第17節:システムダウン:致命的なリソース不足
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前回、ケイの指揮のもと、絶望の集落は希望の村へと生まれ変わりました。そして、ガロウもケイを「大将」と認め、彼らの間には確かな絆が芽生え始めました。
しかし、順風満帆に見えるプロジェクトの裏で、リーダーであるケイの心身は、静かに限界を迎えようとしていました。
今回は、彼の過去のトラウマが、牙を剥きます。
それでは、第十七話をお楽しみください。
プロジェクトは、順調だった。
いや、順調という言葉では生ぬるい。それは、奇跡的な速度で進行していた。
ケイが『プロジェクト・フロンティア』と名付けた村作りは、開始から二週間で、その姿を劇的に変えようとしていた。堅固な防衛設備、整然と並ぶ住居、そして未来の収穫を約束する畑と用水路。狼獣人たちの顔には、日に日に自信と希望の色が濃くなっていた。
その奇跡の中心にいたのが、ケイだった。
彼の頭脳は、もはや人間のものではなかった。ユニークスキル【ワールド・アーキテクト】の権能は、彼の思考を神の領域へと引き上げていた。
朝、彼は日の出と共に起きると、まず《アナライズ》で村全体の進捗状況をスキャンする。資材の残量、各チームの作業効率、住民一人一人の疲労度までを瞬時にデータ化し、その日の最適なタスクを再割り当てする。
日中は、各作業現場を巡回し、発生した問題をその場で解決していく。木材の強度が足りなければ、より効率的な組み方を指導する。土塁が崩れやすければ、粘土を混ぜて強度を上げるよう指示を出す。彼の前では、いかなる問題も、解決可能な「バグ」でしかなかった。
夜、獣人たちが眠りについた後も、彼は一人、新しく建てられたリーダー用の小屋で、燃える松明の光を頼りに、翌日の計画を練り続けた。地面に広げた羊皮紙には、複雑な計算式や、精密な設計図が、びっしりと書き込まれていく。
その姿は、まさに完璧なプロジェクトマネージャーだった。
だが、その完璧さこそが、最大の危険性を孕んでいた。
「大将、少しは休んだ方がいい」
現場監督を任されたガロウが、何度となくケイに忠告した。彼の黄金色の瞳には、純粋な心配の色が浮かんでいる。
「顔色が悪い。お前さんの身体は、俺たちとは違う。そんな働き方をしていたら、倒れるぞ」
「問題ない。僕の計算では、あと三日で主要なインフラ整備は完了する。今が正念場だ。ここでペースを落とすのは、非合理的だ」
ケイは、モニターのログを睨むように、羊皮紙から目を離さずに答えた。
その姿は、ガロウには痛々しく見えた。
ルナリアもまた、日に日に口数が少なくなり、目の下に隈を作っていくケイを、案じていた。
彼女は毎日、滋養強壮に効く薬草を煎じたスープを作っては、ケイの元へ運んだ。
「ケイ、これだけでも飲んで。ちゃんと食べないと、身体がもたない」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
ケイは、そう言うだけで、スープに口をつけようとはしない。彼の意識は、常にプロジェクトの進捗という、無機質なデータにだけ向けられていた。
冷めていくスープを前に、ルナリアはただ、唇を噛みしめることしかできなかった。
ケイ自身は、自分の異常に気づいていなかった。
いや、正確には、気づいていながら、それを無視していた。
時折、視界がぐらりと揺れる。立ち上がった瞬間に、目の前が真っ白になる。頭の奥で、常に低い警報音が鳴り響いている。
それは、前世で、彼が何度も経験した危険信号だった。
サーバーが、物理的な限界を超えて稼働している時の、悲鳴。
(……CPU使用率、99%。メモリ、常にスワップアウト。冷却ファン、異音発生。……危険水域だ)
自らの状態を、彼は冷静に分析していた。
だが、止まれない。止まってはいけない。
前世の記憶が、トラウマとなって、彼の背中を鞭打っていた。
納期。デッドライン。クライアントからの、無言の圧力。
ここで手を止めれば、プロジェクトが遅延する。遅延すれば、全てが破綻する。
