#086 冬季特別演習:大藤与七vs早川殿『逆襲』
戦況:大藤与七が騎馬武者隊を臨時編成、北本陣への突入準備
早川軍の包囲陣に突入した雑兵の損耗増大、全滅間近
早川軍(北)130vs与七軍(南)12
「なにゆえ『待て』と仰せか、上総介殿。」
練兵場の東側、南北の本陣の中間に設けられた物見矢倉の中で、北条左京大夫氏政は今川上総介氏真に険しい視線を送っていた。
ここはただの見張り台ではない。大藤与七の…そして早川殿の力量を見極めるために氏政が乗り込んだ、いわば『特等席』である。
与七軍前衛の寝返り、枯れ草に紛れて暗躍する風魔忍者達、地形障害を逆手に取っての奇襲…実戦さながらの詭計が次々と繰り出される様子に、氏政は一度ならず腰を浮かせ、供回り達は何度も感嘆の声を漏らした。
だが戦況も大詰めといったこの段階で、与七が打った手に漏れたのは落胆のため息だった。あれだけ『正道』がどうのと宣っていた与七が、同年代の若武者達と共に騎乗するという、模擬戦の細則に真っ向から歯向かう暴挙に出たからだ。
氏政は直ちに模擬戦を中断するよう指示を出そうとしたが…それに待ったをかけたのが隣で観戦していた早川殿の夫、氏真だった。
ちなみに二人の娘――氏政の姪に当たる――紬は、父の膝の上に乗り、開口部の縁を両手で掴んで、模擬戦の推移を食い入るように見つめている。
「折角ここまで盛り上がったものを中断しては、勿体無うござる。決着が着くまで見守られてはいかがかな?」
「勝敗はとうに決した。与七が斯様に不心得者とは思わなんだ…この勝負、結の勝ち――」
「彼方をご覧あれ。」
氏真が視線を向けた先…早川殿の陣の側へと視線を飛ばした氏政は、眉根を寄せた。
…開戦前から配置されていた早川軍の前衛が、その場で長鑓の穂先を南へと向けている。まるで騎馬武者の突撃に備えるかのように。
「窮鼠猫を噛む…追い詰められた与七殿がいかに動くかなど、我が妻にはお見通しという事。儂の見立てが正しければ、与七殿がどう足搔いたところで敗北の定めからは逃れられぬ…最後まで見届けられよ。」
そう言って氏真は紬を抱え直し、観戦に戻る。
氏政は模擬戦中断の命を下す事無く、床几に座り直すのだった。
(よし!)
揺れる愛馬の背中で、大藤与七は密かに快哉を叫んだ。
(弓兵が足軽と組み合った隙を突いて、本陣を抜け出せた…このまま練兵場の只中を突っ切って、速やかに早川殿の本陣を落とす!)
自身と傅役、『若鷹衆』の若武者10名。総勢12騎で襲い掛かれば、侍がいない早川軍に成す術は無い筈だ。
胸中で算盤を弾いていた与七は、眼前の障害に顔をしかめた。
(早川軍の長鑓隊…開戦から一歩も動いておらんではないか!このままでは槍衾に突っ込む、回り込まねば…。)
「者共、わしに続け!」
後方に指示を飛ばし、手綱を繰って進路を左に変える。
中央に陣取っていた長鑓部隊をかわしたと一息つこうとするも、進路上にはまたも別の槍衾が立ちはだかっていた。
「ぬうっ、小癪な…次はこちらじゃ!」
今度は右に方向転換。すると、草むらの中心で仁王立ちする男が目に入った。
「あれは…赤羽陽斎!知恵者気取りめ、思い知らせてくれる!」
行き掛けの駄賃に痛い目を見せてやる、と意気込んだ与七の前にぬうっと立ち上がったのは、幾つもの鑓の穂先。――陽斎が直率する兵が、ぎりぎりまで鑓を伏せ、身を隠していたのだ。
「なっ…ええい、お主の相手などしている暇は無いわ!」
すんでの所で馬の手綱を引き、槍衾を回避した与七はまたも馬の首を巡らせ…ようやく北側本陣の麓に到着する。
「よし…!皆の者、あとはここを登れ、ば…。」
馬を降りながら振り返り、指示を出そうとした与七は凍り付いた。
そこにいたのが、同様に馬を降りる傅役だけだったからだ。
「爺、皆は一体何処へ…。」
「…道中、幾度も槍衾に行く手を阻まれましたが…そこで馬の足が止まる度に矢玉を食らい、或いは長鑓に突き上げられて…若と拙者を除いて、皆討ち取られてございます。」
百人いた筈が、今やたったの二人――与七は心細さを誤魔化すように憤怒を沸き立たせ、丘の上を睨んで叫んだ。
「女狐め、最早逃がさぬ!成敗するゆえ其処で待っておれ!」
持ち前の武勇で早川殿を脅し、降参させれば勝利した事になる筈。
そんな僅かな希望にすがりながら、与七は丘を駆け上って行った。
戦況:大藤与七が早川軍本陣に接近
残存戦力2名
早川軍(北)130vs与七軍(南)2




