第33節: 技術顧問という名の外部ライブラリ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援、一つ一つが私の血肉となり、物語を紡ぐ糧となっております。
前回、ケイはその知識をもって伝説の工匠ドゥーリンの心を揺さぶりました。今回は、ついに二人の奇妙な共同作業が始まります。ケイの設計とドゥーリンの神業が交わる時、何が起こるのか。そして、彼らは無事に村の希望である『塩』を手にすることができるのでしょうか。
物語が大きく動き出す第33話、どうぞお楽しみください。
ドゥーリン・ストーンハンマーとの奇妙な契約が成立した瞬間から、塩の洞窟は、静かな熱気を帯びた開発現場へと変貌した。それは、ケイがこれまで経験したどのプロジェクトよりも、原始的で、しかし、洗練された共同作業の始まりだった。
「――ここだ」
ケイは、岩塩が埋まる広大な壁面の一点に、その小さな指先を置いた。彼の青い瞳には、常人には見えない、無数のデータラインが奔流のように流れている。
「《アナライズ》による構造解析の結果、このポイントの直下三メートルに、岩盤の強度が最も低い断層が存在する。ここを起点に、楔を打ち込めば、最小限の力で、最大規模の岩盤を剥離させることが可能だ」
その言葉は、予言者の託宣のようでありながら、物理法則に裏打ちされた、冷徹なシステム設計者の分析だった。
「……フン。小僧の戯言が、どこまで通用するか、見ものだな」
ドゥーリンは、白い髭の奥で悪態をつきながらも、その手は、驚くほど素直に動いていた。彼が、ケイの設計図通りに、たった数時間で打ち上げた、新型の鋼鉄の楔。その先端が、ケイの示した一点に、寸分の狂いもなく、当てがわれる。
そして、彼は、その小柄な身体からは想像もつかないほど、巨大な戦鎚を、大きく、振りかぶった。
ゴウッ、と、空気を切り裂く音。
次の瞬間、轟音と共に、楔は、まるでバターにナイフを入れるかのように、硬い岩盤へと吸い込まれていった。
ミシミシ、と、岩盤の奥深くで、悲鳴のような音が響き渡る。
「ガロウ! 支保工、急げ!」
ケイの号令が飛ぶ。
「おうよ、大将!」
ガロウ率いる狼獣人たちが、一斉に動いた。彼らは、ケイに教わったトラス構造の理論に基づき、切り出してきたテツカシの丸太を、驚くべき速さと正確さで組み上げていく。三角形が、力を最も効率的に分散させる。その、シンプルな、しかし、絶対的な真理が、彼らの作業から、一切の無駄を削ぎ落としていた。
頑丈な支保工が、亀裂の入った天井を支えた、その直後。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!
地響きと共に、数トンはあろうかという、巨大な岩塩の塊が、壁面から、ゆっくりと、剥がれ落ちた。
「「「おお……っ!」」」
狼獣人たちから、抑えきれない、歓喜の声が上がる。これまで、彼らが一日がかりで、ようやく手に入れていた量の、何十倍もの岩塩が、たった一撃で、目の前に現れたのだ。
ドゥーリンは、何も言わなかった。だが、その、戦鎚を握りしめる拳が、微かに震えているのを、ケイは見逃さなかった。それは、怒りではない。自らの常識を、目の前で覆された、一人の職人としての、純粋な、武者震いだった。
作業は、驚異的な速度で進んだ。
ケイが、神の視点から、最も効率的な採掘ポイントを特定する。
ドゥーリンが、その圧倒的な力と技術で、岩盤を砕く。
ガロウたちが、新しい建築理論で、安全を確保する。
そして、ルナリアは、洞窟内に自生する、栄養価の高いキノコや、湧き水を見つけ出し、皆の食事と休息を管理する。
それぞれの専門家が、自らの能力を、最大限に発揮し、そして、それが、完璧な一つのシステムとして、機能していく。
その光景は、ケイにとって、まさに、理想の開発現場そのものだった。
半日も経たないうちに、洞窟の入り口には、純白の岩塩が、小山のように積み上げられていた。それは、フロンティア村の民が、これから何年も、冬の飢えに怯えることなく、生きていけることを約束する、希望の光そのものだった。
◆
「……信じられねえ。本当に、やり遂げちまった……」
フロンティア村への帰路、ガロウは、背負った麻袋に詰め込まれた、ずっしりと重い岩塩の感触を確かめながら、何度も、同じ言葉を繰り返していた。その顔には、疲労の色よりも、大きな達成感が満ち溢れている。
一行の雰囲気は、行きとは比べ物にならないほど、明るかった。