その恐怖が、彼の身体を無理やり動かしていた。
彼は、無意識のうちに、この異世界での村作りを、前世のデスマーチと重ね合わせていたのだ。
ガロウやルナリアの心配の声は、彼には届かない。それは、かつてのプロジェクトマネージャーが言っていた、「大丈夫か?」という、気休めの言葉と同じにしか聞こえなかった。大丈夫なわけがない。だが、「大丈夫です」と答えるしかない。それが、この世界のルールなのだと、彼は思い込んでいた。
そして、運命の日は、唐突に訪れた。
プロジェクト開始から、十五日目の午後。
その日、ケイは、新しく建設する共同炊事場の、かまどの設計について、獣人の女性たちに説明をしていた。
彼は、地面に描いた設計図を指し示しながら、熱効率と排煙システムについて、いつものように、流暢に、そして論理的に語っていた。
「……この部分の空気の流れ(エアフロー)が重要だ。吸気と排気のバランスを最適化することで、最小限の薪で、最大の火力を得ることができる。具体的には、吸気口の面積を、煙突の断面積の……」
そこまで言った時だった。
彼の視界が、ぐにゃり、と歪んだ。
地面に描かれた設計図が、意味をなさない線と記号の羅列に見える。
獣人の女性たちの声が、まるで水中で聞いているかのように、遠く、そして不明瞭に聞こえる。
(……なんだ? 致命的な、エラー……?)
頭の中で、赤いアラートが、けたたましく鳴り響く。
CRITICAL ERROR: System resource exhausted.
WARNING: Core temperature exceeds limit.
SHUTDOWN SEQUENCE, INITIATED.
「……大将?」
誰かが、自分の名前を呼んでいる。
だが、もう、それに答えるだけの、リソースは残っていなかった。
ぷつり、と。
前世の、あの時と全く同じように。
彼の意識は、何の予告もなく、暗転した。
最後に彼の耳に届いたのは、ルナリアの、悲鳴のような叫び声だった。
◆
意識が、暗く、冷たい水底に沈んでいく。
だが、そこは、神と出会ったあの純白の空間ではなかった。
懐かしく、そして、忌まわしい、見慣れた光景。
蛍光灯の白い光。サーバーの排熱。エナジードリンクの、甘ったるい匂い。
そうだ。ここは、前世の、あのオフィスだ。
彼は、デスクに突っ伏していた。身体が、鉛のように重い。
「藤堂さん、まだ終わらないのかね?」
背後から、クライアントの、粘つくような声がする。
「今日が、納期だったはずだがねえ」
違う。違うんだ。あなたの、急な仕様変更のせいだ。
そう叫びたいのに、声が出ない。身体が、動かない。
「おい、藤堂! 聞いているのか!」
今度は、プロジェクトマネージャーの怒声。
「お前のせいで、プロジェクトが遅れてるんだぞ! どうしてくれるんだ!」
違う。僕だけのせいじゃない。無茶なスケジュールを組んだ、あんたたちのせいだ。
指一本、動かせない。思考が、まとまらない。
周囲から、同僚たちの、ひそひそ声が聞こえる。
「あいつ、また徹夜かよ」
「こっちのタスクまで、遅れるじゃないか」
「使えない奴だな、本当に」
やめろ。やめてくれ。
僕は、頑張っている。誰よりも、このプロジェクトのために、身を粉にして……。
心臓が、軋むように痛む。
呼吸が、苦しい。
視界が、霞んでいく。
ああ、そうだ。
僕は、こうやって、死んだんだ。
誰にも、理解されず。
誰にも、助けられず。
たった一人で、システムの部品として、壊れて、そして、捨てられた。
(……結局、同じじゃないか)
異世界に来ても、結局、僕は何も変わっていない。
リーダーだなんて、おだてられて。
結局、やっていることは、前世と同じ。
一人で、全てを背負い込んで。
誰にも頼らず、頼られず。
そして、また、こうして、壊れていく。
(……穏やかな人生なんて、どこにも、なかったんだ)
深い、深い絶望が、彼の意識を、暗闇の、さらに奥深くへと引きずり込んでいく。
もう、いい。
このまま、眠ってしまおう。
今度こそ、本当に、穏やかに――。
その時だった。
『――い!』
暗闇の向こうから、誰かの声が聞こえた。
『――ケイ!』
