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第27節:ボトルネック:塩という名の必須ライブラリ

いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援、一つ一つが私の血肉となり、物語を紡ぐ糧となっております。

前回、ついに始動した『越冬プロジェクト』。絶望的な冬の脅威に対し、ケイは壮大な計画を提示しました。

今回は、その計画の根幹をなす「食料保存」の技術を、ケイが獣人たちにレクチャーします。しかし、彼の前世の知識は、この世界の常識とはかけ離れたもの。そして、計画には、ある致命的な「リソース不足」が潜んでいました。

それでは、第二十七話をお楽しみください。

『越冬プロジェクト』が始動して、フロンティア村は、まるで巨大な機械が動き出したかのような、機能的な熱気に包まれていた。

ケイの《プロジェクト・マネジメント》によって最適化された獣人たちは、自らの役割を完璧に理解し、驚異的な効率でタスクをこなしていく。森には、一日中、木を切り倒す斧の音と、土を掘り返す鍬の音が響き渡り、村の中では、新しい建物の骨組みが、次々と組み上がっていった。

その光景は、ケイにとって、理想的な開発現場そのものだった。明確な目標に向かって、全てのメンバーが、最高のパフォーマンスを発揮している。


だが、彼は知っていた。どんなに優れたプロジェクトでも、必ず「ボトルネック」は存在する、ということを。

全体の生産性を律速する、最も脆弱な工程。それを見つけ出し、解消することこそが、プロジェクトマネージャーの、最も重要な仕事の一つだ。


そして、そのボトルネックは、予想よりも、遥かに早く、その姿を現した。


その日の昼過ぎ。ケイは、村の中央広場に、狩猟チームと炊き出しチームのメンバーを集めていた。彼の目的は、プロジェクトの根幹をなす、食料保存技術のレクチャーだった。

広場には、ガロウ率いる狩猟チームが、今朝方仕留めてきたばかりの、巨大な森猪が二頭、横たえられている。その周りを、獣人たちが、期待と、少しの戸惑いが混じった表情で、遠巻きに囲んでいた。


「……さて、と」

ケイは、小さな身体に不釣り合いな、鋼鉄の解体用ナイフを手に、一同を見渡した。

「今から、この獲物を、冬の間も食べられる『保存食』へと加工する。君たちの常識とは、少し違うかもしれないが、僕の言う通りにやってみてくれ」


彼は、まず、森猪の皮を、手慣れた手つきで剥いでいく。その動きは、十歳の少年のものとは思えないほど、正確で、無駄がなかった。《アナライズ》によって、皮膚と肉の間の、最も薄い筋膜の層を、完璧に見切っているからだ。

獣人たちは、その神業のような解体技術に、感嘆の声を漏らす。


「まず、基本原則から説明する」

ケイは、肉を大きなブロックに切り分けながら、講義を始めた。

「肉が腐るのは、なぜか。それは、目に見えない、小さな生き物――僕の世界では『菌』と呼んでいた――が、肉を食べて、毒を出すからだ。そして、その菌が活動するためには、絶対に『水分』が必要になる」


彼は、肉の断面を指し示した。

「つまり、肉から水分を奪い、乾燥させることができれば、菌は活動できなくなり、肉は、長期間、腐らなくなる。これが、食料保存における、最も重要な基本設計思想だ」


水分と、腐敗の関係。

獣人たちは、経験則として、乾いた肉が長持ちすることは知っていた。だが、その理由を、これほど明確に、論理的に説明されたのは、初めてだった。彼らは、興味深そうに、ケイの言葉に聞き入っている。


「そのための具体的な実装方法は、三つある。一つ目が、『乾燥』だ」

ケイは、切り分けた肉の一部を、薄く、薄く、スライスしていく。

「こうして、肉を薄く切り、風通しの良い場所に吊るしておく。そうすれば、太陽の光と、風の力で、水分は自然と抜けていく。最もシンプルで、原始的な方法だ。いわゆる、干し肉だな」


「二つ目が、『燻製』だ」

彼は、次に、別の肉のブロックを指した。

「これは、煙で燻す方法だ。煙で燻すことで、肉の水分を飛ばすと同時に、煙に含まれる特殊な成分が、肉の表面に、見えない膜を張る。この膜が、外部から菌が侵入するのを防ぐ、天然の防衛システム(ファイアウォール)の役割を果たすんだ」