ケイは、その、安堵に満ちた空気の中で、一人、冷静に、思考を巡らせていた。プロジェクトマネージャーの仕事は、一つのタスクが完了しても、終わらない。常に、次の課題を、見据えていなければならない。
彼の視線は、ガロウが肩に担いでいる、鋼鉄の槍へと向けられていた。
(……ハードウェアの、レビューを行う)
彼は、意識を集中させ、その槍に《アナライズ》を実行した。
▼ 対象:ガロウ・アイアンファングの槍
┣ 材質:鉄炭素合金(不均質)
┣ 製造法:ブルマリー法(直接製鉄法)によるものと推定
┣ 分析結果:
┃ ┣ 炭素含有量が不均一。部分的に、脆い鋳鉄の性質を持つ。
┃ ┣ スラグ(非金属介在物)の混入率、12.5%。強度の低下を招く主要因。
┃ ┗ 結論:高い技量で鍛えられてはいるが、素材そのものの品質に、根本的な問題を抱えている。
(……やはり、ブルマリーか)
ケイは、内心で、静かに頷いた。
ブルマリー炉。それは、鉄鉱石と木炭を、直接、炉の中で混ぜて燃焼させる、原始的な製鉄法だ。燃料と鉱石が接触するため、不純物が混じりやすく、温度管理も難しいため、出来上がる鉄の品質は、どうしても、不均一で、脆いものになる。
(……技術的負債だな)
それは、過去の技術的な制約の中で、選択された、最善ではあるが、最適ではない、解決策。その負債が、今、彼らの戦闘能力の、ボトルネックとなっている。
(……解決策は、明確だ。燃料と鉱石を、分離して加熱するシステム。すなわち、『反射炉』の導入だ)
反射炉。それは、燃焼室で発生させた熱を、ドーム状の天井で反射させ、離れた場所にある溶解室の温度を上げる、間接加熱式の炉だ。燃料が直接、鉄に触れないため、不純物の混入を、劇的に抑えることができる。そして、より高い温度で、より均質な、高品質な鉄を、大量に生産することが可能になる。
(……これが、僕たちの、次のシステム・アップグレードだ)
ケイの頭の中では、既に、新しいプロジェクトの、詳細な設計図が、描かれ始めていた。
その、ケイの思考を、遮るように、隣を歩いていたドゥーリンが、ぶっきらぼうに、話しかけてきた。
「……おい、小僧」
「なんだ、ドゥーリン殿」
「……貴様が言っていた、あの、荷物を運ぶ、車輪のついた箱……『とろっこ』とか言ったか。あれは、本当に、俺のソリよりも、効率が良いのか?」
その声には、まだ、疑いの色が混じっていた。だが、それ以上に、職人としての、純粋な、知的好奇心が、滲み出ているのを、ケイは見逃さなかった。
彼は、この、気難しい伝説の工匠を、どうやって、自分たちの村に、引き入れるべきか、その、最適解を、見出しつつあった。
◆
探索隊が、フロンティア村に帰還したのは、それから、二日後の、夕暮れ時だった。
彼らの姿を、見張り台が見つけた瞬間、村中に、喜びの鐘の音が、鳴り響いた。
「帰ってきたぞ!」
「探索隊が、お戻りだ!」
村人たちが、家の外へと飛び出し、門の前へと、殺到する。
そして、彼らは、その光景に、息を呑んだ。
ケイたち探索隊のメンバーが、その背に、肩に、山のような、純白の結晶を、担いでいたのだ。
「……塩だ……」
誰かが、か細い声で、呟いた。
「……塩を、持ち帰ってきてくれたんだ……!」
次の瞬間、地鳴りのような、歓声が、村全体を、揺るがした。
泣き崩れる老婆。抱き合って喜ぶ、若い夫婦。そして、何が起こったのか分からずに、ただ、大人たちの熱狂に、目を丸くする、子供たち。
それは、単なる、資源の確保を喜ぶ声ではなかった。
それは、冬という名の、絶対的な絶望に、自分たちのリーダーが、仲間たちが、確かに、打ち勝ってくれたという、魂からの、感謝と、安堵の、叫びだった。
ガロウは、その歓声の中心で、誇らしげに、胸を張った。
ルナリアは、涙ぐむ母親たちに囲まれ、その手を、優しく握り返していた。
ケイは、その、熱狂の渦の中で、一人、静かに、ドゥーリンの横顔を、窺っていた。
ドワーフの老人は、その、あまりにも、真っ直ぐで、温かい、感情の奔流に、戸惑っているようだった。その、髭に覆われた顔には、彼が、これまでの人生で、一度も浮かべたことのないであろう、複雑な表情が、浮かんでいた。
◆
その夜。ケイは、ドゥーリンを、村の、ある場所へと、案内していた。
「……ここが、僕たちの村の、心臓部だ」
ケイが、そう言って、扉を開けた先。
そこに広がっていたのは、熱気と、鉄の匂いに満ちた、薄暗い空間だった。
