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#081 模擬戦に備えよ!(前)

♬~大藤さんちの与七君~この頃様子がヘンよ~どうしたのかな~♬

「反抗期ですね。」

「若…陣触(じんぶれ=動員令)を急がなくてもよろしいのですか。」


 大藤家の屋敷、その中庭にて。

 背後に立つ傅役の声を一顧だにせず、大藤与七は木刀の素振りを続けていた。


「左様に気を揉む事もあるまい。模擬戦(ためしいくさ)は七日後…まだまだ猶予はあるではないか。」


 自分は先代…式部丞政信に与えられた使命を果たして来なかったのではないかと、傅役は無言で俯いた。




 大藤式部丞政信の務めには諸足軽衆の指揮のみならず、相模国における北条の直轄領、中郡郡(なかごおりぐん)を統治する郡代(ぐんだい)の役目も含まれていた。

 多忙を極める当主に代わって後継者――与七の育成を託された傅役ではあったが、生来の気質ゆえか、与七が唯一の後継者候補であるという事情が気に掛かったためか、甘く接して来たという自覚がある。

 そのためか、与七は実父の務めを疎んじ、所かまわずこき下ろした。そして「士分(さむらい)」という体裁にこだわり、言動や立ち居振る舞い、付き合う相手まで実父への当て付けのような行動を繰り返すようになったのだ。

 …それが真に『真っ当な』武士に続く道行きであれば、傅役も或いは応援する側に回ったかも知れない。

 問題は二点。人生経験に乏しい与七が小田原城内の先達と交流する際に空回りしている――与七本人は自覚が無い――点と、その交際費に政信(ちち)の遺産と籠目(はは)の私財を流用している点だ。




(若は借銭の質草(カタ)に先代の遺産を充てておいでじゃ…置文の通り、若に一銭も引き継がれぬとあれば…若ご自身が借銭を背負わなければならぬ。異議を唱えるのも当然か…。)

「されど若…先方には『越中の赤鬼』の異名を持つ、赤羽陽斎殿が付いておられます。生半可な支度で臨まれては危ういかと…。」


 傅役が、次期当主の逆鱗に触れる危険を承知で模擬戦の不安要素を口にすると、与七は素振りを止め、不機嫌を隠そうともせず振り返った。


「その話はわしも知っておる。されど…一体何年前の手柄話じゃ。ここ数年の合戦で大将首を挙げたという話も聞かぬし…我ら『若鷹(わかたか)衆』の勢いには敵うまい。」


 そう言い捨てると、与七は木刀を傅役に向かって投げ、(きびす)を返す。傅役は辛うじて木刀を受け取り、「どちらへ⁉」と困惑混じりに叫んだ。


「遠乗りじゃ!」


 遠ざかる与七の背中を見つめながら、傅役は習い性のようにため息を吐く。と、中庭に面した縁側から「ことり」という音がした。

 傅役が緩慢な動きで音のした方を見やると、平伏する女中の横に湯気を立てる湯吞が置かれていた。


「ご無礼仕ります。若君が所望される頃合と踏んで白湯をお持ちしたのですが…。」

「おお、気が利くのう…されど、若は遠乗りに行ってしまわれた…折角じゃ、わしがいただこう。」


 与七の無理解に少なからず憤りを覚えていた傅役は、ささやかな反抗心から白湯の横領を決意し、縁側に乱暴に腰掛ける。


「ズズズ…ほうっ、冷えた体に染み渡るようじゃ…。」

「恐れながら…近頃ため息が増えたようにお見受けします。どこか、体の具合でも…?」

「いや、そういう訳では無いのじゃが…どちらかと言えば気疲れ、かのう…。」


 キレやすい若者との神経を使う会話から解放された気の緩み、女中とはいえ若い女性に気遣われたという近年稀に見る経験から、傅役は先刻までの懊悩を少しずつ口に出していった。


「…という次第でな。どうしたものやら…ああいや、お主に斯様な事を申しても、詮無き事であったのう。」

「いえ、気晴らしになれば幸いにございます。」


 平伏したまま淡々と返答する女中に、傅役は好感を抱いた。


「時に…お主、若の夜伽(よとぎ)の相手をする積もりは無いか?悪い話ではなかろう。」


 彼女と――聞き上手で見識深い女性と交流すれば、与七の知見も広がるのではないか。

 そんな期待から持ちかけた提案に、女中は俯いたまま首を横に振った。


「申し訳ございません。わたくしはすこぶる器量が悪く…若君の機嫌を損ねる事、疑うべくも無いかと。」


 その言葉と共に向けられた顔を見て、傅役は僅かに顔をしかめた。

 目、鼻、口の形や位置関係が絶妙に悪く…端的に言って醜女(ブス)である。この顔からこの美声が発せられているのが噓のようだ。


「う、うむ、そうか…済まぬ、忘れてくれ…。」


 世の中にそんなに旨い話はそうそう無いか…と肩を落とす傅役に改めて一礼してから、女中は空になった湯吞を回収し、(くりや)に向かった。




 誰もいない厨に湯吞を返却した女中は屋敷の片隅――人気(ひとけ)の無い一角に立つと、肩にかけていた手拭いで顔を強くこする。

 やがて手拭いの下から現れたのは、瘦せ気味ではあるが整った顔立ち。早川殿の傍付き侍女、百子(ももこ)の顔だった。

 百子は周囲を素早く見渡して視線が無い事を確認すると、とん、と軽い足音を残して跳び上がり、塀の向こうへと消える。

 その後、大藤与七の傅役が、見識はあるが器量の悪い女中と、屋敷の中で再会する事は二度と無かった。

親のスネをかじっておいてこき下ろすとか、現代なら顰蹙モノですが、多少気性に難があっても逞しい男に成長してもらいたいというのが、戦国武将の子育ての共通認識だったと思います(例外はある)。

かの前田利家も人格者のように描写されるケースが目立ちますが、若い頃は傾奇者(半グレ?)だったとか、奥さんのプレゼントを巡って同僚を斬り殺したとか、ヤバい一面が垣間見えます。

結局、実戦で結果を出せるかどうかが死後の評価の分かれ道だったのかも知れません。

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