彼は、昨日、建築チームに作らせておいた、簡易的な燻製小屋を指さした。

「あの小屋の中で、煙が出やすい木材を、ゆっくりと燃やし続ける。そうすれば、数日間で、風味豊かで、長持ちする燻製肉が完成する」


そして、ケイは、最後の、そして、最も重要な方法について、語り始めた。

「三つ目が、『塩漬け』だ」


彼は、懐から、小さな革袋を取り出した。中には、彼が《クリエイト・マテリアル》で生成した、真っ白な塩の結晶が入っている。

「この、塩。これには、驚くべき力がある。肉に、この塩を大量にすり込むと、塩は、肉の中の水分を、強制的に外へと引きずり出すんだ。これを、『浸透圧』と言う」


彼は、肉のブロックに、塩をたっぷりと振りかけ、それを、力強く、すり込んでいく。

すると、数分も経たないうちに、肉の表面に、じわり、と水分が、汗のように滲み出てきた。

「おお……!」

獣人たちから、驚きの声が上がる。


「この方法が、最も確実で、そして、最も長期間、肉を保存できる。塩漬けにした後、さらに乾燥させたり、燻製にしたりすれば、一年以上も、その品質を保つことが可能だ」


ケイの説明に、獣人たちの顔が、ぱあっと明るくなった。

一年以上も、肉が持つ。

それは、彼らにとって、革命的な情報だった。これさえあれば、もう、冬の飢えに怯える必要はなくなる。


「すげえ……! すげえじゃねえか、大将!」

ガロウが、興奮したように、ケイの肩をバンバンと叩いた。

「これなら、いける! これなら、本当に、冬を越せるかもしれねえ!」


他の獣人たちも、口々に、喜びの声を上げる。

だが、その熱狂の中で、ケイだけが、冷静だった。

彼は、プロジェクトにおける、最大のリスクが、まさに、この瞬間に顕在化することを、予測していたからだ。


「……待て、ガロウ」

ケイは、ガロウの大きな手を制した。

「問題は、そこじゃない。問題は、この『塩』そのものだ」


「……塩?」

ガロウが、怪訝そうな顔をする。


「そうだ。この塩漬けという方法は、大量の塩を消費する。僕が今使った量だけでも、君たちが、普段の食事で、一週間かけて使う量よりも多いはずだ」

ケイは、静かに、核心を突いた。

「この村にある、塩の備蓄は、どのくらいだ?」


その問いに、広場の熱狂が、すうっと、潮が引くように、冷めていった。

獣人たちは、気まずそうに、顔を見合わせる。

やがて、炊き出しチームのリーダーである、猫獣人の老婆が、おずおずと、口を開いた。


「……大将様。……正直に、申し上げますと……。この村の塩は、もう、ほとんど、残っておりません。……今ある分で、せいぜい、次の満月まで、持つかどうか……」


その言葉は、獣人たちの心に、冷たい水を浴びせかけた。

そうだ。忘れていた。

この『見捨てられた土地』では、塩は、金よりも貴重なのだ。

彼らは、数ヶ月に一度、命がけで、森の奥深くにある、魔物が巣食う塩水湖まで赴き、そこで、わずかな塩水から、苦労して塩を作っていた。

それが、彼らが塩を手に入れる、唯一の方法だった。


「……そういうことだ」

ケイは、静かに頷いた。

「僕たちの『越冬プロジェクト』は、今、致命的なリソース不足という、重大な問題に直面している。塩がなければ、最も効果的な食料保存法である、塩漬けは実行できない。燻製や乾燥だけでは、三ヶ月分の食料を、安定して保存しきれる保証はない」


