第149節: アーク連邦、外交デビュー:侮蔑のサロン
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いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。 第七巻『外交戦線』、その第五話となります。
前回、アーク連邦の外交使節団は、ついに目的地である中立都市クロスロードへと到着しました。 そこで彼らが目にしたのは、人種も文化も欲望も全てが渦巻く、巨大な坩堝。 今回は、いよいよ彼らが、その華やかな、しかし腹黒い外交の舞台へと、その第一歩を踏み出します。 亜人の国からの使者。……彼らを待ち受ける、冷たい視線とは。 どうぞ、その最初の戦いをお見届けください。
中立都市クロスロード。 その夜は、昼間の喧騒とはまた異なる顔を持っていた。 ガス灯の淡い光が石畳を濡らし、あちこちの酒場や劇場からは、陽気な音楽と人々の笑い声が漏れ聞こえてくる。 だが、その華やかな夜の中心地。 各国全ての外交官と大商人たちが、その情報戦を繰り広げる戦場があった。 『白亜の円卓』。 そう呼ばれる、会員制の高級サロン。
そのあまりにも荘厳な大理石の門の前に。 エリアーデ、リリナ、そしてボルツの三人は、立っていた。 彼らは、この日のためにフロンティア村から持ってきた、最高級の礼装にその身を包んでいた。 エリアーデは、エルフの伝統的な森緑色のドレスの上に、エリアーデ自身が魔法の刺繍を施した純白のケープを羽織っている。その神々しいまでの美しさは、道行く人々が思わず息を呑んで振り返るほどだった。 リリナは、あえて自らの猫の耳と二本の尻尾を隠すことなく、黒い絹の体にぴったりとフィットした、活動的なドレスを纏っている。そのしなやかな肢体と、金色の妖しい瞳は、彼女がただの護衛ではない、特別な存在であることを示していた。 ボルツは、ドゥーリンが叩いた黒色鋼の胸当てを磨き上げ、その下には、ドワーフの正装である緻密な鎖帷子を着込んでいる。その無骨な、しかし一切の妥協のない職人の誇りが、彼の全身から溢れ出ていた。
彼ら三人の、その異様な、しかし圧倒的な存在感を放つ一行。 サロンの門番は、一瞬、その亜人たちの姿に眉をひそめた。 だが、エリアーデがその胸元から取り出した、一つの推薦状を見た瞬間。 その顔色を変えた。
『――ザルツガルド商業ギルド、情報統括、ザルツ』
そのギルドの、影の支配者の名が記された推薦状。
(それは、リリナがこの数日間で、裏社会の情報網を辿り、多額の金貨と引き換えに手に入れてきた、ケイの指示通りの『入場券』だった)
門番は、それまでの侮蔑の表情を一変させ、深々と頭を下げ、彼らを中へと通した。
サロンの内部は、彼らの想像を遥かに超える、絢爛豪華な世界だった。 天井には、巨大な魔晶石のシャンデリアが眩いほどの光を放ち、床には、足が沈み込むほどの分厚い絨毯が敷き詰められている。 その空間を、大陸中の最新の流行のドレスや軍服に身を包んだ紳士淑女たちが、優雅に行き交い、グラスを傾け、そして笑顔の仮面の下で、互いの腹を探り合っていた。
そのあまりにも華やかな、しかしどこか毒々しい空気。 その中心に足を踏み入れた、三人の亜人たち。 一瞬、サロンの喧騒がぴたりと止まった。 全ての視線が、針のように彼らに突き刺さる。 好奇。 驚愕。 そして、それを上回る、剥き出しの侮蔑。
「……まあ。……獣、ですわ」
どこかの貴族の令嬢が、扇で口元を隠しながら囁いた。
「……エルフとドワーフ、ですって? ……まるで、見世物小屋ね」 「なぜ、あのような下賤な者たちが、この神聖な場所に……?」
その遠慮のない、悪意の囁き。 ボルツの顔が怒りに赤く染まり、その無骨な拳が握りしめられる。 リリナの尻尾が、不快げにぱたぱたと床を打った。
だが、エリアーデは動じなかった。 彼女は、その背筋を氷のようにまっすぐに伸ばし、そのエルフとしての絶対的な美貌と気品を武器に変え、その侮蔑の視線を、まるで羽虫でも払うかのように冷たく見下ろしながら、広間の中央へと堂々と歩みを進めた。 そのあまりの威圧感に、さっきまで彼らを嘲笑していた人間たちの方が、逆に気圧され、道を開けていく。
(……これが、ケイ様の言っていた戦場……)
エリアーデは、内心で呟いていた。
(……剣も魔法もない。……だが、これほどまでに人の魂をすり減らす戦場があったとは……)
だが、彼女がこのサロンで戦わなければならない相手は、こんな小物たちではなかった。 彼女の翡翠の瞳が、獲物を探すように広間を見渡す。 そして、その視線が、広間の一角に集う一団とぶつかった瞬間。 彼女の全身に、冷たい電流が走った。
そこには、赤地に黄金の獅子の紋章をその胸に掲げた、数人の男たちがいた。 リオニス王国。 彼らの故郷を脅かす、最大の敵。 その外交官たちだった。
