第113節: 策謀
いつも応援ありがとうございます。皆様のブックマークと評価の一つ一つが、アークシティの防壁を築く力となっております。 さて、昨日の戦いは、アークシティにとって最初の、そしてあまりにも大きな勝利でした。しかし、それは同時に、多くの代償を伴うものでした。エリアーデの消耗した魔力、消費された武具、そして何より、長期戦は破滅を意味するという冷徹な現実。 今宵、リーダーたちは決断を迫られます。このままジリ貧の戦いを続けるのか、それとも――。物語が、大きく動きます。
夜の闇と猛威を振るう吹雪が、アークシティを外界から完全に隔絶していた。初日の攻防を辛うじて退けた城壁の上では、交代したばかりの兵士たちが、凍てつく風の中で息を殺し、闇の向こう側を睨みつけている。勝利の興奮は、既に極度の疲労と、明日への漠然とした不安に上書きされていた。
リーダー用の、一番大きな小屋。そこは今、アーク連邦の存亡を決する作戦司令室と化していた。中央のテーブルに広げられた地図を囲むのは、この国の頭脳と心臓、そして牙たる者たち。その表情は、一様に硬い。
「……初日の損害報告だ」
最初に重い沈黙を破ったのは、軍務大臣ガロウだった。彼の野太い声には、隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
「戦死者は、ゼロ。重傷者三名、軽傷者十五名。ルナリア殿の迅速な治療のおかげで、いずれも命に別状はない。これは、奇跡的な結果だ」
その言葉に、他のリーダーたちも静かに頷く。だが、誰も安堵の表情は見せなかった。
「だがな」とガロウは続けた。「武具の損耗が、予想以上に激しい。ドゥーリンの爺さんが作ってくれた鋼の槍や剣は、確かに化け物じみた切れ味だった。だが、あの物量だ。刃こぼれしたものが全体の二割、完全に使い物にならなくなったものも一割近くある。矢の備蓄も、今日の戦闘だけで、全体の四分の一を消費しちまった」
その報告を引き継ぐように、工房から駆けつけたドゥーリンが、忌々しげに白い髭を扱きながら言った。
「フン。武具の修理なぞ、一晩でありゃせんわい。それに、矢の量産にも限界がある。あの質の悪い鉄を、もう一度溶かし直すところから始めにゃならん。……はっきり言って、今日と同じ規模の戦いが、あと三日も続けば、俺たちの武器は、石ころと木の棒だけになるぞ」
職人の、どこまでも現実的な言葉が、室内の空気をさらに冷たくする。そして、その場の全員の視線が、静かに俯いていた一人のエルフへと注がれた。宰相補佐官、エリアーデ・ウィンドソング。今日の防衛戦の要であった、彼女の顔色は、雪のように白かった。
「……私の、魔力残量は、もはや四割を切っています」
か細い、しかし、凛とした声だった。
「全快には、最低でも三日は必要でしょう。明日、今日と同じ規模の防御結界を展開するのは……不可能です。小規模な支援魔法であれば、可能ですが……」
彼女は、そこまで言うと、悔しそうに唇を噛んだ。
戦士は疲弊し、武器は損耗し、魔法は枯渇する。報告される全てのデータが、ただ一つの、残酷な未来を指し示していた。
「……消耗戦は、敗北を意味する」
それまで、黙って報告を聞いていたケイが、静かに、しかし、断定的に言った。彼の声には、何の感情も含まれていない。ただ、システムが出力した、エラーログを読み上げるかのような、冷徹な響きだけがあった。
「現状のパラメータを元に、シミュレーションを繰り返した。我々が、このまま防衛に徹した場合、四十八時間以内に、システムがクラッシュする……すなわち、アークが陥落する確率は、99.8%だ」
その、あまりにも無慈悲な数字に、ガロウがテーブルを拳で叩いた。
「大将! だが、俺たちの戦士の魂は――」
「それは、定量化できない、不確定要素だ」
ケイは、ガロウの言葉を、即座に切り捨てた。
「僕は、確率の低い変数に、この国の存亡を賭けることはできない。……だから、勝利条件そのものを、変更する」
彼は、立ち上がると、地図の中央、アークシティを包囲する敵陣の、さらにその中心を、一本の指で、強く指し示した。
「我々の目的は、敵軍の殲滅ではない。敵という、巨大なシステムの、強制シャットダウンだ。そのために、我々は、敵の中枢……サーバーのメイン電源を、直接、引き抜きに行く」
その、あまりにも突飛な言葉の意味を、誰もが、理解できずにいた。
「……どういう、意味だ?」
ガロウの問いに、ケイは、その青い瞳に、氷のような光を宿して、答えた。
「特別作戦を実行する。目標は、敵将、ギュンター辺境伯の首、ただ一つ。……蛇の頭を、断ち切りに行く」
斬首作戦。
その、あまりにも、おぞましい響きを持った言葉に、小屋の中は、水を打ったように静まり返った。
最初に、我に返ったのは、やはりガロウだった。
「……正気か、大将ッ!」
彼の怒声が、部屋を震わせた。
「それは、戦士の戦い方じゃねえ! 闇に紛れて、敵の大将の首を掻き切るなんざ、卑劣な暗殺者のやることだ! 俺は、そんな戦い、認めん!」
「ガロウ殿の言う通りです、ケイ様」
エリアーデもまた、か細く、しかし、強い意志を込めて、反論した。
「戦術的にも、無謀すぎます。千の兵が守る本陣に、どうやって近づくと? それは、作戦などではない。ただの、自殺行為です」
ドゥーリンもまた、呆れたように、鼻を鳴らした。
「フン。小僧の考えることは、これだから好かん。博打にも、なっておらんわい」
猛反対の嵐。それは、ケイが、完全に予測していた反応だった。彼らは、それぞれの価値観と、専門分野の視点から、当然の意見を述べているに過ぎない。
だが、ケイは、反論しなかった。
彼は、ただ、静かに、小屋の隅で、息を殺して成り行きを見守っていた、一人の少女へと、その視線を向けた。
その視線に気づいた、猫獣人族の斥候長、リリナ・テールウィップが、びくりと、その肩を震わせる。
「……これは、博打ではない。計算された、リスクだ。だが、その計算を、完璧なものにするためには、より、正確なデータが必要だ」
ケイは、リリナの、夜の闇の中でも、爛々と輝く、翠色の瞳を、まっすぐに見つめた。
「リリナ」
その、静かな呼び声に、リリナは、背筋を伸ばし、直立不動の姿勢をとった。
「君に、この戦争の、雌雄を決する、最も重要な任務を与える」
その言葉は、全ての反対意見を、その場から消し去るほどの、絶対的な、重みを持っていた。
アークシティの運命は、今、一人の、猫の少女の、その、小さな両肩に、託されようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! 消耗戦は破滅への道。ケイが提示した唯一の活路は、敵将の首を狙うという、あまりにも危険な「斬首作戦」でした。 戦士の誇り、戦術的な常識、その全てを覆すこの作戦は、果たして狂気の沙汰か、それとも起死回生の一手か。その成否の鍵は、今、一人の斥候、リリナに託されました。 次回、夜陰の斥候。彼女の五感が、闇に閉ざされた戦場に、一条の光を見出します。どうぞ、お楽しみに!




