第28節<後編>:例外処理(Exception Handling):死線のアーキテクチャ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援、一つ一つが私の血肉となり、物語を紡ぐ糧となっております。
前回、強力な魔獣アーマー・ボア二体に遭遇し、絶体絶命の窮地に陥ったケイたち。リーダーであるケイが導き出したのは、仲間との完璧な連携なくしては成立しない、死と隣り合わせの危険な賭けでした。
手に汗握る戦闘シーン、そして、SEらしい彼の戦術の真骨頂を、ぜひご覧ください。
それでは、本編をお楽しみください。
「――今から、僕の言う通りに動いてくれ。コンマ一秒でも、ずれれば、全員、死ぬ」
ケイの言葉は、絶対零度の静けさをもって、洞窟の狭い空間に響き渡った。
その声には、恐怖も、焦りも、一切含まれていない。それは、大規模システム障害の発生時に、復旧手順を淡々と読み上げる、インフラエンジニアのそれだった。
その、あまりにも場違いな冷静さが、逆に、絶望的な状況に陥っていた狼獣人たちの心を、強制的に現実に引き戻した。
「……大将?」
ガロウが、信じられないものを見るような目で、ケイを見返す。目の前には、巨大な牙を持つ、山のような魔獣が二体、じりじりと距離を詰めてきているのだ。この状況で、一体何をしろと?
だが、ケイは、ガロウの疑問に答える時間さえ惜しんだ。彼の頭脳は、既に、この絶望的な状況を、一つの複雑な物理演算問題として捉え、その最適解を導き出していたのだ。
(敵リソース:アーマー・ボア二体。パラメータは筋力・耐久に極振り。敏捷性は低い。連携行動パターンは、つがいとしての相互援護。弱点は、首後ろの装甲の薄い一点のみ)
(味方リソース:戦闘員四名。うち、有効打を与えられるのはガロウのみ。非戦闘員二名。僕のスキルと、ルナリアの知識)
(環境変数:狭い洞窟入り口、雨による視界不良と、地面のぬかるみ)
これらのパラメータを、脳内で高速に組み合わせ、シミュレーションを繰り返す。
導き出された結論は、一つ。
――敵の圧倒的なパワーを、利用する。
「ガロウ!」
ケイの声が、洞窟内に鋭く響く。
「君と、他の戦士二名は、洞窟の入り口、左右の岩壁の上に登れ! すぐにだ!」
「なっ……! 上だと!?」
「いいから、行け! そこで、僕の合図があるまで、息を殺して待機!」
その、有無を言わせぬ気迫に、ガロウは一瞬ためらったが、すぐに頷いた。彼は、仲間たちに目配せすると、獣のような俊敏さで、濡れた岩壁を駆け上がっていく。
「ルナリア!」
「は、はい!」
「君の持っている薬草で、最も刺激の強い匂いを放つものはあるか? 奴らの嗅覚を、一瞬でも麻痺させられるような」
「あります! これは……鬼殺しの根。強烈な刺激臭で、ほとんどの獣は、これだけで逃げ出します!」
ルナリアは、革袋から、乾燥した、禍々しい形の木の根を取り出した。
「それを、今すぐ、すり潰して、水で溶け! そして、僕が合図をしたら、二体のうち、左側の個体の、鼻先めがけて、全力で投げつけろ!」
「わ、分かりました!」
ルナ-リアは、小さな薬研を取り出し、必死の形相で、硬い根を砕き始めた。
「そして、残りの戦士一名!」
ケイは、地上に唯一残った、若い狼獣人に向き直った。
「君は、僕のすぐ後ろに立て。そして、僕が合図をしたら、このマントを、二人で、左右に大きく広げるんだ。いいな?」
「お、おう!」
若い戦士は、緊張で顔を強張らせながらも、力強く頷いた。
指示は、全て出し終えた。
その間、わずか十数秒。
アーマー・ボアたちは、既に、洞窟の入り口まで、十メートルを切る位置まで、迫っていた。
フゴッ、フゴッ、という、荒い鼻息が、雨音に混じって、不気味に響いてくる。
(……第一フェーズ、開始)
ケイは、静かに、最後の魔素を練り上げた。
彼の視線は、二体の魔獣の、さらにその先の、地面の一点に、固定されている。
そこは、雨水が溜まり、ぬかるみとなっている、僅かなくぼ地。
「ルナリア、今だ!」
ケイの叫び声と同時に、ルナリアが、水で溶いた、強烈な刺激臭を放つ液体を、左側のアーマー・ボアめがけて、投げつけた。
液体は、放物線を描き、見事に、魔獣の鼻先で飛散した。
ブモオオオオオオッ!!
