第22節:ネーミング:変数の宣言と初期化
いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援、一つ一つが私の血肉となり、物語を紡ぐ糧となっております。
前回、獣人たちの熱い想いを受け、ケイは彼らの新しい故郷に名前を授けることを決意しました。
リーダーとして、建築家として、彼がこの村に与える名前とは。そして、その名前に込められた意味とは。
第一巻のクライマックスが、ここから始まります。
それでは、第二十二話をお楽しみください。
静寂が、広場を支配していた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、五十人を超える獣人たちが、ただ息を殺して、一人の少年の言葉を待っている。篝火の炎がはぜる音だけが、やけに大きく響き渡っていた。
全ての視線が、期待と、信頼と、そして未来への祈りを込めて、ケイに注がれている。
(……村の名前、か)
ケイは、その重圧を、物理的な質量を持つかのように感じていた。
名前。それは、単なる記号ではない。
それは、対象の本質を定義し、その存在に意味を与える、最も根源的なプログラムコードだ。
前世で、彼は何度も経験してきた。杜撰なネーミングが、いかにプロジェクトを混乱させ、バグの温床となるかを。意味不明な変数名、実態と乖離した関数名。それらは、システムの可読性を著しく低下させ、未来のエンジニアたちを永遠に苦しめる呪いとなる。
だからこそ、彼は、慎重にならざるを得なかった。
この村に、どんな名前を与えるべきか。
ガロウの一族の名を取って、「銀牙の村」とするか?
いや、それは違う。それでは、この村が狼獣人族だけのものであると定義してしまう。彼が目指すのは、全ての種族が共存できる場所だ。排他性を内包する名前は、将来的なバグの原因となる。
では、この土地の名を取って、「谷間の村」のような、単純な名前はどうか?
それもまた、違う。それでは、この村が、ただの地理的な点でしかないと定義してしまう。この村は、単なる場所ではない。一つの、大きな理想を掲げた、始まりの場所なのだ。
彼の脳裏に、数日前にガロウに語った、自らの理想が蘇る。
『全ての種族が、理不尽に搾取されることなく、尊厳をもって生きられる場所』
その理想を、一つの単語で表現するならば、何が最も相応しいだろうか。
ケイは、静かに、集まった獣人たちの顔を見渡した。
傷だらけの、しかし誇り高い戦士の顔。
苦労を重ねてきた、しかし優しい母親の顔。
そして、未来への希望に瞳を輝かせる、子供たちの顔。
彼らは、皆、過去に何かを失い、虐げられ、そして、この『見捨てられた土地』へと流れ着いた者たちだ。
彼らは、過去から逃げてきた。だが、この場所は、単なる逃げ場所であってはならない。
ここは、新しい未来を、自らの手で切り拓くための、始まりの場所でなければならない。
開拓。
そうだ。僕たちは、ただ生き延びるのではない。新しい生き方を、新しい社会を、この未開の地で、ゼロから開拓していくのだ。
僕たちは、開拓者だ。
その思考が、一つの言葉へと、収束していく。
前世の、彼の母国語ではない。だが、その言葉が持つ、力強く、そして、未来志向の響きを、彼は知っていた。
ケイは、一度、深く息を吸い込んだ。
そして、集まった全ての獣人たちの心に、直接語りかけるように、静かに、しかし、明瞭な声で、その名前を告げた。
「この村の名前は、『フロンティア』とする」
「……ふろんてぃあ?」
ガロウが、聞き慣れない言葉に、怪訝そうな顔で問い返した。他の獣人たちも、ざわざわと囁き合っている。それは、彼らが使うどの言葉にも、似ていなかった。
ケイは、静かに頷いた。
「ああ、フロンティアだ。僕がいた世界の言葉で、『開拓の最前線』という意味を持つ」
彼は、ゆっくりと、その名前に込めた意味を、語り始めた。
その声は、もう、ただの十歳の少年のものではなかった。それは、一つの共同体の未来を定義する、リーダーの声だった。
「僕たちは、ただ、人間から逃げて、この土地に隠れ住むために、この村を作ったのではない」
彼の言葉が、獣人たちの心を、静かに捉えていく。
「僕たちは、戦うために、ここにいる。だが、その戦いは、人間への復讐のためではない。憎しみの連鎖を、断ち切るための戦いだ」
彼は、ガロウの黄金色の瞳を、まっすぐに見つめた。
「僕たちが戦うべき本当の敵は、人間という種族ではない。この世界に蔓延る、『理不尽』そのものだ。力が弱いというだけで、種族が違うというだけで、一方的に尊厳を踏みにじられ、搾取される。その、歪んだ世界のシステムこそが、僕たちの、本当の敵だ」
彼の言葉に、獣人たちは、息を呑んだ。
