第145節: 束の間の休息(コーヒーブレイク)
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。 第七巻『外交戦線』その第四話となります。
前回、アーク連邦の「盾」と「矛」を担うガロウとドゥーリンが、それぞれ常備軍の訓練と新兵器の開発という重い任務に着手しました。 外交、軍事、工業。 全てのプロジェクトが同時に動き出す。 その全ての中心にいる我らがプロジェクトマネージャー、ケイ・フジワラ。 今回は、そんな多忙を極める彼の束の間の休息と、そして彼を支え続けるかけがえのないパートナーとの静かな絆の物語。 それでは、第百四十五話をお楽しみください。
アーク連邦、最高指導者執務室。 その主であるケイ・フジワラの一日は、東の空が白み始める遥か前から始まる。 まず、ハク率いる警備隊からの夜間の定時報告を確認。都市の内外に異常がないことをチェック。 次に、リリナの諜報部隊から極秘裏に上げられてくる周辺諸国の不穏な動向を分析。 そして、夜が明けるとすぐに、ガロウの『軍務省』との訓練進捗ミーティング。ドゥーリンの『工務省』との新兵器の開発進捗ミーティング。エリアーデの『宰相補佐室』との外交準備ミーティング。 それが終われば、各亜人種族の代表者たちからの陳情や要望のヒアリング。 午後は、アークシティそのものの建設プロジェクトの現場視察と問題点の洗い出し。 夕食は、各部門のリーダーたちとの実務的なワーキング・ディナー。 そして、夜。 全ての住民が寝静まった後、彼一人の時間が始まる。 執務室にこもり、その日の全てのログを分析し、明日発生し得る全てのリスクをシミュレーションし、そしてこの巨大な国家というプロジェクトの明日一日の完璧なスケジュールを組み上げる。
それは、前世のあのデスマーチの日々とは比較にならないほどの高密度で、そして高負荷な日々だった。 だが、不思議とあの時のような絶望的な疲労感はなかった。 そこにあるのは、自らが設計したシステムが確かに稼働し、成長していくのを見届ける、創造主のような圧倒的な充実感と、そして何よりも。 「――自分は、一人ではない」 という絶対的な安心感だった。
コン、コン。 その思考を遮るように、執務室の扉が控えめにノックされた。 返事を待つまでもなく、その扉は静かに開かれる。 この最高指導者執務室の扉を許可なく開けることが許されている唯一の存在。
「……ケイ。……また、根を詰めているのでしょう」 呆れたような、しかしどこまでも優しい声。 湯気の立つトレイを手に持って入ってきたのは、銀色の三つ編みを揺らす月光兎族の少女、ルナリア・シルヴァームーンだった。 彼女は、このアーク連邦の『保健衛生局長』という要職にありながら、同時にケイ・フジワラの「専属、医療顧問」兼「栄養管理士」という、誰よりも重要な役割を担っていた。
「……もう、夜中の二時ですよ」 彼女は、ケイの机の上に山と積まれた羊皮紙の束を片付けながら、その隣に温かい薬草茶と栄養価の高いスープを置いた。 「あなたのその身体は、ドゥーリンさんの鋼鉄とは違うんです。……休むことも、プロジェクトマネージャーの重要なタスクの一つだと、……以前私に言ったのは、どこの誰でしたか?」 その真紅の瞳に、ジトとした非難の色を浮かべて、彼女はケイの目の前の椅子に腰を下ろした。
「……すまない、ルナリア」 ケイは、苦笑しながらペンを置いた。 「つい、夢中になっていた。……ありがとう。……君のこのスープが、僕の唯一の生命線だ」 彼は、スープを一口啜った。 疲弊しきった脳細胞に、温かい滋味が染み渡っていく。 それは、どんな高価なポーションよりも、彼の心を癒す魔法の薬だった。
「……ガロウさんたちも、ドゥーリンさんたちも頑張っています。……ですが、彼らがあれほど無茶をできるのは、ケイがこの中枢で全てを支えてくれていると信じているからです」 ルナリアは、静かに言った。 「……あなたが倒れたら、この国は止まる。……あの冬の戦いの前の悪夢を、……もう二度と見たいとは思いません」
