第147節: 旅立ちと最初の洗礼
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。 第七巻『外交戦線』、その第三話となります。
前回、アーク連邦の存亡を賭けた外交使節団が結成されました。 エリアーデ、リリナ、そして若きドワーフの職人ボルツ。 彼らは、ケイが用意した驚くべき切り札を胸に、未知なる戦場へと旅立ちます。 今回は、その旅の始まり。 生まれて初めて、自分たちの故郷を離れ、外の世界へと足を踏み入れた彼らの期待と不安。 そして、彼らが直面する厳しい現実。 どうぞ、その第一歩をお見届けください。
建国式典の熱狂から十日後。 アークシティの南門は、静かな、しかし歴史的な緊張感に包まれていた。 アーク連邦、その歴史上初となる公式な外交使節団が、今まさにその第一歩を踏み出そうとしていた。
全権大使、エリアーデ・ウィンドソング。 彼女は、エルフ族の誇りを示す深緑の旅装束に、その美しい身を包んでいた。その背には、彼女の愛用の白木の弓。そして腰には、宰相補佐官としての地位を示す銀の短剣が下げられている。その翡翠の瞳には、国家の運命を背負う重圧と、それを上回る誇り高い決意の光が宿っていた。
彼女の傍らに控えるのは、護衛にして諜報部長、リリナ・テールウィップ。 彼女は、ケイが特別にデザインした闇に溶け込む漆黒の革鎧に身を包み、その金色の猫の瞳を油断なく周囲に光らせていた。その腰には、ドゥーリンが彼女のためだけに鍛え上げた二本の黒色鋼のダガーが音もなく収まっている。彼女の表情は、いつものいたずらっぽい笑みは消え、自らの任務の重さを理解したプロフェッショナルの冷徹な光を宿していた。
そして、彼らの後ろには。 今回の旅のもう一人の重要なキーパーソン。 技術顧問、ボルツ・ストーンハンマー。 彼は、師であるドゥーリンから無理やり着せられた、分厚い、しかし完璧な仕上がりの鋼鉄の胸当てに身を固め、その背中には、まるで宝物でも運ぶかのように厳重に梱包されたアタッシュケースを背負っていた。その若々しいドワーフの顔には、不安と困惑、そして自らが師の名代を務めるのだという生真面目な責任感が、ない交ぜになって浮かんでいた。
彼らを見送るのは、ケイとガロウ、そしてドゥーリンの三人だけだった。 この使節団の派遣は、極秘裏に進められた国家の最高機密。 リオニス王国の目を欺き、そして大陸のパワーバランスを水面下で揺さぶるための静かなる一手。
「……大将。……本当に、行かせちまうのか」 ガロウが、その傷だらけの顔に隠しきれない心配の色を浮かべて呟いた。 彼にとって、エリアーデもリリナも、そしてボルツでさえも、共に死線を潜り抜けてきた大切な家族同然の存在。 その彼らを、敵の巣窟である人間の世界へと送り出す。 その不安は計り知れなかった。
「……フン。……ボルツよ」 ドゥーリンは、自らの愛弟子へと向き直った。 「……貴様は、わしの代理だ。……もし、クロスロードの連中が、わしらの仕事の価値を理解できん節穴ぞろいだった場合は、……あの、『切り札』を、使うまでもなく、その自慢のハンマーで、奴らの頭蓋骨の出来を確かめてくるがよい」 そのあまりにも物騒な激励の言葉。 ボルツは、顔を引き攣らせながらも、力強く頷いた。 「は、はい! 師匠の名に恥じぬよう、務めてまいります!」
ケイは、静かにその三人の頼もしい仲間たちの前に立った。 彼は、何も言わなかった。 ただ、その青い瞳で、一人一人の顔をじっと見つめた。 エリアーデへは、絶対の信頼を。 リリナへは、無事を祈る願いを。 そして、ボルツへは、期待を込めた激励を。 その言葉のない魂の対話。
三人は、その視線だけで、彼らのリーダーが何を伝えたいのかを完全に理解した。 彼らは、深々と一礼した。 そして彼らは、振り返ることなく、アークシティの南門から、まだ朝霧に包まれた森の中へと、その歴史的な一歩を踏み出していった。 アーク連邦、その存亡を賭けた最初の外交戦線が、今静かにその幕を開けたのだ。
◆
旅は、想像以上に過酷だった。 彼らが進むのは、ケイたちが切り拓いた安全な街道ではない。 リオニス王国の監視の目を避けるため、リリナの案内で敢えて険しい山脈を越え、道なき道を行く隠密のルートだった。 だが、物理的な困難よりも、彼らの心を苛んだのは、別のものだった。
数日後、彼らはついにリオニス王国の領内へと足を踏み入れた。 そして、彼らが初めて通過することになった人間の小さな村。 その村で、彼らはこの世界の残酷な現実を改めて突きつけられることになった。
彼らは、フードでその特徴的な耳や尻尾を隠し、ただの旅の一行を装っていた。 だが、彼らのその異様な出で立ちと、そして何よりも、その身に纏うただならぬ雰囲気は、村人たちの好奇と、そして本能的な警戒の視線を集めずにはいられなかった。
村の広場で水を補給しようとした、その時。 不意に吹いた強い風が、リリナのフードをめくり上げた。 その頭上で、ぴんと跳ねた二本の愛らしい猫の耳。
瞬間、村の空気が凍りついた。 先ほどまで彼らに向けられていた好奇の視線は、一瞬で憎悪と侮蔑のそれに変わった。