村の、鍛冶場だ。
中央には、粘土と石で固められた、原始的な、ブルマリー炉が、鎮座している。その脇では、数人の若い狼獣人が、汗だくになりながら、手動の鞴で、必死に、空気を送り込んでいた。
カン、カン、と、響く音は、力強いが、どこか、鈍い。
鍛えられている鉄は、赤く輝いてはいるが、その表面には、不純物が、まだら模様のように、浮かび上がっている。
ドゥーリンは、その光景を、見た、瞬間。
完全に、固まった。
彼の、黒い瞳が、信じられないものを見るように、大きく、大きく、見開かれる。
そして、次の瞬間。
彼の、百五十年の孤独と、頑固一徹のプライドを、根底から揺るがす、魂の絶叫が、洞窟よりも、さらに、狭い、その鍛冶場に、こだました。
「…………こ、これは、なんだあっ!!!!」
その声は、もはや、怒りではなかった。
それは、神聖な神殿に、泥を塗られた、敬虔な信徒の、悲鳴に、近かった。
「鍛冶場だと!? これが!? ……ふざけるなッ! これは、鍛冶場などではない! ただの、泥遊びの、砂場だッ! そして、貴様らが、鉄と呼んでいる、その、赤黒いゴミは、なんだ! あれは、鉄ではない! スラグを、こねくり回しただけの、ただの、クソの塊だッ!!」
彼は、わなわなと、震えながら、ケイの胸ぐらを、その、岩のような手で、掴み上げた。
「……小僧ッ! 貴様は、こんな、神をも恐れぬ、冒涜的な環境で、これまで、モノ作りを、してきたというのかッ!?」
その、あまりにも、純粋な、職人としての、怒りの奔流。
それこそが、ケイが、狙っていた、最後の、一押しだった。
ケイは、胸ぐらを掴まれたまま、静かに、そして、不敵に、微笑んだ。
「……そうだ。だからこそ、あなたが必要なんだ、ドゥーリン・ストーンハンマー」
彼は、ドワーフの老人を、まっすぐに見つめ返した。
「僕は、あなたに、この村の、『技術顧問』に、就任してもらいたい」
技術顧問。
その、誇り高い響き。
そして、目の前の、救いようのない、原始的な、開発環境。
ドゥーリンの心の中で、天秤が、大きく、大きく、揺れた。
人間は、嫌いだ。
だが、それ以上に、この、冒涜的な、モノ作りは、許せない。
この、哀れな、獣たちに、そして、この、生意気だが、どこか、憎めない、人間の小僧に、本物の「仕事」というものを、教えてやらねば、職人としての、我が魂が、許さん。
「……よかろう」
やがて、彼は、絞り出すような声で、言った。
「……ただし、勘違いするな。貴様らの、仲間になるわけではない。ただ、この、見るに堪えん、クソの山を、俺の、気が済むまで、マシにしてやるだけだ。……それと、俺専用の、工房と、最高の酒を、用意しろ。文句は、言わさんぞ」
その、あまりにも、素直ではない、承諾の言葉。
ケイは、心の中で、静かに、ガッツポーズをした。
(……外部ライブラリ、『Dourin.dll』、インポート完了。……実装には、いくつかの、例外処理が必要になりそうだが、これで、プロジェクト・フロンティアは、メジャーバージョンアップを、果たす)
こうして、伝説の工匠は、フロンティア村の、最初の、そして、最も、気難しい、仲間となった。
彼の、その、神業の如き技術が、この、生まれたばかりの村を、やがて、大陸の、どの国も、無視できないほどの、技術大国へと、押し上げていくことになるのを、まだ、誰も、知らなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
塩を求める旅は、無事に成功。そして、我らが大将ケイは、気難しいドワーフの爺様、ドゥーリンを、見事に仲間に引き入れました。彼の最後の口説き文句、「技術顧問」、いかがでしたでしょうか(笑)。
さて、これで『越冬プロジェクト』の最大のボトルネックは解消されました。そして、村には、大陸最高の技術力が加わりました。ケイの知識と、ドゥーリンの技術。この二つが融合する時、フロンティア村に、驚くべき技術革命が起こります。
その第一歩は、ドゥーリンが「クソの塊」と罵った、製鉄技術の改善から。次回、ケイが設計する、革新的な『反射炉』が、ついにその姿を現します!
「面白い!」「ドワーフ爺さんのツンデレ、最高!」「技術革新、ワクワクする!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、新しい炉に、最初の火を灯す力となります!
次回、本日15時半頃の更新を、どうぞお楽しみに。