はっきりと、自分の新しい名前を呼ぶ声。
それは、クライアントでも、上司でも、同僚でもない。
凛として、しかし、どこか焦燥に駆られた、少女の声。
そして、彼は感じた。
冷たい、絶望の闇の中で、一つの、温かい感触。
それは、自分の額に、そっと触れる、小さな手のひらの感触だった。
その温もりは、まるで、凍りついた回路を溶かす、微弱な電流のように、彼の意識の奥深くまで、ゆっくりと、しかし、確かに、浸透していった。
(……あたたかい)
前世では、決して感じることのなかった、温もり。
それは、誰かが、自分のことを、本気で心配してくれているという、確かな証だった。
彼は、その温もりを、必死に手繰り寄せるように、重い意識を、ゆっくりと、ゆっくりと、浮上させていった。
◆
最初に感じたのは、薬草の、穏やかな香りだった。
次に、自分の身体が、柔らかな毛皮の上に横たわっていることに気づいた。
そして、自分の額に、濡れた布が置かれている感触。
ゆっくりと、瞼を開ける。
視界に映ったのは、蛍光灯の白い光ではない。
新しく建てた、自分の小屋の、木の温もりに満ちた、天井だった。
「……ケイ!」
すぐ傍らで、安堵と、そして、少しだけ怒りを含んだ声がした。
視線を横に向けると、そこには、ルナリアがいた。
彼女の真紅の瞳は、心配で潤んでいた。目の下には、濃い隈ができている。その顔は、明らかに、眠っていない者の顔だった。
彼女の手は、ケイの額の布を、何度も、何度も、新しいものに替えようとしていた。
「……ルナリア?」
掠れた声で、ケイは彼女の名前を呼んだ。
「……よかった。気が、ついた」
ルナリアの表情から、すっと力が抜ける。彼女は、その場にへたり込むように座り込むと、大きなため息をついた。
「……どのくらい、眠っていた?」
「丸二日」
「……そうか」
状況が、少しずつ理解できてきた。
自分は、倒れたのだ。前世と同じように。
だが、その後の光景は、全く違っていた。
ケイは、ゆっくりと身体を起こそうとした。
すると、ルナリが、慌てて彼の肩を押さえた。
「まだ、だめ。安静にして」
「だが、プロジェクトが……村の建設が……」
「そんなもの、どうでもいい!」
ルナリアが、珍しく、声を荒げた。
その真紅の瞳が、まっすぐに、ケイを射抜く。
「貴方がいなくなったら、村なんて、どうなってもいい! 私が、どれだけ心配したか、分かってるの!?」
その言葉に、ケイは、何も言えなくなった。
心配……された?
この僕が?
彼は、ただ、呆然と、ルナリアの顔を見つめていた。
彼女の瞳に映っているのは、プロジェクトの遅延を責める色でも、使えない部下を詰る色でもない。
ただ、純粋な、ケイ自身の身を案じる、温かい色だった。
(……ああ、そうか)
彼は、その時、初めて理解した。
これが、「優しさ」というものなのか。
見返りを求めない、ただ、相手を想うだけの、温かい感情。
前世で、彼が、一度も受け取ることのなかった、そして、その存在すら信じていなかった、純粋な、優しさ。
その温かい感情が、彼の心の、最も硬く、そして冷たく凍りついていた部分を、ゆっくりと溶かしていく。
気づけば、彼の目から、一筋の、熱い雫がこぼれ落ちていた。
それは、三十二年間の孤独と、絶望が、ようやく溶け出して、流れ落ちた、最初の涙だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、ケイの過去のトラウマと、彼の弱さが描かれました。どんなにチートなスキルを持っていても、彼の心は、まだ前世の痛みを引きずっていたのです。
しかし、ルナリアの献身的な看病と、彼女の言葉が、彼の心を少しずつ溶かしていきます。二人の絆が、また一段と深まった回となりました。
「面白い!」「ケイ、無理しないで!」「ルナリア、マジヒロイン!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、ケイの心の薬になります。
次回、目覚めたケイに、ルナリアが告げる言葉とは。そして、彼を待っていた、もう一人の仲間の想い。
明日朝7時半頃の更新を、どうぞお楽しみに。