第23節:コーディング規約:最初のルールメイキング
いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援、一つ一つが私の血肉となり、物語を紡ぐ糧となっております。
前回、ついに彼らの新しい故郷「フロンティア村」が誕生しました。しかし、ハードウェア(村)が完成しただけでは、共同体は機能しません。
今回は、ケイがリーダーとして、村という組織を動かすための「ソフトウェア(ルール)」の導入に挑みます。前世の失敗経験を活かした彼の組織論は、誇り高き獣人たちに受け入れられるのでしょうか。
それでは、第二十三話をお楽しみください。
フロンティア村の誕生を祝う宴の熱狂は、一夜明けて、穏やかな、しかし確かな活気へと変わっていた。
朝日が新しい村の防壁を照らし、ログハウスの隙間から立ち上る炊事の煙が、人々の生活が確かにここにあることを示している。子供たちの笑い声が、以前よりもずっと明るく、屈託なく響き渡っていた。
誰もが、希望に満ちた朝を迎えていた。
だが、ケイだけは、その穏やかな光景の中に、微細な、しかし見過ごすことのできない不協和音を感知していた。
それは、朝一番の作業割り当ての際に起こった、ささいな出来事だった。
昨日までの建設作業は、ケイの《プロジェクト・マネジメント》スキルによって、半ば強制的に最適化されていた。だが、今日からは、彼らの自主性に任せる部分を増やそうと、ケイは詳細な指示を出すのを控えていたのだ。
すると、すぐに問題が露呈した。
「おい、そこのデカブツ! 昨日の残りのテツカシを、こっちの住居の補強に回せ!」
「あぁ? 何を言ってやがる。こいつは、見張り台の床板に使うんだ。大将の設計図にもそう書いてあったはずだ!」
「見張り台なんざ後回しでいいだろうが! まずは、女子供が寝る家の安全が最優先だ!」
「腕力しか能のない奴が、口出しするんじゃねえ!」
木材の所有権を巡って、伐採チームのリーダーと、建築チームのリーダーが、一触即発の雰囲気で睨み合っている。周囲の獣人たちも、どうしていいか分からず、遠巻きに見ているだけだ。
ケイは、静かにその様子を観察していた。
(……始まったか)
これは、彼が予測していた問題だった。
組織が、熱狂という名の初期ブーストを終え、定常運用フェーズに移行する際に、必ず発生する問題。すなわち、「ルールの不在」が引き起こす、リソースの競合と、コミュニケーションの断絶だ。
前世で、彼はこの手の光景を嫌というほど見てきた。
優秀なエンジニアたちが、それぞれの「正義」を振りかざし、互いに譲らず、結果としてプロジェクト全体が停滞していく。仕様書に書かれていない部分の解釈を巡って、部署間で責任を押し付け合う。
それらは全て、明確な運用ルールと、円滑なコミュニケーションの仕組みが欠如していることに起因する、人災だった。
このまま放置すれば、この村も同じ道を辿るだろう。
せっかく芽生えた希望は、やがて内輪揉めによって食い潰され、組織は崩壊する。
ハードウェア(村)がどれだけ立派でも、それを動かすソフトウェア(ルール)が貧弱であれば、システムは正常に機能しないのだ。
「――そこまでだ」
ケイの、子供とは思えないほど、冷静で、そして有無を言わせぬ声が、二人の獣人の間に割って入った。
ハッと我に返った二人は、自分たちのリーダーであるケイの姿を認めると、バツが悪そうに顔を伏せた。
「……すまねえ、大将。だが、こいつが……」
「言い分は、後で聞く。ガロウ、ルナリア。そして、各作業チームのリーダーは、僕の小屋に集まってくれ。……緊急ミーティングだ」
ケイのその言葉に、獣人たちは、緊張した面持ちで顔を見合わせた。
◆
新しく建てられた、リーダー用の小屋。その中には、村の主要メンバーが集まっていた。
中央にはケイ。その両脇を、ルナリアとガロウが固めている。そして、伐採、建築、狩猟、炊き出しといった、各チームのリーダーを務める、屈強な獣人たちが、緊張した面持ちで床に座っていた。
小屋の中は、重い沈黙に支配されていた。
誰もが、朝のいざこざが原因で、この場が設けられたことを理解していたからだ。
その沈黙を破ったのは、ケイだった。
彼は、クライアントへの障害報告を行う時のような、淡々とした口調で切り出した。
