第138節: 獅子の逆鱗
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。 第六巻『アーク連邦建国』、その最終章『波紋』も、いよいよ佳境へと差し掛かってまいりました。
前回、アーク連邦の建国宣言は、大陸西部諸国から「蛮族の戯言」として一笑に付されました。 しかし、その侮蔑の空気の中で、ただ一国だけ、その宣言を決して笑い飛ばすことのできない国家がありました。 今回は、その獅子のプライドを踏みにじられたリオニス王国の怒りの物語。 それでは第百三十八話、お楽しみください。
大陸西部諸国が、「亜人の国家ごっこ」という今世紀最大の笑い話に沸いている、その裏側で。 リオニス王国の首都レオングラードは、全く異質な空気に包まれていた。 それは嘲笑ではない。 それは、凍てつくような静かな、しかし地殻の奥深くで煮えたぎるマグマのような、屈辱と怒りだった。
玉座の間。 国王オルティウス七世は、その肥えた身体を玉座の上でわなわなと震わせていた。 彼の足元には、アーク連邦からの使者が届けたあの建国宣言書が、無残に引き裂かれ散らばっている。 その繻子と金糸で彩られた豪華な広間には、国王の側近である大貴族たちと王国軍の最高幹部たちが、蒼白な顔で列席していた。
「…………」
沈黙。 誰もが口を開けない。 ただ、玉座の主が放つ圧倒的な不機"嫌のオーラに、身を縮こまらせているだけだった。 辺境伯ギュンター・フォン・ロックウェルの軍が、亜人の集落に惨敗を喫した。 その第一報がもたらされた時でさえ、これほどの緊張はなかった。 あの時はまだ、「辺境伯の失態」という他人事のような空気があった。 だが、これは違う。
『アーク連邦、建国宣言』。 それはもはや、辺境の一貴族の問題ではない。 このリオニス王国そのものの顔に、いや、王家のその神聖なる紋章の上に、亜人の汚れた泥靴で踏みにじったのと同義だった。
彼らは、王国が自国の領土であると主張するあの『見捨てられた土地』で、堂々と独立を宣言したのだ。 辺境伯の敗北は、軍事的な「失態」。 だが、これは政治的な「反逆」。 その罪の重さは、天と地ほども違っていた。
「……宰相」 やがて、国王が絞り出したその声は、ひどく低く、そして嗄れていた。 「……オルデウス公爵よ」
「は、ははっ……!」 宰相のオルデウス公爵が、慌てて一歩前に進み出た。そのいつもは狡猾な笑みを浮かべている顔には、脂汗が滲んでいる。
「……説明、してみよ」 国王は玉座から立ち上がり、ゆっくりと、その足元に散らばる羊皮紙の残骸を、その金糸の靴で踏みつけた。 「……これは、一体、何の冗談だ?
……わしの知らぬ間に、わしの領土には猿の王様がお生まれになったのか?」
そのあまりにも冷たい皮肉。 宰相はその場で平伏した。 「も、も、滅相も、ございません!
陛下!
こ、これは、断じて冗談などでは……!
あの愚かな獣共が、先の勝利に増長し、何を勘違いしたのか……!」
「勘違い、だと?」 国王の声が鋭くなる。 「……辺境伯の千の軍勢を打ち破る力を持った獣の勘違いか。……それは随分と性質の悪い冗談よなァ!」
彼は、その肥えた身体には似つかわしくない俊敏さで、壁に飾られていた儀礼用の長剣を引き抜くと、その切っ先を宰相の喉元へと突きつけた。 「わしの権威は地に落ちたぞオルデウス!
辺境の獣共にコケにされ、大陸中の笑いものだ!
……この屈辱!
この責任!
……貴様、どう取ってくれるのだ!」
その剥き出しの殺意。 宰相はもはや声も出なかった。ただカタカタと震えることしかできない。 そのあまりにも無様な姿。
「……陛下。……どうか、その剣をお納めください」 その凍りついた空気を破ったのは、これまで沈黙を守っていた王国軍の最高司令官マルクス将軍だった。 彼は、この腐敗した宮廷の中で、唯一建国の勇猛さをその身に宿す老将だった。 「……宰相閣下をお斬りになっても、王家の権威は戻りませぬ」
その冷静な言葉に、国王ははっとしたように我に返り、忌々しげに剣を鞘へと納めた。 「……マルクス。……では、貴様はどうしろと言うのだ」
「決まっております」 マルクス将軍は、その古武士のような顔に一切の表情を浮かべず答えた。 「――反逆者には、死を。……ただ、それだけです」
そのあまりにもシンプルで、そして力強い答え。 「……辺境伯の敗因は明白。……油断と情報の不足。……そして何よりも、敵をただの獣と侮ったその傲慢さ」 彼は、玉座の国王を、そしてその周囲を取り囲む貴族たちを、その鋭い鷲のような瞳で見渡した。 「……ですが、我ら王国正規軍は違います。……獅子は兎を狩る時も全力を尽くすもの。……このマルクス・アウレリウスに王国の精鋭をお預けください。……今度こそ、あの生意気な獣共の首を全て刎ね、その血で王家の紋章を洗い清めてご覧に入れましょう」
その圧倒的な武人の覚悟。 国王の顔に、ようやく満足げな笑みが戻った。 「……うむ。……さすがは我が王国の守護神よ」
彼は玉座に深く腰掛け直すと、高らかに宣言した。 「――聞け、者ども!
これよりアークシティ――いや、反逆者どもの巣穴、討伐のための本格的な遠征軍を編成する!
総司令官はマルクス将軍本人!
王国の最強の牙『白獅子騎士団』を中核とし、魔法師団、工兵隊、その全ての総力を結集させよ!」
その国王の決定に、宰相も財務大臣も、もはや異を唱えることはできなかった。 彼らの胸の内には、アークシティの技術や富を手に入れたいという欲望が、まだ渦巻いていた。 だが、それ以上に、国王のこの逆鱗に触れた今、ここで反対することは、自らの首を差し出すことと同義だったからだ。
こうして、リオニス王国の国家の総力を挙げた本格的な討伐軍の編成が決定された。 それはもはや、辺境伯の私兵とは比較にならない、本物の戦争の始まりだった。 アーク連邦建国の報せ。 それは、大陸中に嘲笑というさざ波を立てると同時に、最も巨大な獅子の心に、屈辱という消えない炎を点けてしまったのだ。 その炎がアークシティを焼き尽くそうと迫り来る、その時まであとわずか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! 第六巻『アーク連邦建国』編も、いよいよ終盤へと差し掛かってまいりました。 リオニス王国の逆鱗に触れてしまったアーク連邦。 辺境伯とは比べ物にならない本物の脅威、マルクス将軍率いる正規軍が動き出します。
さて次回は、その大陸の緊張をよそに、別の動きを見せる者たちの物語。 リオニスと敵対する勢力。そして、あの大陸東方の巨大な帝国。 彼らは、このアーク連邦の誕生を、どう見ているのでしょうか。
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