第156節:ゲームチェンジャー:坑道病の切り札
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます! 第七巻『外交戦線』、息詰まる交渉が続きます。
前回、アーク連邦の全権大使エリアーデは、ゴルディア王国の使節ギムレクに対し、自国の圧倒的な技術力の一端――『連弩』の自動装填機構を披露しました。その神業の如き技術力は、ゴルディアのドワーフたちを驚愕させ、交渉の主導権を完全に握ったかに見えました。 しかし、百戦錬磨の老ドワーフ、ギムレクは、それだけで屈するような生易しい相手ではありません。彼は、この若き国家の、もう一つの「脆さ」を突いてきます。 それでは、第百五十六話、お楽しみください。
中立都市クロスロード、宿屋『銀の天秤』の一室。 ゴルディア王国の使節団が嵐のように去って行った後、部屋には重い、重い沈黙が支配していた。 ボルツは、師の同胞たちのあまりにも傲慢な態度に、怒りをわなわなと震わせている。 リリナは影の中から静かに姿を現し、その金色の瞳に警戒の色を浮かべていた。 そして全権大使エリアーデ・ウィンドソングは、その美しい顔に深い疲労の色を浮かべ、椅子に深く身を沈めていた。
「……申し訳ありません」
最初に沈黙を破ったのは、エリアーデだった。
「ケイ様のご期待に応えられませんでした。私の交渉術が未熟だったばかりに、彼らに我々の足元を見られ、交渉は決裂寸前です」
その声は、いつもの凛とした響きを失い、悔しさに震えていた。 彼女は自らのプライドを守るために、交渉のテーブルをひっくり返すという強硬な手段に出た。だがその結果、アーク連邦の未来を左右する最も重要な同盟交渉が、暗礁に乗り上げてしまったのだ。 その責任の重さに、彼女は押し潰されそうになっていた。
「いいや、エリアーデ様。あなたは間違ってねえ」
その重苦しい空気を破ったのは、ボルツの無骨な、しかし真っ直ぐな声だった。
「あいつらが悪ぃんだ。俺たちと師匠と、そして何よりも大将の偉大な仕事を正当に評価しようともしねえ、あの石頭のじじいどもが悪いんだ!」
そのあまりにも素直な怒りの言葉。 リリナもまた、静かに頷いた。
「そうよ、エリアーデ様。あなたはケイ様の言われた通り、アーク連邦の誇りを守った。それ以上、何ができるっていうのさ」
その二人の温かい言葉。 エリアーデの翡翠の瞳がわずかに潤んだ。
そうだ。 自分は一人ではない。 この二人も、そして遥かアークシティで自分を信じてくれている、あのリーダーもいる。
彼女は顔を上げた。
「ありがとう、二人とも。ですが、このままでは終われません。必ず、次なる一手を……」
その彼女の言葉が終わるよりも早く、彼女が懐に忍ばせていた一つの小さな魔道具が、淡い蒼い光を放ち始めた。 それはケイがこの使節団に極秘裏に持たせていた、遠距離通信用の魔道具。 二つの対になった魔晶石が互いに共鳴し合い、短く簡単な意思の疎通を可能にする、ケイが古代魔法の理論を解析し、ドゥーリンとエリアーデ自身の協力を得て作り上げた試作品。 アーク連邦初の『ホットライン』だった。
(……ケイ様……!)
エリアーデははっとしたように、その魔晶石を手に取った。 彼女の脳内に直接、ケイのあのどこまでも冷静な声が響き渡る。
『――交渉のログは全て聞かせてもらった。素晴らしい仕事だった、エリアーデ殿。僕のシミュレーション以上の成果だ』
そのあまりにも意外な称賛の言葉。
「ですが……! 交渉は膠着して……」
『ああ。だが、それこそが僕の狙いだった』
「え……?」
ケイの声には、わずかな笑みが含まれていた。
『彼らのあの傲慢な態度は、全て予測通りだ。彼らは僕たちを値踏みし、同時に自分たちの優位性を誇示したかった。そして君は、その土俵に乗らず、完璧なタイミングで交渉を打ち切った。おかげで彼らは今、焦っているはずだ。『あの技術をこのまま手放していいのか』と』
その恐るべき心理戦。 ケイは、この膠着状態さえも織り込み済みだったのだ。
『だが、彼らのそのちっぽけなプライドが邪魔をして、彼らの方から頭を下げてくることはないだろう。ならば、こちらから彼らが絶対に飛びつかざるを得ない、そして彼らのそのプライドをズタズタに打ち砕く、新しい交渉カードを提示する』
エリアーデは息を呑んだ。 ケイの思考は常に二手、三手先を読んでいる。
『リリナ』
ケイの声が今度は、影に潜む猫の少女へと向けられる。
「はい、大将様」
『君がこの三日間でクロスロードの裏社会から集めてくれた情報。その中にゴルディア王国に関する、極めて興味深いログがあった。『北方の鉱山で奇病が流行。治療法なし』。これについて、ルナリアが今、最終的な分析を終えたところだ』
ケイの声が一度途切れる。 そして次に響いてきたのは、あの優しく、しかしどこまでも理知的な少女の声だった。
『エリアーデ様。お久しぶりです、ルナリアです』
「ルナリアさん……!」
『リリナが持ち帰ってくれた断片的な症状の記録……。『呼吸困難』、『体内の結晶化』、『魔素循環の阻害』。それらのキーワードから、ケイ様と私で病の正体を特定しました。それはおそらく、『魔素性、珪肺』。いわゆる、『坑道病』です』
ルナリアの声が、その病の恐ろしさを淡々と告げる。
『ドワーフ族のように長期間、高濃度の魔素が充満する鉱山で作業を続けると、大気中に浮遊する微細な魔力結晶の粒子を吸い込み続け、それが肺の内部で再結晶化し、呼吸機能を不可逆的に破壊していく、ドワーフ族特有の、そして不治の病です』
そのあまりにも恐ろしい病の正体。 エリアーデとボルツは息を呑んだ。 ドワーフの国ゴルディア。その繁栄の礎である鉱山が、今や彼ら自身を内側から蝕む呪いとなっていたのだ。
『そして、ケイ様』
ルナリアの声に熱がこもる。
『この病、治せます』
「!」
『私がエルフの森のあの汚染を治療するために研究していた、あの高純度の魔素の飽和水溶液と、ケイ様が設計した蒸留器で精製した特殊な触媒。この二つを組み合わせた新しいポーション、『マナ・デトックス』。これを使えば、肺の内部の結晶体を安全に溶解させ、体外へと排出することが可能になるはずです……!』
その奇跡のような特効薬。 それこそが、ケイが用意していた最後の、そして最強の切り札だった。
『――エリアーデ殿』
再びケイの声が響く。
『明日の朝一番でゴルディアの大使館へ向かえ。そしてギムレクにこう伝えるんだ』
ケイの声には、この交渉の完全なる勝利を確信した、絶対者の響きがあった。
「『――武器や技術の話はもういい。我々はあなた方の、その病める国家の命を救う話をしにきた』と」
最後までお読みいただき、ありがとうございます! 息詰まる交渉戦。 その膠着状態を打ち破る、ケイの神の一手。 それはリリナの諜報活動と、ルナリアの薬師としての才能が生み出した、奇跡の特効薬でした。 武器や技術ではなく、「命」を交渉カードに使う。 これほどえげつない、そして効果的な一手はありませんね。
さて、このあまりにも強力すぎるカードを突きつけられたゴルディア王国は、どう動くのか。 次回、ついにアーク連邦史上初の国家間同盟が、その形を現します。 どうぞ、ご期待ください。
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