強烈な刺激臭に、アーマー・ボアが、狂ったように頭を振り、いなないた。その巨大な身体が、苦痛にのたうち回る。
その、相方の異常な様子に、右側の個体が、一瞬、気を取られた。
その、コンマ数秒の隙。
ケイは、それを見逃さなかった。
「《クリエイト・マテリアル》!」
彼は、脳内で、前世の化学知識を、総動員していた。
原油から精製される、極めて粘性が高く、摩擦係数の低い、潤滑油。その、分子構造を、完璧にイメージする。
そして、スキルを発動させた。
「――生成せよ、『高粘度潤滑オイル』!」
ケイの視線の先、ぬかるんだ地面の上に、無色透明の、しかし、どろりとした、油状の液体が、瞬時に、広範囲にわたって、生成された。
それは、雨水と混じり合い、完璧な、見えない罠となった。
刺激臭から逃れようと、半狂乱になった左側のアーマー・ボアが、ケイたちのいる洞窟めがけて、一直線に、突進してくる!
大地が、揺れる。
その、圧倒的な質量と、速度。まともに受ければ、人間など、一瞬で、肉塊と化すだろう。
だが、その突進が、ケイの罠の上を通過した、瞬間。
ズルッ!!!!
アーマー・ボアの、巨大な蹄が、摩擦力を失った地面の上を、滑った。
体勢を立て直そうと、もがけばもがくほど、その巨体は、バランスを失っていく。
そして、ついに、山のような身体が、轟音と共に、横倒しになった。
その、一瞬の、無防備な姿。
硬い装甲に覆われた身体の中で、唯一、柔らかい、首の後ろの急所が、完全に、天へと晒された。
「――ガロウ、今だッ!!」
ケイの、絶叫が、響き渡る。
その声は、もはや、合図ではなかった。
それは、岩壁の上で、息を殺して待ち構えていた、狼たちの、狩猟本能を解き放つ、引き金だった。
「ウォオオオオオオッ!!」
ガロウが、雄叫びを上げた。
彼は、その巨大な身体を、躊躇なく、岩壁から、宙へと躍らせた。
その手には、自らの体重の全てを乗せた、鋼鉄の槍が、握りしめられている。
他の二人の戦士もまた、彼の後に続いた。
三つの影が、流星のように、落下する。
そして、その、鋼鉄の切っ先が、寸分の狂いもなく、アーマー・ボアの、唯一の弱点へと、突き立てられた。
ブッシャアアアアアアアッ!!
魔獣の、断末魔の絶叫が、谷全体に、こだました。
夥しい量の血飛沫が、雨に混じって、降り注ぐ。
巨体は、数度、痙攣したが、やがて、その動きを、完全に、止めた。
(……第一ターゲット、排除完了)
ケイは、返り血を浴びながらも、冷静に、戦果を確認した。
だが、安堵している暇は、ない。
本当の、恐怖は、ここから始まるのだから。
グルルルルルルルルル……。
相方を、目の前で惨殺された、もう一体のアーマー・ボア。
その、小さな、濁った瞳が、憎悪と、狂気に、真っ赤に染まっていた。
鼻からは、溶岩のように、灼熱の蒸気が、噴き出している。
もはや、そこには、縄張りを守るという、理性的な思考はない。
ただ、目の前の、全ての敵を、八つ裂きにするという、純粋な、破壊衝動だけが、渦巻いていた。
ブモオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
天を衝くような、怒りの咆哮。
次の瞬間、その巨体は、先ほどの個体とは比較にならないほどの、凄まじい速度で、洞窟めがけて、突進を開始した!
