第20節:要求仕様定義:理想のアーキテクチャ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様からの応援、一つ一つが私の血肉となり、物語を紡ぐ糧となっております。
前回、ガロウの壮絶な過去が語られ、ケイ、ルナリア、そしてガロウの三人の間には、確かな絆が生まれました。
今回は、第一章の締めくくりにふさわしい、物語の核心に触れる回となります。
ケイが本当に望む「穏やかな人生」とは何なのか。彼がこの世界で成し遂げようとしている、壮大なプロジェクトの全貌が、ついに語られます。
それでは、第二十話をお楽しみください。
ガロウの魂の叫びにも似た誓いの言葉は、小屋の空気を震わせ、燃え盛る炎の音に溶けていった。
それは、一個人がリーダーに示す忠誠というよりも、絶望の淵から這い上がった一つの種族が、その未来を、たった一人の少年に託すという、重い、重い儀式だった。
ケイは、その重さを、全身で受け止めていた。
彼の小さな両肩に、五十人分の、いや、ガロウが失った全ての同胞たちの想いまでもが、ずしりと乗しかかっている。
前世で彼が背負っていた、プロジェクトの納期や、サーバーの安定稼働といった責任とは、比較にさえならない、生命そのものの重さ。
普通の十歳の少年であれば、その重圧に押し潰されていただろう。三十二歳の精神を持つケイでさえ、息が詰まるような感覚に襲われた。
だが、彼は逃げなかった。
静かに、そして深く、一度だけ頷くと、彼は片膝をついたままのガロウに、静かに語りかけた。
「……その誓い、確かに受け取った。だが、ガロウ。君は、まだ僕のプロジェクトの、本当の目的を理解していない」
「……大将?」
ガロウが、訝しげに顔を上げる。
「君は、僕が作る場所に、君たちの未来があると言った。それは、半分正しくて、半分間違っている」
ケイの言葉に、ガロウだけでなく、隣で成り行きを見守っていたルナリアも、不思議そうな顔で首を傾げた。
ケイは、ゆっくりと立ち上がると、小屋の中を歩き始めた。その小さな影が、炎の光を受けて、壁に大きく揺らめく。
「僕が最初に望んだのは、何だったか。……『誰にも理不尽に搾取されない、穏やかな人生』。それだけだった。それは、今も変わらない、僕の根本的な要求仕様だ」
彼は、そこで一度、言葉を切った。そして、自らの胸に手を当て、自分自身に問いかけるように、呟いた。
「だが、この世界に来て、僕は学んだ。僕一人が『穏やか』でいられる場所など、この世界のどこにも存在しない、ということを」
彼の脳裏に、これまでの出来事が、ログファイルのように再生されていく。
魔物に襲われ、瀕死の状態だったルナリア。
人間による、残虐な奴隷狩りの痕跡。
そして、故郷を焼かれ、仲間を殺され、絶望の淵で生きてきた、ガロウたちの姿。
「この世界は、システムとして、根本的な欠陥を抱えている」
ケイの声のトーンが、変わった。それは、もはや十歳の少年のものではなく、巨大な欠陥システムを前にした、熟練のシステムアーキテクトの、冷徹な分析者の声だった。
「ガロウ、君たち銀牙族の悲劇は、単に人間が悪だったから起きたわけじゃない。それは、もっと構造的な問題だ」
彼は、地面を指さし、そこに木の枝で、簡単な図を描き始めた。
「ここに、君たちの集落があったとする。そして、ここに、人間の村があった。両者の間には、まず、圧倒的な『技術格差』が存在した。君たちは石器を使い、彼らは鉄器を使っていた。この時点で、純粋な戦闘力において、大きなアドバンテージの差が生まれる」
彼は、二つの円の間に、一本の太い線を引いた。
「次に、『組織力格差』。君たちは、血縁を中心とした、小規模な『部族』という共同体だった。だが、彼らは、『国家』という、より大きく、より複雑なシステムに属していた。国家は、税を徴収し、常備軍を組織し、法を制定する。個々の力では君たちが上回っていても、組織全体の力では、比較にさえならない」
彼は、人間の村を、さらに大きな円で囲み、『リオニス王国』と書き加えた。
「そして、最も根深い問題が、『思想的対立』だ。彼らの根底には、『人間至上主義』という、排他的な思想がある。彼らにとって、君たちは、対等な交渉相手ではなく、森を占拠する『賢い獣』、あるいは、利用価値のある『資源』でしかなかった。対話のテーブルにつくという選択肢が、最初から存在しなかったんだ」
技術、組織、思想。
この三つの、圧倒的な格差。
それらが組み合わさった時、ガロウたちの悲劇は、必然として起こったのだ。
「僕が、今ここで、君たちに鋼の武器を与え、強固な村を作ったとしよう。それで、問題は解決するだろうか? いや、しない」
ケイは、きっぱりと断言した。
「それは、単なる対症療法だ。一時的に、人間の侵略を退けることはできるかもしれない。だが、彼らは、さらに大きな力で、再び君たちを潰しに来るだろう。そして、その憎しみの連鎖は、永遠に終わらない」
ガロウも、ルナリアも、息を殺して、ケイの言葉に聞き入っていた。
彼の語る言葉は、彼らが肌で感じてきた、この世界の理不尽さの正体を、恐ろしいほど正確に、そして、冷徹に解き明かしていたからだ。
