#088 いくさのあとで(前)
今回のメインはお疲れ様パーティーです。
運動系部活の祝勝会みたいなノリになりました。
元亀三年(西暦1572年)十二月 相模国 早川郷
与七殿との模擬戦を終えた日の午後、私は今回のイザコザに付き合ってくれた面々を屋敷に招き、論功行賞と慰労会を開催していた。
何しろ早川郷に軍役を課す事無く『早川軍』を編成しなければならなかったので、極端に言えば兵員は私を除く全員が『傭兵』である。モチベーションを上げるため報酬の半分は前払いにしてあったのだが、残り半分と模擬戦中の活躍に応じた追加手当、双方を早急に支払わないと不満が溜まるのは火を見るよりも明らかだ。
そんな訳で、松田憲秀殿の部下が記録した内容を基に各自の功績を列挙し、それに見合う追加報酬を支払うという作業を99人分、事務的かつ最低限の礼儀を尽くしながら実質流れ作業で終わらせて…かーらーの、百人規模の大宴会である。
広間にすし詰めにするのも窮屈なので、後始末の事はこの際忘れて中庭に畳を敷き、広間の内外を自由に出入りしてもらう事になった。模擬戦にどうやって勝つかに思考が占領されていたので、泥縄もいい所である。風魔忍者20名は報酬を受け取ったらそそくさと帰ってしまったので、その分が浮いたと言えば浮いたのだが。
…ちなみに風魔忍者の皆さんには(見ているこっちが居たたまれなかったので)江川酒が入った徳利を一人一本、サービスで渡してある。職務上呑めるかどうかは分からないが、いざとなれば売却なり物々交換なりするだろう。
「チックショー!御前様が後払い分をそっくりそのまま渡してくれりゃあ、江戸で贅沢三昧出来たってのに…。」
「何言ってんだい勘吉っつあん、アンタまた掛金が溜まってんだろう?御前様が替銭(かえぜに=銭建て為替)の証文をアンタのカミさんに送らなきゃ、親子共々憂いなく年を越せねえじゃねえか。普請で人一倍働いたからって余分に貰えたんだ、これ以上騒ぐとその稼ぎもフイになっちまうぜ。」
「う…うるせえ!こうなったら屋敷中の食い物を食いつくしてやる!オラ寄越せ!」
中庭でそんな騒動が繰り広げられる中、私は広間の上座に五郎殿と並んで座り、紬から質問攻めにされていた。
「では、急な普請で中郡郡の男手がいなくなったのも、母上の謀ゆえの事だったのですか?」
「そうよ。『渡鴉』の面々が与七殿に冷遇されていると聞いて間者に仕立て上げる策を思いついたのだけれど…与七殿が無事に人数を調えては付け入る隙が無いでしょう?だから隙を作る事にしたの。母上や姉上…ええと、本城御前様や伯母様の伝手を使って。」
見返りは会場整備に用いる資材の発注と、見物に来そうな周辺住民への宣伝活動だった。凛姉様傘下の材木業者や飲食業者はそれなりに儲かった筈である。
「成程…間者を紛れ込ませる隙が無いなら、隙を作る…。」
私の回答を反芻しながら手元の紙にメモを取る娘を見て、私は途端に不安になった。
さっきからこの調子で私が弄した詭計謀略を律儀に記録しているのだが――自分の悪行が後世に残るのは構わない、自己責任だ――もし実戦もこんなにチョロいものだと誤認しているとすれば、今のうちに訂正しておかなければならない。
「母上もこれ程の戦上手だったとは…この紬、感服いたしました。今後母上が軍勢の采配を振るえば、我が家は連戦連勝、向かう所敵なし――」
「水を差すようで悪いけれど、紬…ほんとうの戦はこんなに生易しいものではないの。」
私の言葉から何かを感じ取ったのか、紬は泣きそうな顔で筆を置いた。…うう、罪悪感が。罪悪感が凄い。
「此度は死合もした事の無い青二才が相手だったから、戦場から日取り、采配まで操る事が出来た。私も気心の知れた町民達に囲まれて、陽斎殿に大方の采配を任せて、終始優位に振る舞う事が出来た。けれど…。」
私が五郎殿の顔色を窺うと、五郎殿は笑顔で「構わぬ、存分に申せ」と言ってくれた。
「…ほんとうの戦には注連縄も無い、戦を始めたり終わらせたりする刻限も無い。双方が兵数を同じくする決まりも無いし…公正中立な軍監もいない。だから一方が『参った』と言っても戦が終わるとは限らないし…一度で勝敗が決する保証も無い。」
何より、と前置きをしてから次の言葉を発するのに少し時間がかかった。
「ほんとうの戦では、亡者は蘇らないの。勘吉殿も、陽斎殿も、風魔忍者も、町民百姓も、足軽も、私も父上も…戦場にいたら死んでしまうかもしれないの。だから…軽々に戦の勝敗を論ずる女性には、どうかならないで。」
紬は目を潤ませ、鼻をすすりながら何度も頷くと、筆記用具一式を抱えて立ち上がり、広間の隅に待機していた貞春様へと駆け寄って行った。
「口が過ぎたでしょうか。」
「いや、よう言うてくれた…紬は聡い、お主の申した事をきっと分かってくれるであろう。」
五郎殿の言葉が現実になる事を、私は切に願うのだった。
後半の主人公の言動に筆者の戦争観が反映されているであろう、という自覚は少なからずあります。
真田信幸の妻(通称小松姫)が大坂の陣から生還した息子二人に、「どちらか死ねば良かった」などと言ったというエピソードもありますので、実際の戦国武将の妻や娘は十分好戦的だったのかも知れません。




