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#080 鴉の子は鷹になりたい(後)

兄妹が仲良く『お話』する回です。

可愛いですね。

「今更否とは申しませぬ。せめて経緯(いきさつ)をお聞かせください。」


 大藤与七殿と顔を合わせた翌日。私は氏政兄さんに呼ばれた体で、再び小田原城に登城し、兄さんの私室で本人に説明を求めていた。


「…式部丞があの置文をわしに託したのは、赤羽陽斎の引抜に失敗してすぐの事であった。己が不慮の死を迎える事があれば、今川家を頼ってほしい、と。」

「成程…昨夜上総介様はこう仰っていました。陽斎殿のみならず私まで巻き込んだのは、それが式部丞殿の最後の望みを叶える事に繋がると踏んだゆえ、と。…私が模擬戦の大将を務める運びとなったのも、式部丞殿の思惑の内という事になりましょうか。」

「おおむね相違あるまい。…これを見よ。」


 氏政兄さんから直接手渡された手紙を見る。宛先は氏政兄さん、差出人は政信殿、日付は十一月二十八日…死の当日に書かれたものだ。

 遺言書の履行を嘆願…もしも与七殿(むすこ)が難色を示すようであれば私と五郎殿を談判に同席させるのが上策…どうしても与七殿が足軽大将の任に相応しくないようであれば、馬上一騎(ヒラ)からやり直させてやってほしい…か。


「兄上の存念をお伺いしても?与七殿に式部丞の名跡(みょうせき)を継がせるか、否か。」

「…与七は利者(ききもの)じゃ。月代も剃らぬ内から城内を見回り、先達の世話をあれこれと焼いておる。当人の望み通りに小姓か馬廻にでも取り立てたい気持ちはある…が。」


 氏政兄さんは険しい顔付きで言い淀んだ。その瞳はどこか揺らいでいるように見える。


「諸足軽衆の大将をいつまでも欠いたままではおれぬ。北条の覇道に欠かせぬ重役なれば…その役目を負える家は大藤を()いて他にあるまい。」

「珍しい…惑うておいでで?」


 純粋に驚いて聞いた積もりだったが、氏政兄さんはおちょくられたと思ったのか、物凄い目付きで私をにらんだ。


「わしは…大聖寺殿(ちちうえ)のようには成れぬ。勝機を捉えて敏速に兵を動かす事も…新参者の才の有無を見抜いて取り立てる事も…わしには出来ぬ。」

「よろしいのではないですか?」


 私が言った瞬間、氏政兄さんはぎょっと目を見開いた。

 …今日はなんだか兄さんの顔がよく動いている気がする。まあ、曲がりなりにも兄妹だからあまり取り繕う必要が無い、という理由もあるのだろうが。


「私も大聖寺殿の戦歴を(そら)んじる事は出来ませんが…機を見るに敏と先走って、(いたずら)に兵を失った戦もあったでしょう。それに、北条は坂東数か国を治める大大名。大聖寺殿が良かれと思って役目に就けたお方が同輩の妬みを買い、却って揉め事の種になった事もございましょう。…あれが遅いここが劣ると、ご自身を卑下する事は無いのでは?」


 父上の突発的な思い付きには、ちょいちょい私も振り回されたっけな…なんて砂糖を混ぜたブラックコーヒーみたいな思い出に浸っていると、氏政兄さんは片手で両目を覆い、天を仰いだ。


「…お主の言葉、胸に刻もう。」


 そう言ってから私に向き直った氏政兄さんの目に、先ほどまでの迷いは見当たらなかった。


「相分かった。全ては模擬戦の勝敗を見て決めるとしよう。わしは場を設けて、公平な軍監を用立てる。お主は与七の言う『邪道』をもって取り組むが良い。その上で与七が勝てば、与七は小姓か馬廻に取り立て、式部丞の身代の配分についても再考しよう。逆にお主が勝てば…式部丞の最後の願いを叶えるだけじゃ。」

「一つ、確かめたい事が。…一体どこまでが『邪道』として許されましょう。」


 念のため確認すると、氏政兄さんはしばらく沈思黙考した。


「…模擬戦は模擬戦じゃ、手負討死(死傷者)が出るようでは困る…家中に遺恨が残るような計略も見過ごせぬし…いや、やはり後ほど細則(ルール)を定めて与七とお主に届けさせる。」

「かしこまりました。では…式部丞殿のため、微力を尽くして当たらせていただきます。」


 雰囲気的に面談が終わりだと感じた私は、そう言って兄さんに挨拶すると、部屋を後にした。

 …さて、やるだけやってみますか。




 部屋を出て行った早川殿(いもうと)の足音が遠ざかると、氏政は知らず知らずのうちに凝り固まっていた肩から力を抜き、大きく息を吐いた。


「微力、か…謙遜も(はなは)だしい。あの気迫…在りし日の父上と対面しているかのようであった。」


 氏政は以前、酒の席で氏真に聞いた事がある。武田や徳川、織田…辛酸を舐めさせられた相手と再戦して、勝つ見込みはあるか、と。


「無論、ござる。日の本の誰が相手であろうとも、己を知り敵を知り、兵を養い武具を調(ととの)え、(はかりごと)を巡らして好機を逃さず、実を以て虚を打てば…ああ、いや…一人だけ勝つ見込みが無い者がおった。」


 氏政は驚嘆の声を押し殺して聞き返した。

 一体どこにそのような知恵者がいるのか、と。


「儂の妻…左京大夫殿の妹君にござる。成程、立身出世を求める意気に欠け、臨機応変には程遠い…が。一度こうと思い定めたら相手が誰であろうと一歩も退かぬ。謀を巡らして人事を尽くし、戦わずして相手を敗亡の瀬戸際に追いやる…それが結の戦にござる。あの手際を見るたびに思いまする…結が儂の妻で良かった、と。」


 氏真の言葉が惚気(のろけ)でも何でもない事を、氏政は今になってようやく理解し、身震いした。


「…これは、最早勝敗は決したやも知れぬ。」

現状の主人公は前作のセルフパロディ作品「没落御曹司今川氏真の華麗なる逃走」に登場する『結』にかなり近いと思います。

それなりに修羅場をくぐって経験を積み、難題に向き合う胆力が(それなりに)着いた状態、でしょうか。

依然として現代人的な感性は残っていますが、戦国時代に相応しい危機管理能力や価値基準も備わりつつあります。

そんな彼女が模擬戦を指揮する事になったらどうなるのか、読者の皆様がドキドキするような展開に出来るよう、努力して参ります。

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