#008 スパルタ父が孫に甘くなるのはよくあるパターン(前)
五日間連続投稿の目途が立ったので、投稿させていただきます。
元亀元年(西暦1570年)五月 相模国 早川郷
「おう、おう、活きの良いこった。上総介(今川氏真)殿にそっくりじゃねえか、なあ?」
「は、はい…。」
客間の上座で赤ちゃんを抱っこする白髪交じりの男性に、私は恐る恐る返事をした。
額に古い刀傷を刻んだ男性の正体は北条氏康――北条家先代当主で、今世における私の実父である。
その腕の中できょとんとした表情のまま手足をばたつかせている赤ちゃんは、私が産んだ二人目の子にして五郎殿の長男、竜王丸。氏康から見ると孫に当たる。
優しい表情で竜王丸を慈しむその様子は、いかにも孫に甘いお祖父ちゃんといった感じで、何も問題が無い…ように見える。
しかし。しかし、である。
「父上がこれほど子煩悩なお方とは存じ上げませんでした。私共兄弟は、父上より斯様に可愛がっていただいた覚えがございませんので…。」
…と皮肉をぶつけたい所をぐっと我慢する。
私は…いや、今川家は、父上に大きな借りがあり、しかも現在進行形でお世話になり続けているからだ。
二年前、悪化の一途を辿っていた今川と武田の関係は遂に破綻し、信玄率いる武田勢の駿河国侵攻に至った。
当然五郎殿は軍を率いて迎撃したが、裏切りが続出したため決戦を諦めて逃走。私達家族を連れて掛川城に移り、態勢を立て直そうとしたものの、信玄と呼応して攻勢に出た徳川勢に包囲されてしまった。
絶体絶命の状況下にある私達に救いの手を差し伸べてくれたのが、北条家であり、父上だった。主力部隊を駿東に進駐させて武田の進軍を妨害しつつ、海上ルートで――少数ながら――掛川城に増援を送り込んでくれたのだ。
私達が掛川城を徳川に明け渡して北条のお世話になってからは、住まいを都合してくれたり、諸々の不始末が起こった際の後始末を請け負ってくれたりと、とにかくお世話になりっぱなしなのだ。
…と言う訳で、父上に正面からケンカを売れるはずもない。売れるとすれば、それは…。
「うー、あう、だうっ。」
「お、痛え痛え、こりゃ敵わねえや。」
父上の顔にパンチをかましている怖いもの知らずの赤ちゃん――竜王丸くらいのものである。
「あらあらまあまあ、ご機嫌を損ねてしまわれたご様子…わたくしがお預かりしても、よろしゅうございますか?」
私の背後に控えていた貞春様が中腰になって両手を差し伸べると、父上は名残惜しそうに竜王丸を引き渡す。
「竜王丸殿もお前も、産後に障りが無えようでなによりだ。上総介殿が戻って来たら…。」
「?戻って来たら…?」
父上の発言に違和感を覚えた私が聞き返すと、父上は『しまった』とばかりに一瞬顔をしかめた。
「…実はな、今日寄ったのは竜王丸殿の様子を見に来たついでに、んんっ、見に来ただけじゃねえ。お前らには都合の悪い話をしに、な…。」
若干気になる前置きを挟んで、父上は話し始めた。
武田信玄の軍略に翻弄された北条勢が、駿東戦線で劣勢になってしまい、五郎殿が詰める大平城もいつ攻略されるか分からない危機的状況にある事。五郎殿の安全を確保するため、出来るだけ早い時期に五郎殿を早川郷に後退させる準備が進められている事。
――そしてそれが、北条家が駿河国で武田と戦うための正当性を、大きく損なう措置である事。
「面目ねえ。駿河国から武田を追っ払ってやるって約束したってえのに、このザマよ。」
「…。」
静かに頭を下げる父上に、私はしばらく呆然としていた。
父上は――北条氏康は、(歴女には程遠いとはいえ)私が全く知らない程度に知名度が低いものの、無能でも愚将でもなかった。合戦で大敗したなんて話は聞いた例が無いし、産まれてこの方北条の領内で農民や一向衆の一揆が起きた記憶も無い。
文武両道、非の打ち所が無い名君――それが、私が漠然と父上に対して抱いていたイメージだった…と今気付いた。
…ってイヤイヤその前に!
「お、お止めください!坂東随一の大将が、私に頭に下げる事など…!」
「俺ゃあもう北条の当主じゃねえ。総大将はとっくに氏政よ。娘に下げられる位頭が軽くなって、清々してら。」
気負いの無い台詞と裏腹に、父上の体は小さく、頼りなくなったように見えた。
子供の頃は逆立ちしたって勝てない、絶対的な存在に思えていたその姿が…。
「…御本城様のお心遣い、深く感じ入りましてございます。されど不躾ながら…お言葉とは裏腹に、ひどくお疲れとお見受けいたします。」
後方から聞こえた声に振り返ると、貞春様がこの短時間で寝かしつけた竜王丸を自分の侍女に預け、慈愛に満ちた表情を父上に向けていた。
「いかがにございましょう。ここは一つ、この貞春の膝に頭を預けてみては…?」
皆様は赤ちゃんプレイをした事がありますか?
私は多分あります。
記憶はありませんが、乳幼児の頃に。