第3節:要求仕様定義:穏やかな人生
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さて、前回は神様からまさかの補償プランを提示された主人公・慧。
今回は、彼が三十二年間の社畜人生の果てにたどり着いた、たった一つの願いを口にします。
その願いが、彼の新たな人生を、そして世界の運命を大きく動かすことになります。
それでは、本編へどうぞ。
ユニークスキル。
その言葉は、慧の思考回路に新たなプロセスを強制的に割り込ませた。
異世界転生という、あまりにも規格外な事象を前に、彼の精神は一種の防衛機制を働かせていた。すなわち、この状況を一つの巨大なプロジェクト、あるいは未知のシステムとして捉え、分析し、最適解を導き出すという、彼が三十二年間で培ってきた唯一にして最大の武器を行使しようとしていたのだ。
(要求仕様のヒアリングフェーズ、か)
慧は冷静に現状を分析する。
クライアントは神。提示されたプロジェクトは「異世界転生」。そして、ボーナスとして実装されるカスタム機能が「ユニークスキル」。
ここで感情的になって「生き返らせろ」だの「責任を取れ」だの騒ぎ立てるのは、最も非効率的な選択肢だ。それは、要件定義の場で「とにかくすごいものを作ってくれ」と叫ぶ無能な営業と同じ。結果として、手に入るものは何もないか、あるいは全く望まない欠陥品だけだ。
重要なのは、要求を明確に定義し、相手に伝えること。
では、自分の要求とは何か?
慧は、自らの短い人生を、デバッグモードでトレースするように振り返った。
物心ついた頃から、彼は常に何かに追われていた。受験戦争、就職活動、そして終わりのないデスマーチ。理不尽な納期、曖昧な指示、深夜の障害対応、鳴り響くアラート。自分の時間は常に他人の都合で上書きされ、精神はすり減り、身体は蝕まれていった。
彼が最後に望んだのは何だったか?
『せめて、穏やかに眠りたかった』
そうだ。それこそが、彼の魂の根源的な要求(Root Requirement)だった。
(最強の攻撃魔法? 不老不死? そんなものは、本質的な解決策じゃない)
最強の力を手に入れても、それを振るうことを他者から強制されるかもしれない。王族に生まれ変わっても、政争に巻き込まれるかもしれない。結局、他者の都合という名の外部要因に振り回される環境に置かれてしまえば、それは形を変えただけの「社畜」だ。
彼が求めるのは、力そのものではない。その力を行使するかどうかを、自分自身で決定できる「権利」だ。
(僕が望むのは……「搾取されない」こと。それも、あらゆる意味で)
時間も、労働力も、精神も、そして命さえも。他者の都合で理不尽に奪われないこと。
それが、藤堂慧というシステムが、三十二年間の過酷な運用テストの末に導き出した、唯一の答えだった。
要求は固まった。次は、それを実装可能な「仕様」に落とし込む必要がある。
「……スキルについて、いくつか質問があります」
慧は、静かに神へと問いかけた。
『なんでしょう。可能な範囲でお答えします』
「第一に、スキルの汎用性について。特定の状況下でしか機能しない、いわゆる『ピーキーな仕様』のスキルは望みません。どのような環境でも、安定して機能する汎用性が欲しい」
『なるほど。可用性の担保ですね。承知しました』
「第二に、拡張性。将来的に、状況の変化に応じて機能を拡張、あるいはカスタマイズできる余地はありますか。ハードコーディングされたような、融通の利かないスキルは避けたい」
『スケーラビリティの確保、ですか。興味深い要求です。考慮しましょう』
「第三に、自律性。僕の意思に関係なく、自動で発動したり、他者から強制的に利用されたりするような、バックドアや脆弱性は存在しないでほしい。スキルの全ての機能は、僕自身の明確なトリガーによってのみ実行されることを保証してください」
『……完全な所有権と、排他的実行権の要求。承りました。貴方は、実にシステムというものを理解している』
神を名乗る存在の声に、初めて感情らしきもの――感心、あるいは面白がるような響きが混じった気がした。
慧は、最後の、そして最も重要な要求を口にした。
「以上の要件を満たした上で、僕が望むのは、たった一つです」
彼は、無限の白が広がる空間で、確固たる意志を持って宣言した。
「もう誰にも理不尽に搾取されない、穏やかな人生を送るための能力。それが欲しい」
