第131節: 運命の住民投票
アーク憲章の全ての条文の議論を尽くした彼ら。 その是非を、ついにこの都市の全ての民に問う、歴史的な『住民投票』の物語です。 彼らは果たして、どのような未来を選択するのか。 それでは、第四巻の第十九話となる第百三十一話、お楽しみください。
創世暦10225年、春。 アークシティの歴史において、決して忘れられることのない一日が、幕を開けた。 『アーク憲章』の是非を問う、史上初の住民投票の日。
夜明けと共に、中央広場は、これまでにない、厳粛な、そしてどこか晴れやかな緊張感に包まれていた。 広場の中央には、ドゥーリンがこの日のために一夜にして作り上げた、荘厳な投票所が設置されている。 その入り口には、ケイの手によって、アークシティの新しい共通言語で力強く、こう記されていた。 『汝の一票が、この都市の未来を創る』
ハク率いる警備隊の若者たちが、その真新しい鋼鉄の鎧に身を包み、投票所の周囲を警備している。だが、彼らのその黄金色の瞳には、威圧の色はない。 そこにあるのは、自分たちが今、この都市の最も神聖な儀式の証人となっているのだという、誇りと責任感の光だけだった。
投票は、日の出と共に開始された。 その投票箱に最初の一票を投じる栄誉を与えられたのは、この都市の最高指導者、ケイ・フジワラではなかった。 それは、住民たちの総意によって選ばれた、一人の老婆だった。 先のゴブリン・スタンピードで夫を亡くし、それでも気丈に炊き出しを続け、戦士たちを支え続けた、猫獣人族の長老。 彼女は、震える手で、ケイたちが用意した投票用紙――『賛成』を意味する白い石と、『反対』を意味する黒い石のどちらかを受け取ると、ゆっくりと投票所の中へと消えていった。 やがて、彼女は出てきた。 その深い皺の刻まれた顔には、涙が溢れていた。 彼女は、投票箱の前で一度、深々と頭を下げると、その小さな石を、カラン、と音を立てて投じた。 その小さな乾いた音が、アークシティの新しい歴史の始まりを告げる、最初の鐘の音だった。
その一票を皮切りに。 住民たちが次々と列を作り始めた。 その光景は、圧巻だった。 狼獣人、ドワーフ、エルフ、猫獣人、兎人、蜥蜴人、鳥人……。 肌の色も、文化も、価値観も、全く異なる、二百人を超える多様な種族。 彼らが今、ただ一つの『アーク市民』という資格の下で、等しく同じ列に並び、自らの未来を自らの手で選択しようとしている。 戦士も、職人も、農夫も、母親も。 誰もがその一票の重みを噛み締めながら、厳粛な面持ちで、その歴史的な儀式に参加していく。
庁舎のバルコニーから、ケイはその光景を静かに見下ろしていた。 彼の隣には、ルナリア、ガロウ、ドゥーリン、エリアーデ、リリナ、ハク。 アーク連邦の未来を担う、最初の仲間たちが勢揃いしていた。
「……すごい光景だな、大将」 ガロウが、その傷だらけの顔に、深い感動の色を浮かべて呟いた。 「……俺は、ずっと力こそが全てだと思ってた。……だが、違ったんだな。……こうして、一人一人の意志を束ねることこそが、本当の『力』ってやつだったんだ」
「うむ。……わしの打つ鋼も、そうだ」 ドゥーリンもまた、その白い髭の奥で、厳粛に頷いた。 「どれほど良い鉄も、それだけではただの塊だ。……火と、水と、そして何よりも、わしの魂が込められて、初めて本物の鋼になる。……今のこの光景は、まさにそれよ。……この都市の魂が今、鍛えられておるわい」
ケイは、その仲間たちの言葉に、静かに微笑んだ。 そうだ。 これこそが、彼が本当に実現したかったことなのだ。 システムエンジニアとして、彼は知っていた。 どれほど完璧なプログラムコードを書いたとしても。 それを実行するユーザーが、その意味を理解し、受け入れなければ、そのシステムは決して真価を発揮しない。 彼は、この一週間、この都市の全ての住民という名のユーザーに、アーク憲章という新しいOSの仕様を説明し、そのバグ(懸念)を修正し、そして今、彼らにそのインストールの是非を問うている。 このプロセスそのものが、トップダウンの独裁では決して成し得ない、強固なボトムアップの信頼関係を構築しているのだ。
投票は、日没と共に締め切られた。 中央広場は、再び全ての住民たちで埋め尽くされ、その視線は、広場の中央に置かれた、その巨大な投票箱へと注がれていた。 開票の儀式。 それは、ケイ、そして各部族の長老たちの厳正な監視の下で行われた。 ハクが、その厳粛な手つきで投票箱を開け、中の石を全て、巨大な二つの盆の上へとぶちまけた。 一つは、『賛成』の白い石。 もう一つは、『反対』の黒い石。
広場は、息を呑んだ。 白い石の山は、まさに山脈のようだった。 対する黒い石の山は、……驚くほど小さかった。 だが、ゼロではなかった。 十数個の黒い石が、確かにそこに存在していた。 それは、この都市にまだ変化を恐れる者がいる、という証拠。 そして何よりも、彼らがその『反対』の意志を、恐れることなく表明できた、という証拠だった。
ケイは、その小さな黒い石の山を、白い石の山よりも、遥かに愛おしい目で見つめていた。 (……ありがとう。……君たちのその勇気ある反対票こそが、この都市の民主主義が本物であることの証だ)
ハクが、震える手で集計結果をケイへと手渡す。 ケイは、その羊皮紙を受け取ると、ゆっくりとバルコニーの一番前に進み出た。 全ての視線が、彼に集中する。
彼は、その結果を高らかに掲げた。 そして、その声を、この都市の全ての魂に響き渡らせるかのように、叫んだ。
「――投票総数、二百十七票!」 「――うち、『反対』、……十七票!」 「――そして、『賛成』、……二百票!」
彼は、そこで一度言葉を切った。 そして、この歴史の誕生を、高らかに宣言した。
「――よって、『アーク憲章』は、たった今、このアークシティ全市民の総意として、正式に可決されたッ!!!!」
ついに、『アーク憲章』は、民の総意を得て可決されました。 アークシティは、真の法治国家として、その歴史的な第一歩を踏み出しました。 感動的な住民投票のシーンが、少しでも皆様の心に響いていれば幸いです。 そして、反対票がきちんと存在したこと。それこそが、この都市の健全さの証ですね。
さて、法は制定されました。 次回より、物語はいよいよ第34章『建国宣言』へと突入します。 法という魂を手に入れたアークシティ。 その誕生を世界に知らしめる、壮大な建国式典が始まります。
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