その言葉に、ケイははっとしたように顔を上げた。 そうだ。 自分は一度倒れている 。 一人で全てを背負い込み、仲間たちにどれほどの心配をかけたことか。
「……ああ。……君の言う通りだ」 ケイは、深く頷いた。 「……すまない。……少し休むことにするよ」 彼はそう言うと、椅子に深くもたれかかり、大きく息を吐いた。 張り詰めていた緊張の糸が緩む。
静かな時間が流れた。 窓の外では、月が高く昇り、建設途上のアークシティの不揃いなシルエットを青白く照らし出している。 それは、不思議なほど穏やかな夜だった。
「……なあ、ルナリア」 不意に、ケイが呟いた。 「……はい、ケイ」 「……僕たちは、本当にやれるだろうか」 それは、彼がこの世界に来て初めて彼女に見せた一瞬の弱音だった。 「……国家を創る。……リオニス王国と戦う。……あまりにも壮大すぎて、時折分からなくなる。……僕がやっていることは、本当に正しいのか。……ただの僕の自己満足で、君たち全員を危険な道に巻き込んでいるだけなんじゃないか、と」
そのあまりにも人間らしいリーダーの告白。 ルナリアは、驚かなかった。 彼女は、静かに立ち上がると、ケイの傍らに寄り添い、その小さな手をそっと彼の手に重ねた。 その手は、薬草をすり潰すタコで少し硬くなっていたが、信じられないほど温かかった。
「……ケイ」 彼女の真紅の瞳が、月明かりを反射して優しく輝く。 「……私は、難しい政治のことも戦争のことも分かりません。……ですが、一つだけ分かることがあります」 「……なんだ?」
「……私が、あなたと初めて出会ったあの日 。……私は、死を待つだけの存在でした。……人間を憎み、世界を呪い、ただ息を潜めて怯えて生きていただけ。……ガロウさんたちも 、ドゥーリンさんも 、リリナも 、……この都市にいる誰もがそうだったはずです」 彼女は、ケイの手を優しく握りしめた。 「……でも、今は違います」 その声には、絶対的な確信が込められていた。 「……私たちは、明日を信じることができます。……未来を夢見ることができます。……そして何よりも、……仲間を信じることができます。……それを、私たちに教えてくれたのは、……ケイ、……あなたです」
彼女は、そっとケイの肩に頭を預けた。 その銀色の長い髪が、ケイの頬をくすぐる。 「……だから、あなたは間違ってなんかいません。……あなたが進む道が、たとえどんなに険しい道でも。……私たちが、あなたと共にいます。……あなたの盾となり、あなたの剣となり、……そしてあなたの帰る場所として。……ずっとそばにいますから」
そのあまりにも温かく、そしてあまりにも力強い誓いの言葉。 ケイの心の奥底にあった最後の孤独の氷が、完全に溶けていくのを感じた。 そうだ。 自分は、一人ではない。 この温もりがある限り。 この仲間たちがいてくれる限り。 自分は、どんな困難なプロジェクトでも成し遂げられる。
「……ありがとう、ルナリア」 ケイは、そっと彼女の肩を抱き寄せた。 「……君は、僕の最強のパートナーだ」
束の間の休息。 二人の指導者の影が、月明かりの中で静かに一つに重なっていた。 その穏やかな光景こそが、彼らがこれから命を懸けて守り抜こうとしている未来の象徴そのものだった。 アーク連邦、その外交戦線への準備は、今確かに整った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! 第七巻『外交戦線』、その序章となる第36章『最初の仕事』が、これにて完結となります。 外交の使節団。軍事の盾。工業の矛。 その全てが動き出す一方で。 ケイの心の中枢を支えるルナリアの存在。 二人の静かな絆が描かれた回でした。
さて、国内の準備は整いました。 次回より、物語はいよいよ第37章『最初の使節』へと突入します。 ついに、エリアーデ、リリナ、そしてボルツがアークシティを出発します。 彼らが初めて目にする外の世界。 そして、彼らに向けられる人間社会の剥き出しの視線。 どうぞ、ご期待ください。
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