それは、最強の剣技でも、万能の魔法でもなかった。
ただ、静かに、平穏に生きたい。
デスマーチの果てに燃え尽きた男の、あまりにもささやかで、そして切実な願いだった。
その願いを聞いた神は、しばし沈黙した。
ノイズの集合体であるその姿が、高速で計算を行うCPUのように、激しく明滅する。
『……要求仕様、受理しました。定義:『誰にも搾取されない穏やかな人生』。この実現可能性について、シミュレーションを開始します』
神の言葉と共に、慧の周囲の空間に、無数の文字列や数式が滝のように流れ始めた。それは、慧が前世で見てきたどんなプログラムコードよりも複雑で、高次元的だった。
『……ケース1:物理的無敵性の付与。外部からの物理的干渉を完全に遮断。……棄却。精神的、経済的搾取に対応不可』
『……ケース2:絶対的権力の付与。王族、あるいは神格としての転生。……棄却。権力は更なる義務と責任を発生させ、『穏やかな人生』の定義とコンフリクトを起こす可能性が高い』
『……ケース3:隠遁生活への最適化。存在感を希薄にし、他者から認識されにくくする。……棄却。受動的な防衛策であり、能動的な脅威の排除に対応できない』
いくつもの可能性が検証され、そして棄却されていく。
慧は、その様子を固唾を飲んで見守っていた。自分の次の人生が、今まさにここで設計されているのだ。
やがて、神の明滅が収束し、再び平坦な合成音声が響いた。
『……シミュレーション、完了。最適解を導出しました』
「……それは?」
『貴方の要求、『誰にも搾取されない穏やかな人生』を最も効率的かつ恒久的に実現するソリューション。それは、受動的に身を守る能力ではありません。貴方自身が、貴方にとって『穏やか』で『搾取されない』環境を、能動的に設計・構築・運営する能力です。すなわち――』
神は、そこで一度言葉を切った。
ノイズの人型が、すうっと慧の目の前に近づく。
『貴方の要求を、我々は拡大解釈し、実装します』
「拡大、解釈……?」
それは、慧が前世で最も恐れた言葉の一つだった。クライアントの曖昧な一言を、営業が勝手に拡大解釈し、結果として現場に地獄が生まれる。その光景を、彼は嫌というほど見てきた。
『貴方が望んだのは、安全な家です。ですが、我々が提供するのは、その家を建てるための土地と、設計図と、無限の資材と、最高の建築技術です。家を建てるのも、城を築くのも、あるいは一つの国家を創り上げるのも、全ては貴方の裁量次第』
神が、ノイズでできた腕のようなものを、慧の意識体へと伸ばす。
その指先が、慧の胸に触れた。
『ユニークスキル【ワールド・アーキテクト】を付与します。これは、世界の理を解析し、物質を創造し、さらには社会という名のシステムをも構築する、世界最高の設計者としての権能です』
瞬間、慧の意識に、膨大な情報が流れ込んできた。
それは、理解不能なはずの、高次元の知識。世界の成り立ち、魔素の循環、魔法の術式、スキルの構造。まるで、巨大なシステムの仕様書を、脳に直接ダウンロードされるような感覚だった。
『転生プロセスを開始します。転生先:世界名エルドラ。座標:大陸南部、辺境域『見捨てられた土地』。初期アバター:ケイ・フジワラ。年齢:十歳。……健闘を祈ります、新たな世界の設計者よ』
神の言葉を最後に、慧の意識は、純白の光に包まれた。
それは、サーバーの電源を落とす時の、穏やかなシャットダウンとは違う。
全く新しいOSを、まっさらなハードディスクにインストールする時のような、希望に満ちた、力強い起動の光だった。
藤堂慧の人生は、ここで完全に終了した。
そして、少年ケイ・フジワラの物語が、今、始まろうとしていた。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
主人公の願いは「穏やかな人生」。しかし、神様から与えられたのは、国家さえ作れてしまう、とんでもないスキルでした。神様の拡大解釈、恐るべし……。
果たして、彼はこの強力すぎるスキルで、本当に「穏やかな人生」を手に入れることができるのでしょうか。
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次回、ついに異世界エルドラへ。少年ケイ・フジワラとして目覚めた彼が、最初に行うこととは?
次回本日お昼12時半ごろの更新をお楽しみに。