「だから、僕が本当に作らなければならないのは、ただの安全な村じゃない」
ケイは、地面に描いた図の中心を、木の枝で、強く指し示した。
「僕が作るのは、この世界の、全ての理不尽を修正するための、全く新しい『システム』そのものだ」
彼の青い瞳が、炎の光を反射して、神々しいほどの輝きを放つ。
「僕が作る場所は、特定の種族だけが安住できる場所じゃない。狼獣人も、兎族も、あるいは、人間さえも。全ての種族が、互いの違いを認め合い、尊重し、そして、対等な立場で共存できる、新しい社会だ」
彼は、ルナリアに向き直った。
「ルナリア。君のような、優れた知識と技術を持つ者が、ただ『亜人だから』という理由だけで、その才能を正当に評価されず、怯えて暮らす必要のない社会だ」
次に、彼はガロウに向き直った。
「ガロウ。君のような、仲間を守るために戦う、誇り高き戦士が、ただ『獣だから』という理由だけで、野蛮だと蔑まれ、その尊厳を傷つけられることのない社会だ」
そして、彼は、自らの胸に、小さな拳を当てた。
「そして、僕のような、ただ『穏やかに生きたい』と願うだけの者が、他者の都合で、そのささやかな願いさえも踏みにじられることのない、そんな社会だ」
彼の言葉は、もはや、ただの夢物語ではなかった。
それは、ユニークスキル【ワールド・アーキテクト】を持つ彼だからこそ描ける、具体的で、そして実現可能な、壮大なシステムの設計図だった。
「全ての種族が、理不尽に搾取されることなく、尊厳をもって生きられる場所を作りたい」
その言葉は、静かだったが、小屋の中の、全ての魂を震わせた。
それは、ケイが、この世界で初めて、自らの意志で定義した、彼自身のプロジェクトの、本当の目的だった。
彼が最初に望んだ「穏やかな人生」という、個人的で、ささやかな願いは、仲間との出会いを経て、いつの間にか、世界そのものを救済するという、巨大な理想へと昇華されていたのだ。
最初に、反応したのは、ルナリアだった。
彼女は、いつの間にか、その真紅の瞳を、涙で潤ませていた。
だが、それは、悲しみの涙ではない。
感動と、そして、共感の涙だった。
彼女は、ずっと、ケイの合理性の裏にある、本当の優しさを感じ取っていた。だが、これほどまでに、温かく、そして、大きな理想を抱いていたとは、想像もしていなかった。
彼女は、そっとケイの隣に歩み寄ると、何も言わずに、彼の手に、自らの手を重ねた。それだけで、彼女の全ての想いは、ケイに伝わっていた。
そして、ガロウ。
彼は、片膝をついたまま、ただ、呆然と、ケイの顔を見上げていた。
彼が、故郷を失って以来、ずっと抱き続けてきた、人間への憎しみ。亜人としての、拭い去れない劣等感。
それら全てが、ケイの語る、あまりにも大きく、そして、あまりにも眩しい理想の前に、ちっぽけなものに思えた。
人間も、亜人も、全ての種族が、尊厳をもって生きられる場所。
そんな世界が、本当に存在するなどと、彼は、考えたことさえなかった。
だが、目の前の少年は、それを、本気で創り出そうとしている。
そして、自分たちを、その最初の仲間として、必要としてくれている。
ガロウの、傷だらけの顔が、ゆっくりと、持ち上がった。
その黄金色の瞳に宿っていた、長年の絶望の影は、完全に消え去っていた。
代わりに、そこには、新しいリーダーに、そして、そのリーダーが示す未来に、自らの全てを捧げることを決意した、誇り高き戦士の、燃えるような光が宿っていた。
「……ああ。分かったぜ、大将」
彼は、立ち上がると、その大きな拳で、力強く、自らの胸を叩いた。
「あんたが作ろうとしているのは、ただの村じゃねえ。……『国』だ。俺たちの、新しい、故郷となる、国だ」
その言葉に、ケイは、静かに、そして、力強く、頷き返した。
こうして、三人の間に、真の絆が生まれた。
元・社畜SEの建築家。
天才的な兎族の薬師。
そして、故郷を失った狼獣人族の戦士長。
出自も、種族も、能力も、全く異なる三人が、一つの、あまりにも壮大な理想の下に、集った。
それは、まだ、誰にも知られていない、歴史の片隅での、小さな出来事。
だが、それは確かに、この世界の理不尽なシステムに、最初の亀裂を入れる、大きな、大きな一歩だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに、ケイの口から、この物語の真の目的が語られました。彼の「穏やかな人生」は、仲間を得て、世界を再設計するという壮大な目標へと進化しました。
そして、ガロウとルナリアも、彼の最初の、そして最も信頼できる仲間として、その理想を共有しました。
これで、物語の序章ともいえる第一巻の、主要なテーマが出揃ったことになります。
「面白い!」「壮大な話になってきた!」「この三人が好き!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、彼らの国作りの、最初の礎となります。
次回、ついに彼らの新しい村に、名前が与えられます。そして、あと4話で第一章、堂々の完結です。
本日19時半頃の更新を、どうぞお楽しみに。