#094 諏訪湖水起請(後)
Let's,処刑タイム。
「何を申される!謀反じゃと⁉わしに二心などあろう筈も無い、根も葉も無い言いがかりじゃ!」
自身の叛意が信玄の耳に入ったと知った氏元は、内心の動揺を押し殺して全面否定に走った。
「御屋形様(武田信玄)の思い違いであろう、そうに違いない…相分かった、御屋形様がお戻りになるまで甲府にて謹慎いたそう。文にて詫び言を申し上げればきっと得心いただける筈、ここは一度仕切り直しを…。」
とにかく時間を稼ぎ、風向きが変わるのを待とうとする氏元の思惑を見透かすように、処刑役人は冷笑を浮かべた。
「ふ…御屋形様は三河守(徳川家康)の成敗にかかり切りじゃ、貴殿の妄言に付き合う暇は無い。それでも尚自身が潔白であると申されるなら…水起請にて事の理非を明らかにされてはどうか?」
「み、水起請…?」
聞き慣れない言葉に嫌な予感を覚えた氏元に、なぶるような視線を向けながら、処刑役人は説明を始めた。
ここ諏訪は霊験あらたかな地であり、凍結した湖面の一部が盛り上がってひと繋ぎの亀裂となる『御神渡』など、人智では到底推し量れないような奇跡が度々起こる。即ち、神前にて潔白を証明出来るのであれば、一族郎党助命すべきである、というのが信玄の判断である、と。
「八郎殿がここから向こう岸まで泳ぎ切れれば理(勝訴)、出来なければ不理(敗訴)…分かりやすい仕儀にござろう?」
「な、成程…道理にございますな…。」
(冗談ではない!諏訪の寒さは駿河とは比べ物にならないではないか!斯様な所で泳いだら、心の臓が止まってしまう…!)
二か月近く諏訪で寝起きしていた氏元は、信濃の冬の厳しさを身をもって味わった。目の前で薄氷を浮かべている諏訪湖に全身を浸せばどうなるかなど、考えるまでもない。
(だが…信玄は諏訪大社を保護しておる。そこを水起請の場に用いるとなれば、木っ端役人の思い付きではあるまい。最早、覆らぬか…。)
「向こう岸まで泳ぎ切れば、御屋形様はわしの忠節を認めてくださるのじゃな?」
「勿論。向こう岸まで辿り着ければ。」
薄笑いを浮かべる処刑役人の言質がどこまで当てになるかは不明瞭だったが、他に活路を見出す事が出来ない氏元に、最早選択肢は無かった。
衣服の有無に一瞬迷ったものの、湖水で濡れれば重荷にしかならないと割り切り、褌一丁になって諏訪湖へと足を踏み入れる。途端に、刺すような冷気が氏元を襲った。
(ぐ…挫ける訳には行かぬ!ここで全てを失っては、何のために養父を裏切り、今川を見限り…武田に媚を売って参ったのか分からぬ!)
今すぐ火に当たりたい、暖かい布に包まれたい…そんな本能的欲求に逆らって湖水の中へと身を進め、足元が覚束なくなった辺りで湖底を蹴る。
若き日に取り組んだ水練の技法を必死に思い出して、対岸を目指して泳ぎ始めた氏元だったが…限界はすぐに訪れた。
「がっ…がぼっ、がぼ…。」
体が思うように動かず、口から入った水を吐き出せない。
武士の名誉には程遠い格好で沈んでいく――かに思われた直後、鮮やかな色彩が力強く氏元を引き上げた。
「…真白、か。なにを、しておる。」
真白――百は遊女の装いのまま、仰向けにした氏元の髷を片手で掴み、引っ張りながら、一定の拍子で水を掻いて進んでいた。
「非礼の段、お許しあれ。我が主は目的のために手立てを選ばない時もございますが…元来、道理に背く行いを厭うておいでです。左様なお方に八郎殿を見殺しにしたとは申せませぬ。武田も武田にございます、諏訪の湖を斯様な事に利用するとは…。」
珍しく怒りを露わにする百の声に、氏元は震える唇を歪めて笑った。
「く、く、く…影の者にそこまで言われては、武田も長くはないかも知れぬ、な…もう、ここで良い…打掛だけ残して、身をくらませ…。」
「何を…!一族の命運はどうなさいます。」
「わしとて他家から葛山に入り…家を乗っ取った…その報いを受ける時が来たのであろう…せめて子らに先んじて黄泉路に入り…案内をせねば…行け!お主にはお主の役目があろう…最期に、聞いてくれ…比興者の頼みを…。」
「葛山八郎の亡骸を引き揚げましてございます。褌一丁に遊女の打掛を搔き抱いておりました。」
「黄泉路の供を務めようと入水するとは、遊女とはいえ天晴な女子であったな…あるいは八郎め、寒さに耐えかねて打掛を奪ったのではあるまいな。」
「さもあらん、当代きっての比興者にございますれば…磔の支度は整ってございます。」
「うむ、これで八郎の血を絶やせばお家は安泰よ。御屋形様に良い報告が出来そうじゃ。」
人気の無い湖岸に泳ぎ着いた女は、氏元の息子達が磔にされ、鑓で突かれて処刑されるまでの一部始終を見届けると、未だに薄氷を浮かべる湖面に背を向けて呟いた。
「言われるまでもない。必ずや…必ずや武田に一泡吹かせてご覧に入れましょう。」
『駿東の表裏比興者』葛山氏元。
元亀四年(西暦1573年)二月、諏訪湖にて死す。
享年54歳。
『水起請』は99パーセント筆者の妄想です。
葛山氏元は諏訪湖に入って死んでいるのに、息子達が磔にされている(史料によって差異あり)のは何故か、と考えた結果、「武田が処刑を正当化するために、『無実なら向こう岸まで泳いでみろ』とか無理強いしたんじゃないか⁉」という仮説を立てるに至りました。




