第116節: 幻惑の帳
いつも応援ありがとうございます。いよいよ、運命の夜がやってきました。 サイコロは、投げられた。作戦は、開始される。 アークシティの、全ての希望を背負い、五人の影が、千の敵が待つ、闇の中へと、身を投じます。 息を呑む、潜入作戦の、幕開けです。
深夜二時。
フロンティア村は、死んだかのような、静寂に包まれていた。だが、その、静寂の下で、村の、全ての機能が、一つの、巨大な、そして、精密な、機械のように、連動していた。
北側防壁の、隠された、小さな、出撃用のゲートの前。
五つの、影が、吹雪の中で、静かに、その時を、待っていた。
ケイ、ガロウ、リリナ。そして、ガロウが、自らの、右腕、左腕として、絶対の信頼を置く、二人の、狼獣人族の、精鋭戦士、ハクと、シン。
彼らの身体には、ドゥーリンが、この、一夜のために、特別に打ち上げた、光を反射しない、黒色鋼の、軽量な鎧が、音もなく、フィットしている。手には、同じく、黒色鋼の、ダガーと、ショートソード。その、全ての装備が、この、隠密作戦のためだけに、最適化されていた。
ルナリアが、震える手で、ケイに、一つの、小さな、ガラス瓶を、手渡した。中には、彼女が、持てる技術の、全てを注ぎ込んで、精製した、最高純度の、治癒薬が、淡い光を放っている。
「……ケイ。……どうか、ご無事で」
その、祈るような、声に、ケイは、静かに、頷いた。
「……ああ。必ず、戻る」
その、短い、しかし、力強い、約束の言葉。
そして、その、瞬間は、訪れた。
村の、最も高い、中央見張り台の上。
たった一人、猛烈な吹雪の中に、立つ、エリアーデ。彼女の、銀色の髪が、風に、激しく、舞い上がる。
彼女は、静かに、目を閉じた。
そして、その、美しい唇から、古の、エルフの言葉が、紡がれ始めた。それは、もはや、呪文の詠唱ではなかった。
それは、この、荒れ狂う、冬の、大自然そのものに対する、呼びかけ。
風の精霊よ。雪の妖精よ。そして、夜の闇に、息づく、全ての、古き者たちよ。
我が声に、応えよ。
我が願いに、力を、貸せ。
彼女の、身体から、淡い、しかし、凄まじいほどの、魔力の光が、溢れ出す。その光は、吹雪に、溶け込み、空に、舞い上がり、そして、戦場全体を、覆い尽くす、巨大な、巨大な、魔法の、ドームへと、姿を変えていった。
『――大魔術:冬の夜の夢』
◆
「……な、なんだ、あれは……?」
リオニス王国の、一人の、若い兵士は、信じられないものを、その目で、見ていた。
猛烈な、吹雪が、さらに、その勢いを、増している。それは、もはや、ただの、雪ではなかった。
雪の、一粒一粒が、まるで、意思を持ったかのように、渦を巻き、形を、作り始めたのだ。
巨大な、氷の、狼の群れが、地平線の彼方から、現れる。
天からは、翼を持った、雪の、悪魔たちが、無数に、舞い降りてくる。
そして、四方八方から、自分たちの、仲間であったはずの、兵士たちの、断末魔の、叫び声が、聞こえてくる。
「う、うわあああああっ! 魔物の、大群だ!」
「西からだ! 西から、敵が来たぞ!」
「違う! 北だ! 北の壁が、崩れたんだ!」
パニック。
それは、ウイルスのように、千の兵士たちの、心を、瞬く間に、蝕んでいった。
兵士たちは、幻影に向かって、剣を振り、味方同士で、槍を、向け合う。
将校たちの、怒声は、吹雪の轟音と、幻の、魔物の咆哮の中に、虚しく、かき消されていく。
千の軍勢は、もはや、軍勢ではなかった。
それは、悪夢の中に、閉じ込められた、千の、狂人たちの、群れだった。
◆
その、狂乱の、地獄絵図の中を。
五つの、影が、まるで、存在しないかのように、滑るように、進んでいく。
先頭を行くのは、リリナ。彼女の、猫獣人としての、優れた五感は、エリアーデが作り出した、魔法の幻影と、現実の、敵兵の気配を、完璧に、見分けていた。
その後ろを、ケイが、続く。彼の《アナライズ》は、常に、敵の、混乱の度合いと、エリアーデの、魔力の残量を、リアルタイムで、監視している。
『……エリアーデ殿の、魔力消費、予測よりも、5%早い。……ルートを、修正する。リリナ、右へ、三十メートル。そこに、警備の、空白地帯が、生まれる』
彼の、思考が、直接、仲間たちの、脳へと、届く。
五つの影は、言葉を交わすことなく、一つの、生命体のように、その、進路を、変えた。
左右を、ガロウと、その部下たちが、固める。彼らは、影だった。幻影に惑わされず、正気を保っている、ごく、わずかな、敵の、哨兵を、その、黒色鋼のダガーで、音もなく、闇へと、葬り去っていく。
彼らの動きには、一切の、無駄がなかった。
それは、ケイが、設計し、そして、仲間たちが、完璧に、実行する、死の、舞踏。
彼らは、狂乱の、地獄の中を、唯一、正気な、死神として、突き進んでいく。
やがて、彼らは、たどり着いた。
敵陣の、心臓部。
ギュンター辺境伯の、本陣天幕へと、続く、最後の、防衛ライン。
その、幻影と、吹雪の、切れ間から、彼らは、見た。
黄金の、獅子の紋章が、風に、はためく、巨大な、天幕。
そして、その入り口を、固める、数名の、屈強な、騎士たちの姿。彼らもまた、周囲の、異常な状況に、戸惑い、そして、神経を、すり減らしているのが、見て取れた。
ターゲットは、目と鼻の先。
ケイは、静かに、右手を、上げた。
五つの影が、ぴたり、と、その動きを、止める。
彼の、青い瞳が、最後の、獲物を、捉えた、狩人の、それへと、変わった。
彼は、無言で、その手を、振り下ろした。
狩りの、始まりを、告げる、合図だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! ついに、潜入作戦が、始まりました。エリアーデの、壮大な幻惑魔法、そして、それによって、引き起こされた、敵陣の、大混乱。その中を、完璧な連携で、突き進む、ケイたちの姿。手に汗握る展開でしたね。 そして、ついに、彼らは、敵将の、目前へと、たどり着きました。 しかし、そこには、辺境伯が、最も信頼を置く、精鋭の、護衛騎士たちが、待ち構えています。 次回、ついに、ガロウの、鋼の牙が、騎士たちに、襲いかかる! アークシティの、運命を決する、死闘の、火蓋が、切られます。絶対にお見逃しなく!




