第174節: 紙の発明:羊皮紙からの解放
いつもお読みいただきありがとうございます! 『武器なき戦争』その具体的な反撃の第一弾、『製紙プロジェクト』がついに始動します。 ケイの前世の化学知識がこの異世界の常識をどう塗り替えるのか、どうぞお楽しみに。
『プロジェクト・インディペンデンス』が始動した翌日。 アークシティの工業区画、その一角に新しく建設された水車小屋の周辺は異様な熱気に包まれていた。 そこにはケイによって緊急招集された工務大臣のドゥーリン、保健衛生局長のルナリア、そして手先が器用で根気のある猫獣人族と兎人族の女性たち数十名が集められていた。
彼女たちの目の前には山と積まれた木材のチップ、そしてルナリアが徹夜で灰から精製した強アルカリ性の液体『苛性ソーダ』の入った大樽が置かれている。
「大将様。本当にこんな木のクズからあの高価な羊皮紙よりも優れたものが作れるのですか?」
リリナが代表してその素朴な疑問を口にした。 彼女の金色の瞳には好奇心とそして同じくらいの疑念が浮かんでいる。
「ああ作れる」
ケイは静かに頷いた。
「今から君たちにやってもらうのは歴史の創造だ。この世界から『高価な筆記媒体』という概念を消し去る革命だ」
彼はまずドゥーリンへと向き直った。
「ドゥーリン殿。頼んでいた例のブツは?」
「フン。できとるわい」
ドゥーリンはぶっきらぼうにそう言うと傍らに置かれていた巨大な鋼鉄の圧力釜を指さした。 それはケイが設計した木材チップを高圧で蒸し煮にするための専用の魔導具だった。
「こんなもので本当に木が溶けるのかわしには理解できんがな」
「すぐに分かる」
ケイは集まった女性たちに指示を飛ばした。
「まずこの木材チップを釜に詰めろ! そしてルナリアが用意したこの危険な液体を注ぎ込む! 素手で触るなよ! 皮膚が溶けるぞ!」
女性たちが悲鳴を上げながらも慎重に作業を進めていく。 やがて釜が満たされるとドゥーリンがその巨大な鋼鉄の蓋を完璧な気密性で閉ざした。
「よし火を入れろ!」
反射炉から引かれた熱風が釜の下部へと送り込まれ釜はたちまち高温高圧の状態となった。
「このまま数時間蒸し煮にする」
ケイはその間に次の工程の説明を始めた。 彼は一枚の細かな網が張られた木枠――『簀桁』と呼ばれる道具を取り出した。
「これが紙漉きの道具だ。やがてあの釜の中の木の繊維はドロドロの粥状になる。それをこの水槽に移し大量の水で薄める。そしてこの簀桁でその繊維を薄く均一に掬い取り水分を切るんだ」
彼は前世の和紙作りの知識を元にその一連の流れを丁寧に説明していく。 女性たちは最初は戸惑いながらもそのリズミカルでどこか楽しげな作業に次第に目を輝かせ始めた。
数時間後、ついに圧力釜が開かれた。 ゴウッという蒸気と共に現れたのはもはや木のチップではなかった。 それはケイが言った通り真っ白でドロドロとした繊維状の塊、『木材パルプ』の誕生だった。
「おお!」
「本当に木が溶けてる!」
そのパルプが水車の動力でさらに細かく叩解され巨大な水槽へと移される。 そしてついに最初の「紙漉き」が始まった。 ケイの見本の後リリナがおそるおそるその簀桁を水槽にくぐらせゆっくりと引き上げる。 その網の上には薄い白い膜が奇跡のように張り付いていた。 それを慎重にフェルトの布の上に移し圧力をかけて脱水する。 そしてドゥーリンが特別に作った加熱した鉄板の上で一気に乾燥させると――そこには一枚の『紙』が生まれていた。 それは高価な羊皮紙のように分厚くゴワゴワしてはいない。 それは輸入物のパピルスのように脆くすぐに破れそうでもない。 それは雪のように白く絹のように滑らかでそして驚くほど丈夫な全く新しい筆記媒体だった。
「すごい」
リリナはその出来上がったばかりの紙の感触を確かめその匂いを嗅ぎそしてその金色の瞳を感動に潤ませた。
「これさえあれば、もうルナリア様が貴重な羊皮紙の裏側に小さな文字で薬の処方を書き込む必要もないんですね!」
そのあまりにも生活感の溢れる感想。だがその言葉こそがこの発明の持つ本当の価値を示していた。 知識を記録し伝達するコストが劇的に下がる。それはこの都市に文明の夜明けをもたらす第一歩だった。
「フン。なるほどな」
ドゥーリンがその紙を無骨な指で弾きその強度を確かめていた。
「これならばわしのあの新しいオモチャのインクの乗りも良さそうだわい」
彼の脳裏には既にこの新しい紙と自らの活版印刷の技術が融合した輝かしい未来が見えていた。
『製紙プロジェクト』大成功。アークシティはその手で最初の文明の利器を手に入れたのだ。
紙の発明、成功です! これで知識の記録と伝達が飛躍的に向上しますね。 ドワーフ爺様も自らの印刷技術への応用に気づき満足げでした。 さて筆記媒体の次は生活に不可欠なもう一つの必需品、『繊維』。 次回今度はエリアーデとガロウがケイの無茶振りに挑みます。




