第2節:インシデント報告:致命的エラーについて
第一話に、早速のブックマーク、そして温かい評価をいただき、誠にありがとうございます。作者として、これほど嬉しいことはありません。
さて、物語は第二話へと進みます。
無限の白の中で、主人公・慧が出会った謎の存在。その正体と、慧を待ち受ける運命が、今回明らかになります。
それでは、本編をお楽しみください。
目の前に現れたノイズの集合体。それは人の形をしていながら、明確な輪郭を持たず、まるで古いブラウン管テレビに映る「砂嵐」を無理やり三次元に固定したかのようだった。その存在から発せられる、感情の乗らない合成音声が、再び慧の意識に直接響き渡る。
『自己紹介が遅れました。私は、当次元クラスターに属する各世界の事象を管理する、システム管理者です。便宜上、「神」と認識していただいても構いません』
「……神」
慧は、その単語を頭の中で反芻した。あまりにも突拍子もない言葉だ。だが、この非現実的な空間と、目の前の常識外れの存在を前にしては、その言葉が奇妙な説得力を持って響いた。システム管理者、という補足も、慧にとっては馴染み深い単語だった。
混乱はしていたが、慧の思考はシステムエンジニアとしてのそれに戻りつつあった。
未知のシステムに遭遇した時、まずやるべきことは何か。
現状把握と情報収集だ。
「……状況が理解できません。ここはどこで、私はどうなったのですか。あなたは、一体何者なのですか」
問いを、なるべく簡潔に、そして具体的にスタックに積んでいく。感情的な言葉はノイズになるだけだ。必要なのは、正確な情報。
人型のノイズ――神を名乗る存在は、慧の問いに対して、淀みなく応答を返した。
『ここは、物質世界と高次元情報空間の狭間にある、いわばデバッグルームのような領域です。そして、貴方、藤堂慧さんの状態についてですが……単刀直入に申し上げますと、貴方の生命活動は、既に完全に停止しています』
「……死んだ、ということですか」
『はい。地球時間、××年×月×日 午前四時三十三分十六秒。貴方の所属していたプロジェクトのサーバー室にて、心筋梗塞による心停止。それが、貴方の生命活動の最終ログです』
淡々と、事実だけが告げられる。まるで、サーバーのクラッシュレポートを読み上げるかのように。
やはり、そうか。あの時の感覚は、間違いではなかったのだ。
不思議と、恐怖はなかった。悲しみも、あまり感じない。ただ、漠然とした「ああ、やっぱり」という納得感だけが、空虚な意識の中に広がっていく。三十年間、走り続けたアプリケーションが、ついにリソースを使い果たして停止した。ただ、それだけのことだ。
「……では、なぜ私はここに? 死んだのなら、無に還るだけではないのですか」
それが、慧にとって最大の疑問だった。死んだ後の世界など、信じてはいなかった。プログラムは、終了すればただのデータの残骸になる。そこに、次のステップなど存在しないはずだ。
『本来であれば、その通りです。貴方の意識体も、所属する世界の輪廻システムに組み込まれ、リサイクルされる予定でした。ですが、今回、貴方の死には、我々の管理不行き届きによる、重大なシステムエラーが関与しています』
「……エラー?」
聞き慣れた単語に、慧の眉が(もし存在するならば)ピクリと動いた。
『はい。端的に言えば、貴方の死は、本来の寿命、すなわち正規の終了プロセスによるものではありません。我々の管理する並行世界間の、微細な因果律の干渉……言うなれば、リソースの競合が発生し、その余波が貴方の生命維持システムに予期せぬ負荷をかけ、結果として致命的なエラーを誘発したのです』
神は、少し言葉を選ぶように続けた。
『……分かりやすく言えば、我々のうっかりミスです』
「…………は?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。いや、声は出ていないのだが、意識がそう叫んだ。
うっかりミス?
デスマーチの果てに、スパゲッティコードの山に埋もれ、心臓が張り裂ける思いで働いた、あの三十数時間の終着点が、「うっかりミス」?
『インシデント報告としては、「仕様外の強制終了」。原因は、担当管理者のヒューマンエラーによる、因果律調整パラメータの誤設定。これが公式な見解となります』
システムエンジニアとして、その言葉の意味は痛いほど分かった。
要するに、設定ファイルを一行書き間違えたせいで、本番環境で動いていたサーバーが吹っ飛んだ、というような話だ。そして、その吹っ飛んだサーバーが、自分の人生だった、と。
怒りよりも先に、途方もない脱力感が慧を襲った。
理不尽だ。あまりにも、理不尽すぎる。
前世で散々、他人の理不尽な要求と、理不尽な仕様変更に振り回され続けた挙句、死因までが神の理不尽なうっかりミス。自分の人生は、壮大なバグ報告書だったというのか。
『この度のシステム障害により、貴方に多大なるご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます』
神を名乗る存在は、感情のない声でそう言った。その姿に謝罪の色など微塵も感じられない。まるで、障害報告の定型文を読み上げているだけだ。その態度が、慧の神経を逆撫でした。
「……謝罪はもういいです。それで、どうなるんですか。バグで死んだ人間は、どう処理されるんですか。パッチでも当てて、元に戻してくれるんですか?」
皮肉を込めて、慧は問いかける。どうせ、無理なのだろう。一度クラッシュしたOSは、再インストールするしかない。
すると、神は慧の言葉を真摯に受け止めたようだった。
『素晴らしいご提案です。まさに、我々が用意した補償措置がそれに当たります』
「……は?」
『元の世界、元の肉体への復元は、因果律の固定化により不可能です。ですが、貴方の意識体のデータを、別の安定した環境へ移行させることで、実質的な再起動を行うことが可能です』
神の言葉は、慧の理解の範疇を少しずつ超え始めていた。
意識体のデータ? 別の環境へ移行? 再起動?
『我々が管理する世界の一つに、「エルドラ」と呼ばれるインスタンスがあります。そこは、貴方のいた世界とは物理法則が異なり、「魔素」というエネルギーが満ちた、いわゆる剣と魔法の世界です。我々は、貴方の魂を、その世界の新しい肉体へと転生させることで、今回のインシデントに対する補償とさせていただきたい』
転生。
その一言が、慧の思考を完全に停止させた。
ファンタジー小説やゲームでしか聞いたことのない単語。それが今、現実の選択肢として提示されている。
『もちろん、ただ転生していただくだけでは、補償として不十分でしょう。つきましては、お詫びの品として、貴方一人にだけ与えられる、特別な能力……「ユニークスキル」を一つ、付与させていただきます。ご希望の能力があれば、可能な範囲で実装いたしますが、いかがでしょうか』
神は、まるでカスタマーサポートのオペレーターのように、淡々と補償プランを説明した。
死んだと思ったら、目の前に神が現れ、死因は自分のミスだと告げられ、お詫びにチートスキル付きで異世界に転生させてやる、と。
あまりにも、都合が良すぎる。あまりにも、テンプレート的すぎる。
だが、慧はシステムエンジニアだ。
彼は、この突拍子もない提案を、一つの「仕様」として受け入れることにした。
感情で拒絶しても意味はない。提示された仕様の中で、自分にとっての最適解を導き出す。それが、彼の生き方だった。
彼は、ゆっくりと、しかしはっきりと、自らの要求仕様を固め始めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
神様からの、まさかのインシデント報告でした。
もし貴方が神様から一つだけスキルをもらえるとしたら、どんな能力を望みますか? よろしければ、感想欄でこっそり教えてください。
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次回、主人公が選ぶ、たった一つの願い。
更新は8時半ごろです。またお会いしましょう。