「……来るぞ!」
ケイは、背後にいる、若い戦士に、叫んだ。
「合図を、待て!」
ガロウたちは、まだ、一体目の死骸の上で、体勢を立て直している最中だ。間に合わない。
この、絶望的な突進を、止める手段は、ない。
だから――。
(……受け流す!)
魔獣が、目の前、五メートルまで迫る。
その、巨大な牙が、自分たちの身体を、貫くイメージが、脳裏をよぎる。
若い戦士が、恐怖に、腰を抜かしそうになるのを、ケイが、その腕を掴んで、叱咤した。
「まだだ!」
三メートル。
二メートル。
一メートル。
「――今だッ!!」
ケイと、若い戦士は、ケイが《クリエイト・マテリアル》で生成しておいた、巨大な、防水性のマントを、二人で、左右いっぱいに、広げた。
それは、まるで、巨大な、壁のように、魔獣の眼前に、出現した。
視覚の悪いアーマー・ボアは、その、突如として現れた、巨大な障害物を、岩壁か何かと、誤認した。
その、思考が一瞬、停止した、コンマ数秒の隙。
「――捨てろ!」
ケイの号令で、二人は、同時に、マントを手放した。
ふわりと、宙に舞う、巨大な布。
アーマー・ボアは、その、実体のない壁を、その巨大な牙で、貫いた。
だが、そこには、何の手応えもない。
そして、その、全力の突進は、もはや、止めることができなかった。
ゴオオオオオオオオオオオオンッ!!!!
凄まじい、轟音。
アーマー・ボアの巨体は、がら空きになった洞窟の入り口を、そのまま通過し、その奥の、硬い、硬い、岩盤へと、激突した。
洞窟全体が、地震のように、激しく揺れる。
天井から、パラパラと、石屑が落ちてきた。
魔獣は、自らの突進の威力に耐えきれず、脳震盪を起こし、その場で、ぐらりと、膝をついた。
その、無防備な、背中。
その好機を、百戦錬磨の戦士長が、見逃すはずがなかった。
「――もらったァッ!!」
ガロウの、勝利を確信した、咆哮が、響き渡る。
彼は、一体目の死骸から、血塗れの槍を引き抜くと、返す刀で、二体目の、無防備な急所へと、その全霊を込めて、突き立てた。
断末魔の叫びを上げる、暇さえなく。
二体目のアーマー・ボアは、その場に、崩れ落ちた。
「…………はぁ、はぁ、はぁ……」
後に残されたのは、降りしきる雨音と、六人の、荒い、荒い、息遣いだけだった。
全員が、その場に、へたり込む。
誰もが、自分たちが、今、生きているという事実を、信じられない、といった表情で、目の前の、二つの、巨大な死骸を、見つめていた。
勝った。
あの、絶望的な状況から、生き延びた。
それは、奇跡ではなかった。
それは、一人の、異世界の建築家が、その頭脳と、スキルと、そして、仲間への信頼の全てを賭けて、設計し、そして、実行した、完璧な、例外処理の結果だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
手に汗握るアーマー・ボア戦、いかがでしたでしょうか。ケイのスキルと仲間たちの力が融合した、まさに「例外処理」と呼ぶにふさわしい、見事な連携でしたね。絶望的な状況を、知恵と勇気、そして信頼で乗り越えました。
さて、最大の危機を乗り越えた探索隊は、ついに目的地である『塩の洞窟』へとたどり着きます。しかし、そこで彼らを待っていたのは、塩ではなく、予想だにしない、新たな「出会い」でした。
物語が大きく動き出す次回、ぜひご期待ください。
「面白い!」「戦闘シーン、ハラハラした!」「ケイの作戦、すごい!」と思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、彼らの旅路を照らす光となります!
次回の更新は、本日15時半頃です。絶対にお見逃しなく。