「……け、獣だ……!」 「亜人が、なぜ、こんな場所に……!」 「出て行け、化け物!」 「石を、投げろ! 追い出すんだ!」
子供たちが、どこからか拾ってきた石を、彼らに投げつけ始める。 ガッ、と硬い石がエリアーデの肩に当たり、彼女は思わず顔を歪めた。 ボルツが、咄嗟に彼女を庇うように前に出る。 「や、やめろ! 俺たちは、何も……!」
「黙れ、化け物風情が!」 村の男たちが、鍬や棍棒を手に彼らを取り囲み始めた。 その目には、理性などない。 ただ、自分たちとは違う、「異物」を排除しようとする原始的な暴力の光だけが宿っていた。
「…………」 リリナは、その場で立ち尽くしていた。 その金色の瞳が、かつて故郷を焼かれたあの日の絶望の色に染まっていく。 (……そうだ。……これが現実。……これが、人間の世界。……アークシティの、あの平和な光景こそが、……ただの夢だったんだ……) 彼女の心が折れかけた、その時。
「――おやめなさい」
凛とした、しかし氷のように冷たい声が響き渡った。 声の主は、エリアーデだった。 彼女は、自らのフードをゆっくりと脱ぎ捨て、そのあまりにも美しい金色の髪と、長く尖ったエルフの耳を白日の下に晒した。 その人間離れした神々しいまでの美貌。 そして、その翡翠の瞳から放たれる絶対的な威圧感。 村人たちは、その光景に息を呑み、一歩後ずさった。
「……私たちに石を投げるというのなら、それもいいでしょう。……ですが、その報いは覚悟していただくことになります」 彼女は、静かにそう言うと、その白く美しい指先から、小さな、しかし眩いほどの魔力の光を生み出してみせた。 それは、ただの脅しではなかった。 本物のエルフの、それも高位の魔術師が放つ本物の魔力だった。
村人たちは、その圧倒的な力の差を本能で悟った。 彼らは、顔を青ざめさせ、恐れるように道を開けた。 エリアーデは、その侮蔑の視線を浴びながらも、背筋を凛と伸ばし、リリナとボルツを促した。 「……行きますよ。……顔を上げなさい、二人とも。……私たちは、アーク連邦の大使なのですから」
三人は、誰からも言葉をかけられることなく、その敵意に満ちた村を後にした。 後に残されたのは、村人たちの怯えた囁き声だけだった。
その日の夜。 野営の焚き火を囲みながら、三人は重い沈黙の中にいた。 あの村での出来事が、彼らの心に暗い影を落としていた。 「……すまねえ、お二人さん」 最初に口を開いたのは、ボルツだった。 「……俺がドワーフだって分かれば、……人間共も、もう少しマシな態度を取ったかも、しれねえ。……俺が、もっと堂々としてりゃ……」 「いいえ、ボルツ」 エリアーデが、静かに首を横に振った。 「……あなたのせいではありません。……あれが、彼らの本性。……ケイが言っていた、『構造的なバグ』、そのものなのです」
「…………」 リリナは、黙って膝を抱えていた。 だが、その小さな身体は、悔しさに震えていた。
エリアーデは、そんな二人の若い仲間たちを見つめ、そして静かに言った。 「……だからこそ、私たちは行かなければならないのです。……クロスロードへ」 彼女の翡翠の瞳に、再び強い光が宿る。 「……そして、証明するのです。……私たち亜人が、決して彼らに劣る存在ではないことを。……いえ、彼らを遥かに凌駕する技術と文化を持つ、誇り高き国家であることを。……ケイが私たちに託した切り札は、そのためのものです」
その言葉。 リリナとボルツの顔が上がった。 そうだ。 自分たちは、もうただの難民ではない。 あの悪魔のような天才、ケイ・フジワラの使者。 そして、あの頑固な伝説の工匠、ドゥーリン・ストーンハンマーの弟子。 自分たちの背中には、彼らの誇りがかかっているのだ。
「……そうですね」 リリナの金色の瞳に、いつもの猫のようなしなやかな光が戻った。 「……あの人間たちに、吠え面をかかせてやるのが楽しみになってきました」
「……おう。……俺も早く、あのクロスロードとやらの職人どもに、師匠と大将の神業を見せつけてやりてえぜ」 ボルツもまた、その無骨な顔に不敵な笑みを浮かべた。
三人の心は、再び一つになった。 最初の洗礼は、確かに厳しかった。 だが、それは彼らの絆を、そしてアーク連邦の使者としての覚悟を、さらに強固なものへと変えた。 彼らは、再び立ち上がり、闇の中を歩き始めた。 目指すは、ただ一つ。 大陸の全ての情報と欲望が集まる中立都市、クロスロード。 その華やかな、しかし腹黒い戦場へと向かって。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! ついに、アーク連邦最初の外交使節団が、その旅を始めました。 そして、彼らが直面した人間社会の厳しい現実。 エリアーデの気高い誇りと、そしてそれによって再び結束する三人の絆が描かれた回でしたね。
さて、次回はついに彼らが目的地である中立都市、クロスロードへと到着します。 彼らが初めて目にする、多種多様な人種と文化が混在する大都市。 そこで、彼らを待ち受けるものとは。 いよいよ、本格的な外交戦線が始まります。
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