彼らは、これまで、自分たちの苦しみの原因を、ただ漠然と「人間」という存在に求めてきた。だが、ケイは、そのさらに奥にある、もっと根源的な問題点を、明確に言語化してみせたのだ。
「だから、僕たちは、開拓者になる」
ケイの小さな拳が、強く握りしめられる。
「僕たちは、この『見捨てられた土地』を、新しい価値観の、最前線にする。ここでは、種族も、生まれも、過去も関係ない。ただ、互いを尊重し、助け合い、そして、自らの力で未来を切り拓こうとする意志を持つ者だけが、仲間だ」
彼の視線が、ルナリアへと向けられる。ルナリアは、その強い視線を受け止め、静かに、しかし、力強く頷き返した。
「僕たちは、この村を、一つの証明にするんだ。狼も、兎も、そして、いつか来るかもしれない、猫も、蜥蜴も、人間さえも。全ての種族が、手を取り合って、平和に暮らせるのだという、動かぬ証拠を、この地に打ち立てる」
彼の言葉は、もはや、ただの演説ではなかった。
それは、一つの、壮大なプロジェクトの、基本設計思想の開示だった。
「だから、フロンティア。僕たちは、常に、最前線に立つ者。古い価値観を打ち破り、新しい時代を切り拓く、開拓者だ。その誇りを、その使命を、この村の名前に、刻み込みたい」
ケイは、語り終えると、集まった獣人たちを、静かに見渡した。
「……どうだろうか。この名前に、賛成してくれるか?」
広場は、水を打ったように、静まり返っていた。
獣人たちは、まだ、ケイの語った、あまりにも壮大な理想を、完全には消化しきれていないようだった。
だが、彼らの瞳には、先ほどまでの困惑の色はない。
代わりに、そこには、魂を根底から揺さぶられたような、深い、深い感動の色が浮かんでいた。
自分たちは、ただの逃亡者ではない。
自分たちは、新しい時代を創る、開拓者なのだ。
その言葉が、彼らが失いかけていた、種族としての、そして、個人としての「誇り」を、力強く呼び覚ましていた。
その沈黙を、破ったのは、やはり、ガロウだった。
彼は、ゆっくりと、その巨大な石斧を、地面から拾い上げた。
そして、それを、天に向かって、高く、高く、突き上げた。
「ウォオオオオオオオオオオオオッ!!」
それは、狼の、魂の雄叫び。
その叫びに、全ての想いが、込められていた。
「『フロンティア』! いい名前じゃねえか! 俺たちの村に、これ以上相応しい名前はねえ!」
ガロウの叫びが、起爆剤となった。
次の瞬間、広場にいた全ての獣人たちが、一斉に、武器を、拳を、天に突き上げ、地鳴りのような、歓声を上げた。
「「「フロンティア! フロンティア! フロンティア!」」」
その声は、一つの、巨大なうねりとなって、夜空へと響き渡っていく。
それは、単なる村の名前が決まった瞬間ではなかった。
それは、出自も、過去も、種族さえも異なる者たちが、一つの、共通の理想の下に、真の意味で、一つの共同体として、誕生した瞬間だった。
ケイは、その、魂を揺さぶるような歓声の奔流に包まれながら、静かに、目を閉じた。
彼の脳裏に、プロジェクト管理ツールの、最後のタスクが表示される。
プロジェクト・フロンティア:
基本設計フェーズ、完了。
これより、システム実装フェーズへと移行する。
彼は、ゆっくりと、目を開けた。
隣では、ルナリアが、その真紅の瞳を、美しい涙で潤ませながら、嬉しそうに、微笑んでいた。
目の前では、ガロウが、傷だらけの顔を、くしゃくしゃにしながら、子供のように、笑っていた。
(……ああ)
ケイは、心の底から、思った。
(……悪くない。こういう人生も、悪くない)
彼が最初に望んだ「穏やかな人生」とは、少し、いや、かなり違うかもしれない。
だが、この、胸の奥から湧き上がってくる、熱い、温かい感情は、決して、悪いものではなかった。
こうして、後に大陸の歴史にその名を刻むことになる、全ての始まりの場所――『フロンティア村』は、この日、この瞬間、確かに、産声を上げたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに、彼らの故郷に「フロンティア村」という名前が与えられました。その名前に込められた、ケイの壮大で、そして温かい理想が、少しでも皆様の心に響いていれば幸いです。
さて、村には名前が与えられ、住民の心も一つになりました。しかし、共同体が大きくなれば、必ず新たな問題が発生します。
次回、ケイは、村を真の共同体とするための、次なる一手――「ルール」の制定に取り掛かります。
「面白い!」「フロンティア村の誕生に感動!」「これからの展開が楽しみ!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、フロンティア村の未来を築く、最初のレンガとなります。
次回の更新は、明日朝7時半頃です。どうぞ、お楽しみに。