「まず、現状の認識を共有しよう。今朝、資材の配分を巡って、チーム間で対立が発生した。これは、特定の誰かが悪いという話ではない。これは、我々の組織が抱える、構造的な問題だ」
彼は、地面に、一本の線を引いた。
「これまでの僕たちは、『村を作る』という、一つの、明確な目標に向かって、僕のトップダウンの指示で動いてきた。これは、緊急時における、極めて効率的なプロジェクト管理手法だ。だが、これからは違う」
彼は、その線の先に、いくつもの枝分かれする線を描き加えた。
「村は、完成した。これからは、『村で生活する』という、終わりなき日常が始まる。そこでは、防衛、食料生産、インフラ維持、そして、将来的な発展という、複数の目標を、同時に、そして継続的に、達成していかなければならない。つまり、プロジェクトのフェーズが、開発から運用・保守へと移行したんだ」
獣人たちは、ケイの言葉の半分も理解できていないかもしれない。だが、彼が、極めて重要な話をしていることだけは、肌で感じていた。
「この新しいフェーズにおいて、トップダウンの指示だけでは、いずれ限界が来る。僕が倒れた時のように、僕という単一障害点(Single Point of Failure)に、組織全体の運命が依存する、極めて脆弱なシステムになってしまう。だから、僕たちは、新しい『ルール』を導入する必要がある」
ケイは、集まったリーダーたちの顔を、一人一人、順番に見つめた。
「僕が提案する、フロンティア村の最初のルールは、二つだけだ」
彼は、指を一本立てる。
「第一に、『能力に基づく、明確な役割分担』」
「……それは、今も、大将の指示でやっていることじゃねえか?」
ガロウが、もっともな疑問を口にした。
「違う。これまでは、僕が一方的にタスクを割り振っていた。だが、これからは、それを、村全体の『公式なルール』として制定するんだ」
ケイは、説明を続けた。
「ガロウ。君は、この村の、軍事と防衛における、最高責任者だ。防衛柵の維持管理、見張りの配置、戦士たちの訓練、そして、有事の際の現場指揮。その全てに関する最終決定権を、君に委譲する」
「……俺に、か?」
ガロウが、驚きに目を見開く。
「そうだ。もちろん、僕も相談には乗る。だが、最終的に決めるのは君だ。その代わり、君は、その決定に対する『責任』を負う。それが、リーダーというものだ」
ケイの視線が、他のチームリーダーたちへと移る。
「建築チームのリーダーは、住居の維持管理と、今後の増築計画の責任者。狩猟チームのリーダーは、村の食料確保の責任者。そして、ルナリア」
彼は、隣に座る少女へと向き直った。
「君は、この村の、医療と衛生管理における、最高責任者だ。薬の備蓄、病気の予防、そして、新しい薬の研究。その全てを、君に一任する」
ルナリアは、驚きながらも、その真紅の瞳に、強い決意の色を宿らせて、こくりと頷いた。
「……つまり、だ」
ケイは、全員に聞こえるように言った。
「これからは、僕が、全てをマイクロマネジメントするのではない。それぞれの専門分野のことは、その分野の専門家が、責任を持って判断する。そうすることで、組織全体の意思決定のスピードと、質を向上させる。これが、一つ目のルールだ」
リーダーたちは、ゴクリと喉を鳴らした。
自分たちに、権限と、そして責任が与えられる。その事実に、彼らの背筋は、自然と伸びていた。
「そして、二つ目」
ケイは、二本目の指を立てた。
「これが、最も重要なルールだ。『全ての対立は、暴力ではなく、対話によって解決する』」
その言葉に、獣人たちの間に、微かな動揺が走った。
彼らの社会では、最終的な対立の解決手段は、常に「力」だった。より強い者の意見が、通る。それが、彼らが知る、唯一のルールだったからだ。
その空気を読み取ったかのように、ケイは、静かに、しかし、力強く続けた。
「今朝の、木材の件。あれは、どちらも『村のため』を思っての主張だったはずだ。どちらが、より正しい、という話ではない。どちらも、それぞれの立場から見れば、正しい。だが、その『正しさ』がぶつかり合った時、それを腕力で解決しようとすれば、どうなる?」
ケイの問いに、誰も答えられない。
「……答えは、簡単だ。組織は、内側から崩壊する。仲間同士で傷つけ合い、不信感が生まれ、連携は失われる。そうなれば、僕たちは、人間や、魔物といった、外敵の脅威に対抗する前に、自滅するだろう」
