第162節: 卑劣なる牙
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第七巻『外交戦線』、その緊張は一瞬も途切れません。
前回、アーク連邦の華々しい外交的成功がついに商業ギルドの知るところとなりました。
しかし、その水面下の巨大な動きよりも早く。
サロンでエリアーデに公然と恥をかかされた、あの男が動きます。
国家の利益よりも個人の私怨を優先する、その愚かな一手。
それがクロスロードの静かな夜を血に染めることになります。
中立都市クロスロード、リオニス王国大使館宿舎。
その一室は破壊された調度品と高級な酒の匂いで満ちていた。
「許せん」
バルテルミー侯爵はその肥え太った身体をわなわなと震わせていた。
「あの獣の小娘が! この私に! このバルテルミー・フォン・リオニスに、公衆の面前で水をぶっかけおって!」
あの日のサロンでの屈辱。その光景が彼の脳裏に何度も何度もフラッシュバックする。周囲の外交官たちの嘲笑うかのような目。そして何よりも、あのエルフの小娘の自分を虫ケラでも見るかのような冷たい翡翠の瞳。
「許せん、許せん、許せんぞぉッ!」
彼はテーブルの上の残っていた酒瓶を壁に叩きつけた。
ガシャンと派手な音が響き渡る。
そこへ彼の側近が恐る恐る一枚の羊皮紙を差し出した。
「こ、侯爵閣下。例の件でございますが」
「なんだ!」
「は、はい。例のアークの連中。昨夜、ゴルディアのギムレクと宿屋で密会していたとの確かな情報が」
その報告はバルテルミーの逆上した頭に最後の油を注いだ。
「ゴルディアだと?」
彼の血走った目が側近を睨みつける。
「あの石頭のドワーフどもと、あの獣の小娘が手を組もうというのか!?」
(まずい)
彼の脳内でようやく政治家としての思考が働き始める。
(アークのあの未知の技術、そしてゴルディアの豊富な鉱物資源。もしその二つが結びつけば、我がリオニスにとって最大の脅威となる!)
だがその政治的な危機感さえも、彼の個人的な屈辱の前では霞んでしまった。
(いや、それ以前の問題だ。あの小娘はこの私に恥をかかせた。この私を差し置いてゴルディアと手を組もうとした。その罪、万死に値するッ!)
彼はもはや正常な判断力を失っていた。国家の利益などどうでもいい。ただ個人的な復讐。その黒い感情だけが彼を支配していた。
彼は側近から羊皮紙をひったくると、机の上の引き出しから一つの重い革袋を取り出した。中には金貨がぎっしりと詰まっている。
「手配しろ」
彼は地を這うような低い声で命じた。
「裏のギルドの『掃除屋』をだ。今夜だ。今夜、あのエルフの小娘の首を獲れ」
「か、閣下! それはあまりにも危険です! この中立都市でそのようなことが明るみに出れば!」
「黙れッ!」
バルテルミーが一喝する。
「誰が明るみに出すと言った。ただの強盗に襲われた不幸な事故だ。そう処理させればいいだけの話よ。分かったらすぐに行け!」
側近は蒼白な顔で震えながらもその金貨の詰まった袋を受け取ると、部屋を飛び出していった。
後に残されたバルテルミーはその歪んだ顔に醜悪な笑みを浮かべた。
「くくく。せいぜい泣き叫ぶがいい、獣の小娘め。それがこの私を侮辱した報いよ」
◆ ◆ ◆
宿屋『銀の天秤』アーク連邦使節団滞在室。
夜は深く静かだった。
エリアーデは数日ぶりに深い眠りに落ちていた。そのあまりの精神的疲労が彼女の警戒の糸を緩ませていた。
ボルツもまた自室でいびきをかいていた。彼もまた連日の緊張で疲れ果てていたのだ。
だが一人、その静寂の中で決して警戒を解かない影があった。リリナ・テールウィップ。
彼女は天井の梁の暗がりにその猫のようにしなやかな身体を潜ませ、息を殺していた。彼女の金色の瞳はこの中立都市の闇をじっと見つめ続けていた。彼女の猫獣人族としての本能が、この都市の夜の空気に混じる微かな「異臭」を感じ取っていたのだ。
それは血の匂い。それもただの血ではない。暗殺者だけが放つ、特別な訓練と薬物によって染み付いた死の匂い。
(ケイ様が言っていた。『最も油断した瞬間に敵は来る』と)
彼女の尖った猫の耳がぴくりと動いた。
遠くの屋根。瓦が擦れる微かな音。
風ではない。
複数。五、いや六人か。
その足音は寸分の乱れもなくこの宿屋を包囲し、そして一つの部屋へと収束していく。
――このエリアーデの寝室へと。
(来た!)
リリナは音もなく梁から飛び降りた。そして眠るエリアーデのベッドの前に着地する。その両手には既にドゥーリンが鍛えた黒色鋼のダガーが逆手に握りしめられていた。
「エリアーデ様、ボルツ! 敵襲です!」
彼女の切迫した声が響き渡ったその瞬間。
バンッ! という轟音と共に、部屋の窓ガラスが外から叩き割られ、そして同時に部屋の扉が強引に蹴り破られた!
そこから漆黒の戦闘装束に身を包んだ複数の影が音もなく雪崩れ込んでくる。その手には青白い毒の光を放つ刃。その全ての殺意がベッドの上のエリアーデへと集中する。
「死ねッ! 獣の姫よ!」
ついに、リオニスの卑劣な暗殺者たちが牙を剥きました!
エリアーデ、絶対絶命のピンチ!
しかし、我らがリリナがその動きを察知。
闇夜の死闘の火蓋が切られます。
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