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第114節: 夜陰の斥候

いつも応援ありがとうございます。鋼の剣がぶつかり合い、派手な魔法が飛び交うだけが、戦いではありません。時には、一本の矢よりも、一つの情報が、戦局を大きく左右することがあります。 今回は、フロンティア村が誇る「目」と「耳」、猫獣人族のリリナが主役です。見えざる英雄の、静かで、しかし、誰よりも熱い戦いを、ぜひご覧ください。

作戦司令室の重苦しい空気から解放され、リリナ・テールウィップは、一人、吹雪が吹き荒れる城壁の上に立っていた。眼下には、篝火の光も届かない、完全な闇と、白い狂気の世界が広がっている。その向こうに、千の敵が潜んでいる。


「……リリナ」


背後から、静かな声がした。ケイだった。彼は、彼女のために用意した、特殊な素材で作られた、闇に溶け込むような黒い外套と、ドゥーリンが鍛えた、音を立てないための革底のブーツを、差し出した。


「僕からの、要求仕様書だ」


ケイの声は、いつものように、どこまでも冷静だった。


「第一に、敵将ギュンター辺境伯の本陣天幕の、正確な座標。第二に、本陣周辺の、警備兵の配置と、交代のスケジュール。第三に、設置されているであろう、物理的、および、魔法的な、全ての警報装置の種類と、その作動範囲。第四に、ギュンター自身の、夜間の行動パターン。特に、就寝時刻と、護衛の数」


それは、まるで、データベースに、正確なクエリを投げるかのような、あまりにも、具体的で、無機質な、要求の羅列だった。


「……そして、最も重要なこと。君の任務は、情報収集のみ。決して、交戦してはならない。君は、僕の『目』であり、『耳』だ。その、『センサー』を、失うわけにはいかない」


「……了解しました、ケイ様」


リリナは、短く、しかし、力強く答えた。その翠色の瞳には、恐怖の色はない。ただ、自らに与えられた、重要な任務に対する、プロフェッショナルとしての、誇りの光だけが宿っていた。


彼女は、音もなく、装備を受け取ると、まるで、夜の闇に溶け込む、一滴のインクのように、城壁の上から、その姿を消した。



世界から、色が消えた。


リリナの世界は、白と黒の濃淡だけで、構成されていた。猫獣人族の、優れた夜目が、吹雪の向こうの、僅かな光を捉え、常人には見えないはずの、地形の起伏を、明確な輪郭として、描き出していく。


風が、彼女の耳元で、囁いていた。それは、ただの風の音ではない。敵兵の、鎧が擦れる音。馬が、いななく声。そして、遠くの篝火が、はぜる音。それら、無数の情報が、彼女の、猫のようにしなやかな耳に、立体的な音響マップとして、再構築される。


匂いが、道を、示していた。鉄の匂い。汗の匂い。そして、貴族が使うであろう、安っぽい香油の匂い。それらの匂いの、最も濃い場所。そこが、敵の中枢。


彼女は、獣だった。人間が、五感の全てを使っても、決して、知覚することのできない、情報の奔流の中を、まるで、水の中を泳ぐ魚のように、自然に、そして、滑らかに、進んでいく。


何度か、危ない場面はあった。


突然、進路の先に現れた、巡回の兵士。リリナは、雪の中に掘られた、窪みに、音もなく身を滑り込ませ、ただ、息を殺した。彼女の心臓の音が、やけに大きく聞こえる。兵士の、雪を踏みしめる足音が、頭の上を通り過ぎていく。その、ブーツの底にこびりついた、泥の匂いまで、分かった。


鋭い嗅覚を持つ、軍用犬が、彼女の潜む方向に向かって、グルル、と唸り声を上げた。だが、その瞬間、吹雪が、一際、強く吹き荒れた。風が、彼女の匂いを、一瞬で、かき消していく。