それは、前世で、彼が何度も見てきた、プロジェクトの炎上パターンそのものだった。
優秀なエンジニア同士が、互いのプライドを賭けて対立し、結果として、システム全体が、修復不可能なほどのダメージを負う。
「だから、僕たちは、新しい解決策を導入する。それが、『対話』だ」
彼は、具体的な方法を提示した。
「毎日、朝一番に、この場所で、各チームのリーダーによる、定例会議を行う。前世では、『朝会』と呼んでいたものだ」
「ちょうかい……?」
「ああ。その場で、各リーダーは、三つのことだけを報告する。一つ、『昨日やったこと』。二つ、『今日やること』。そして、三つ、『困っていること』。……以上だ」
その、あまりにもシンプルなルールに、獣人たちは、拍子抜けしたような顔をした。
「今朝の件で言えば、建築チームのリーダーは、『困っていること』として、『住居の補強材が足りない』と報告する。それに対し、伐採チームのリーダーは、『見張り台の建設が遅れている』と報告する。そうすれば、問題は、村全体の『共有された課題』となる」
ケイは、説明を続ける。
「その上で、全員で、解決策を話し合うんだ。『見張り台の建設を一日遅らせて、先に住居の補強を終わらせよう』とか、『いや、森の別の場所から、補強用の木材を調達するチームを、新しく編成しよう』とか。そうやって、全員が納得できる、最適な解決策を、対話によって導き出すんだ」
それは、彼らにとって、革命的な発想だった。
問題を、一人で抱え込むのではない。全員で、共有し、解決する。
対立を、暴力で終わらせるのではない。言葉を尽くし、合意を形成する。
「……だが、大将」
ガロウが、腕を組みながら、もっともな反論を口にした。
「話し合いで、決着がつかなかった場合は、どうするんだ? 結局、最後は、誰かが決めなければ、物事は進まねえ」
「その通りだ」
ケイは、即座に頷いた。
「だから、そのための、最終的な意思決定者が必要だ。そして、その役目は、僕が担う」
彼の青い瞳が、その場にいる全員を、射抜くように見つめた。
「君たちには、対話によって、最善の策を模索する義務がある。だが、それでも結論が出ない場合、あるいは、緊急の判断が必要な場合は、僕が、リーダーとして、最終的な決定を下す。そして、その決定に対して、全ての責任を負う。……それで、不満はあるか?」
その言葉に、反論できる者はいなかった。
彼の提案は、あまりにも合理的で、そして、公平だったからだ。
それは、個々の能力を最大限に活かしつつ、組織としての統一性を保ち、そして、リーダーが、その全ての責任を負うという、完璧なまでに洗練された、組織運営の設計図だった。
ガロウは、大きく、息を吐いた。
そして、その傷だらけの顔に、初めて、心からの笑みを浮かべた。
「……分かったぜ、大将。面白い。やってやろうじゃねえか。その、『ちょうかい』とやらを」
その言葉を皮切りに、他のリーダーたちも、次々と、力強く頷いた。
彼らの瞳には、もう、迷いはなかった。
こうして、フロンティア村の、最初の、そして、最も重要な二つのルールが、制定された。
それは、まだ、法典というには、あまりにも素朴なものだったかもしれない。
だが、それは確かに、この村を、単なる獣人の寄せ集めから、一つの、理想を共有する、強固な組織へと生まれ変わらせる、最初の、そして、最も重要な、一歩となったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
村というハードウェアに、ついにルールというソフトウェアが実装されました。ケイの提唱する「朝会」、社会人経験のある方なら、ニヤリとしてしまったかもしれませんね(笑)。
彼の前世での失敗経験が、この異世界で、確かな強みとして活かされていきます。
さて、村の基盤も固まり、いよいよ物語は第一巻の最終章へと向かいます。
「面白い!」「ケイの組織論、勉強になる!」「ガロウたちがどんどん頼もしくなっていく!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、フロンティア村の未来を、より強固なものにします!
次回、フロンティア村、堂々の完成。しかし、その平穏な光景を、遠くから見つめる、不穏な影が……。第一巻、最終話です。
本日お昼12時半頃の更新を、どうぞお見逃しなく。