうする!」
「この谷の粘土は、アルミナの含有率が高い。《アナライズ》の結果、摂氏1200度で焼成すれば、十分な耐火性を持つ」
「燃料の木炭の質は!」
「テツカシを、低温で蒸し焼きにすれば、最高の品質になる。そのための、炭焼き窯の設計図も、ここにある」
ドゥーリンの、矢継ぎ早の、専門的な質問に、ケイは、即座に、データに基づいた、完璧な答えを返していく。
その、あまりにも、高レベルな、技術者同士の対話。
それは、もはや、ガロウたちには、理解の及ばない、神々の領域の問答だった。
やがて、ドゥーリンは、わなわなと震えながら、その場に、膝をついた。
悔しさ、驚愕、そして、自らの知らなかった、新しい世界への、興奮。それら、全ての感情が、彼の、岩塊のような身体の中で、渦を巻いていた。
「…………分かった」
彼は、絞り出すような声で、言った。
「作ってやる。この俺の手で、この図面を超える、最高の炉をな!」
彼は、顔を上げた。その瞳には、もう、侮蔑の色はない。ただ、同じ高みを目指す、同業者に対する、敬意と、そして、ライバル意識だけが、燃え盛っていた。
「だが、一人では無理だ! この神聖な仕事には、手足となる、弟子が必要だ。そこらの、不器用な狼どもでは、話にならん!」
その、彼なりの、最大限の要求。
だが、ケイは、静かに微笑んだ。
「その点も、すでに、リソースの洗い出しは、済んでいる」
彼は、《プロジェクト・マネジメント》の権能を発動させると、小屋の隅で、恐々と成り行きを見守っていた、三人の若い狼獣人を、手招きした。
「彼が、ハク。器用さ(Dexterity)はB+。精密作業に向いている。彼が、リョク。耐久(Endurance)はA。長時間の力仕事に耐えられる。そして、彼が、シン。学習能力が高い。あなたの技術を、継承するのに、最適だ」
まるで、部下に、新しいツールのスペックを説明するかのように、ケイは、三人の若者の、能力を、淡々と、紹介した。
ドゥーリンは、その、三人の、まだ、あどけなさの残る顔を、じろり、と睨みつけた。彼は、三人の周りを、ぐるりと一周すると、その筋肉の付き方、骨格、そして、目の奥に宿る光を、値踏みするように、観察した。
「……フン。まだ、線は細いが、骨格は悪くない。目も、死んではおらんな」
彼は、にやり、と、恐ろしい笑みを浮かべると、三人の若者の前に、仁王立ちになった。
「いいか、小僧ども! 俺の仕事は、生半可な覚悟で、務まると思うなよ! 泣き言を言えば、ぶん殴る! 手を抜けば、蹴り飛ばす! 夜明けから日没まで、鉄と炎の地獄を、見せてやる!」
その、スパルタ教育の宣言に、三人の若者の顔が、ひきつる。
ドゥーリンは、そんな彼らの様子を、満足げに眺めると、傍らにあった、古い金槌を、彼らに、一本ずつ、投げ渡した。
そして、彼が指さしたのは、先ほどまで、彼自身が「冒涜の塊」と罵っていた、古い、古い、ブルマリー炉だった。
「――最初の仕事だ! あの冒涜の塊を、跡形もなく、破壊しろ! 俺たちの、新しい神殿は、あの瓦礫の上に、建てる!」
その言葉を合図に、三人の若者たちが、覚悟を決めたように、金槌を振り上げる。
ガウンッ! ガウンッ!
古い炉が、破壊されていく、その、力強い音。
それは、このフロンティア村に、真の「技術」という名の、新しい灯火が、灯った、産声の音だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ドワーフの爺様、ドゥーリンの職人魂が炸裂した回でした。彼の怒りは、何よりも深い『モノ作り』への愛の裏返し。まさにツンデレの鑑ですね(笑)。
ケイの設計とドゥーリンの神業が融合する時、フロンティア村に何がもたらされるのか。次回、ついに革新の炉が火を噴きます!
物語が面白い、ドゥーリンを応援したいと思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価を、何卒よろしくお願いいたします!