そして、そのリオニス王国の外交官たちもまた、エリアーデたちの存在に気づいていた。 彼らのリーダーであろう、中年の肥え太った貴族が、その手に持った葡萄酒のグラスをわざとらしく置き、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってきた。 その顔には、獲物を見つけた蛇のような、ねっとりとした笑みが浮かんでいる。
「……これは、これは。……驚いた」
男は、エリアーデの目の前で立ち止まると、その神々しいまでの美貌を、頭のてっぺんから爪先まで、じろじろと値踏みするように眺め回した。
「……噂には聞いておりましたが。……まさか、辺境の獣の集落に、これほどの逸品が隠されていたとは。……これは、ギュンター辺境伯もさぞかし無念だったことでしょうな。……これほどの宝を手に入れる寸前で、あの世を去ることになるとは」
そのあまりにも下品で、そして侮辱に満ちた言葉。 エリアーデの顔から、表情が消えた。
「……私は」
彼女の声は静かだったが、その場の全ての音楽を凍りつかせるほどの、絶対零度の冷たさを帯びていた。
「『アーク連邦』、全権大使、エリアーデ・ウィンドソングと申します。……そちらのお名前をお伺いしても?」
「……ほう。『アーク連邦』か。……まだ、そんな戯言を続けていたとは」
男は、腹を抱えて笑った。
「よかろう、教えてやる。……俺は、リオニス王国、外交次官、バルテルミー侯爵だ。……せいぜい、その美しい顔と名前を覚えておくがいい。……お前たちのその砂の城が、我が王国の軍靴に踏み潰される、その日までな!」
彼は、高らかに笑い声を上げると、周囲の外交官たちに同意を求めるように視線を送った。 他の国の外交官たちも、そのリオニス王国の圧倒的な権力を前に、何も言えず、ただ苦笑いを浮かべて俯くだけだった。 このサロンの空気は、完全にリオニス王国に支配されていた。 アーク連邦などという、得体の知れない亜人の集団に、味方する愚か者など一人もいない。
「……そう、ですの」
エリアーデは、その絶対的なアウェイの状況の中で、静かに呟いた。 そして、彼女は誰もが予想だにしなかった行動に出た。
彼女は、その手に持っていた一杯の水の入ったグラスを、バルテルミー侯爵のその嘲笑に歪んだ顔面めがけて、思いっきりぶちまけたのだ。
ザバッ、と水音。 そして、信じられないという絶叫。 サロンの全ての音楽と会話が、完全に停止した。 バルテルミー侯爵は、その高価な絹の服を水浸しにされ、ただ呆然と立ち尽くしている。
「……失礼。……手が滑りましたわ」
エリアーデは、その美しい顔に一点の曇りもない、完璧な笑みを浮かべて言った。
「……ですが、侯爵閣下。……あなた様のその下品な言葉で汚れた空気を浄化するには、……聖なる水が必要でしたので。……お気になさらず」
そのあまりにも鮮やかで、そしてあまりにも痛烈なカウンター。 バルテルミー侯爵の顔が、怒りで真っ赤に染まった。
「き、貴様ァ……! この無礼者! 誰か、こいつをつまみ出せ!」
だが、彼がそう叫んだその時。 広間の入り口から、一つの荘厳な声が響き渡った。
「――そこまでに、していただこうか。……バルテルミー卿」
声の主は、このサロンの支配人だった。
「……当サロンは、政治的な中立を謳っております。……いかなる理由があろうと、他国の大使殿への公然たる侮辱は許されませぬ。……お引き取りを」
その支配人の、冷静な仲裁。 バルテルミー侯爵は、ぐっと言葉に詰まった。 彼は、エリアーデを殺さんばかりの形相で睨みつけると、荒々しく踵を返し、自らの仲間たちの元へと戻っていった。
エリアーデは、その嵐が過ぎ去った広間の中心で、ただ静かに佇んでいた。 彼女は、勝ったのだ。 この外交戦線の、最初の小競り合いに。 だが、彼女は知っていた。 これは、まだ始まりに過ぎないということを。 だが、同時に、彼女は確信していた。 このサロンに集う、全ての者たちの心に、「アーク連邦」という名前と、そしてその決して屈しない、誇り高き大使の姿を、強烈に刻み込むことに成功したということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! ついに、エリアーデの外交デビュー戦が描かれました。 リオニス王国の下品な挑発に対し、あまりにも鮮やかなカウンターを決めましたね。 彼女のエルフとしての誇りと、アーク連邦の大使としての覚悟が光る回でした。
さて、この派手なデビューは、サロンの中でどのような波紋を広げるのでしょうか。 次回、エリアーデは、この事件を逆手に取り、アーク連邦の真の価値を、世界に知らしめるための次なる一手に出ます。 どうぞ、ご期待ください。
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