彼女は、幸運に感謝しながら、再び、闇の中を、進んだ。


やがて、彼女は、たどり着いた。


敵陣の、まさに、心臓部。ひときわ大きく、そして、紋章が掲げられた、豪奢な天幕。その周囲は、屈強な騎士たちが、十重二十重に、固めている。ここが、ギュンター辺境伯の本陣に、間違いなかった。


リリナは、音もなく、近くの、補給物資が積まれた、木箱の山の上へと、駆け上がった。そこは、全ての警備兵の、死角となっていた。


彼女は、そこから、ただ、ひたすらに、観察を続けた。


警備兵が、交代する。その、正確な時間と、人数を、記憶に刻み込む。


天幕の入り口に、微かな、魔力の揺らぎが見えた。おそらく、侵入者を感知するための、警報結界だろう。だが、その結界は、天幕の、地面との、僅かな隙間までは、カバーしきれていない。猫のように、しなやかな身体を持つ彼女ならば、あるいは、そこから、潜り込めるかもしれない。


時間が、過ぎていく。


やがて、天幕の中から、酔っ払ったような、大きな笑い声と、がなり声が聞こえてきた。作戦会議が終わったのだろう。何人かの、将校らしき男たちが、天幕から出てきて、それぞれの持ち場へと、戻っていく。


そして、最後に、ひときわ、恰幅のいい、そして、傲慢な顔つきをした、壮年の男が、姿を現した。ギュンター辺境伯、その人だった。彼は、入り口で見張りをしていた騎士に、何事か、命令すると、再び、天幕の中へと、戻っていった。


その直後、警備の騎士の数が、半分に減らされた。残ったのは、天幕の入り口を守る、二人の、屈強な、護衛騎士だけ。


――これだ。


リリナの、翠色の瞳が、カッと、見開かれた。


ケイが、求めていた、決定的な、脆弱性セキュリティホール


彼女は、必要な、全ての情報を、手に入れた。


彼女は、再び、闇の中へと、その身を、躍らせた。帰り道は、行きよりも、さらに、慎重に、そして、迅速に。


夜が、明けようとしていた。


東の空が、吹雪の中で、わずかに、白み始めた、その頃。


リリナは、まるで、影が、実体を取り戻すかのように、アークシティの、城壁の上に、音もなく、その姿を、現した。


彼女は、作戦司令室へと、直行すると、そこで、不眠不休で、彼女の帰りを待っていた、ケイの前に、膝をついた。


そして、彼女は、プロの斥候として、一切の、感情を交えず、ただ、収集した、客観的なデータだけを、淡々と、報告した。


本陣の座標。警備の交代時刻。警報結界の、弱点。


そして、ギュンター辺境伯が、酒を飲んだ後、護衛を、二人だけにして、自室にこもる、その、正確な時刻。


全ての報告を聞き終えた、ケイは、静かに、頷いた。


彼は、地図の上に、リリナがもたらした、新しい情報を、赤い石で、プロットしていく。


そして、彼は、その、冷徹な、プロジェクトマネージャーの顔で、静かに、しかし、その場の、全ての者の、運命を、決定づける、言葉を、告げた。


「……作戦成功確率は、当初予測の、3.4%から、41.2%へと、上昇した」


彼は、顔を上げた。その、青い瞳には、もはや、何の、迷いもなかった。


「――これより、『プロジェクト・ディフェンス』は、フェーズ2へと、移行する。……斬首作戦を、決行する」

最後までお読みいただき、ありがとうございます! リリナの、プロフェッショナルな仕事ぶりが光る回でした。彼女の命がけの偵察によって、絶望的だった作戦に、ついに、一条の光が差し込みました。 成功確率、41.2%。それは、まだ、半分以下の、危険な賭けです。しかし、ケイは、その、細い蜘蛛の糸を手繰り寄せることを、決断しました。 次回、合理的な賭け。ケイの、冷徹なロジックが、仲間たちの、熱い魂と、ぶつかります。この、無謀な作戦に、ガロウとエリアーデは、果たして、同意するのか。どうぞ、お楽しみに!

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