ボトルネック。

プロジェクト全体の成否を左右する、最大の障害。

それは、「塩」だった。


広場は、再び、重い沈黙に包まれた。

せっかく見えた希望の光が、また、消えかかっている。

獣人たちの顔に、再び、諦観の色が、浮かび始めた。


その、絶望的な空気の中で。

一人の、年老いた狼獣人が、おずおずと、手を上げた。

彼は、この集落の、最長老だった。


「……あのう、大将様」

その声は、弱々しく、そして、自信なさげだった。

「……わしの、爺様の、そのまた爺様の代から、伝わっておる、ただの言い伝えなんじゃが……」


長老は、周囲の視線に、少し気圧されながらも、言葉を続けた。

「……この山の、ずっと向こう……太陽が、三度、昇っては沈むほどの、遠い場所に、『塩の洞窟』があると、聞いたことが、ありますじゃ」


「塩の洞窟?」

ガロウが、訝しげに眉をひそめる。

「じいさん、そりゃ、ただのおとぎ話だ。子供を寝かしつけるためのな。そんなものが、本当に存在するわけが――」


「――詳しく、聞かせてくれ」


ガロウの言葉を遮ったのは、ケイだった。

彼の青い瞳が、真剣な光を宿して、長老を、まっすぐに見つめていた。

「その洞窟は、どんな場所にある? 何か、目印は? どんな些細な情報でもいい。覚えていることを、全て、話してほしい」


その、あまりの真剣さに、長老は、たじろいだ。

「え、ええと……確か、黒い岩が、天を突くようにそびえ立つ、谷の底にある、と……。洞窟の入り口には、決して枯れることのない、光る苔が生えている、とか……」


黒い岩。光る苔。

あまりにも、曖昧で、伝説めいた情報。

他の獣人たちは、「やはり、ただの作り話だ」と、呆れたような顔をしている。


だが、ケイの頭脳は、その曖ราな情報を、具体的な検索キーワードとして、高速で処理していた。

彼は、おもむろに、地面に、この辺り一帯の、広域な地形図を描き始めた。それは、《アナライズ》によって得た、正確な地理情報に基づいていた。


「……黒い岩。おそらく、火山活動によって形成された、玄武岩の一種。この辺りの地質構造から考えて、可能性があるのは、この三つのエリア」

彼は、地図上の、三箇所を、円で囲んだ。

「光る苔。夜間、魔素に反応して発光する、特殊な苔類だろう。僕が転生した場所の近くにあった、ヨルナキダケに似た性質を持つ可能性がある。そういった植物が生育可能なのは、湿度が高く、かつ、一定の魔素濃度が保たれている場所。……候補は、この二箇所に絞られる」


彼は、二つの円を、さらに大きな円で囲んだ。

「そして、塩の洞窟。……もし、それが、天然の岩塩鉱脈であると仮定するならば……」

彼の脳裏に、前世の地質学の知識が、フラッシュバックする。

古代の地殻変動、海の痕跡、そして、岩塩が形成されるための、地質学的な条件。

それらの膨大なデータを、この世界の地形図と、照合させていく。


やがて、彼は、木の枝の先端を、地図上の一点に、突き立てた。

それは、村から、北西へ、約五十キロメートル離れた、険しい山脈の、麓に位置する、深い谷だった。


「……ここだ」


ケイは、呟いた。

その声には、絶対的な、確信が込められていた。

「確率、87.5%。この場所に、大規模な岩塩鉱脈が、存在する」


その、あまりにも、断定的な言葉に、その場にいた、全ての者が、息を呑んだ。

ただの、おとぎ話。

誰もが、そう思っていた、曖見な情報から、彼は、たった数分で、具体的な場所と、その存在確率までを、導き出してみせたのだ。


「……本当か、大将」

ガロウが、信じられない、といった表情で、問いかける。


「ああ。もちろん、実際に行ってみなければ、確定はできない。だが、このまま、ここで何もしなければ、僕たちのプロジェクトが、失敗に終わる確率は、100%だ」

ケイは、立ち上がると、集まった獣人たちを、見渡した。

「――故に、僕は、この87.5%に、賭ける」


彼は、ガロウの、黄金色の瞳を、まっすぐに見据えた。


「探索隊を組織する。僕と、ルナリア、そして、ガロウ。君にも、来てもらう。その他に、この森の地理に詳しい、腕利きの戦士を、数名選抜してくれ」


それは、もはや、提案ではなかった。

リーダーとしての、明確な、命令だった。

その、揺るぎない決意を前に、もはや、異を唱える者は、誰もいなかった。


こうして、フロンティア村の、未来を左右する、重大なミッションが、決定された。

彼らは、まだ知らない。

その、塩を求める旅の先に、新たな出会いと、そして、この村の、技術レベルを、飛躍的に向上させることになる、頑固な、しかし、偉大な工匠との、運命的な邂逅が、待っていることを。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

『越冬プロジェクト』、早くも最大の壁にぶつかりました。そう、塩です。ファンタジー世界では、意外と見落とされがちな、しかし、生命維持に不可欠なこの資源。

絶望的な状況の中、古老の言い伝えという、細い蜘蛛の糸を手繰り寄せ、ケイはそのチートな分析力で、活路を見出しました。

果たして、彼らは無事に「塩の洞窟」にたどり着くことができるのでしょうか。

「面白い!」「塩、大事!」「ケイの分析、かっこいい!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、彼らの旅路を照らす光となります!

次回、ついに塩を求める冒険へ! しかし、冬が近づく森は、これまで以上に危険な貌を見せる――。

明日朝7時半頃の更新を、どうぞお楽しみに。

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