#077 大藤政信の戦争(後)
大藤政信、被弾。
ゆっくりと浮上する意識。見えるのは冷え冷えとした寒空と、鈍く光る太陽。
目を覚ました大藤政信は、自分がここ二か月の間仮の宿にしていた拠点の地べたに敷かれた筵の上に、仰向けに横たわっている現状を把握した。
「ん、あァ~…クッソ、痛え…肩に食らったか…。」
「頭目…?頭目、お目覚めで!」
左肩の傷の具合を確かめていた政信は、駆け寄って来た手下の大声に顔をしかめた。
「そんなでけぇ声出さなくても聞こえてらァ…戦は、『渡鴉』はどうなった。」
「す、すいやせん。『渡鴉』の内、足軽の討死が13,手負いが24。人足に死んだ奴はいやせん。戦は…もうすぐ終わりやす。『渡鴉』は今、壕の警固中で…。」
「もう落城したのか…一番手柄は誰だ。」
手下は一瞬言葉に詰まってから、絞り出すように言った。
「一番手柄は…筏でさあ。」
「筏?」
「二俣城には井戸が無え。城内の水を賄うために矢倉を拵えて、そこで川の水を汲み上げてたんでさ。そこで信玄公は川上で筏を幾つも作らせて、流して、矢倉をぶっ壊して…水が無いんじゃ籠城は出来ねえ。あと何日も保たねえでしょう。」
そこまで言ってから、手下は不機嫌そうにため息を吐いた。
「俺達は囮だったってこってす…信玄の忍び連中が山中で工作してるのを、二俣城の連中に気取られないための…体良く使われちまった。」
「なァに気落ちしてやがる。士分の代わりに足軽がこき使われるのは、今に始まったこっちゃねえだろう。…討死した連中の身ぐるみはちゃあんと剥いで来たんだろうな。」
「へえ、具足から褌まで残らず…。骸はまとめて埋めやした。」
手下の返答に、政信は不気味に笑って頷いた。
「それでこそ『渡鴉』よォ…さて、カミさんに文を書かねえとな。文箱と文机を寄越せ。」
手下が頭目の荷物から文箱と文机を運び出し、持ち主の前に並べると、政信は包帯が巻かれた左肩を押さえながら上半身を起こし、筆を取った。
「…いつまで見てやがる、こっ恥ずかしい…とっとと失せなァ。」
武田の援軍として駿河に入ってから今日に至るまで、政信は十日と空けずに手紙を書き、小田原に送っている。表向きは妻に留守中の雑事について指示するものだが、それが武田の目を眩ませるための偽装工作である事を直属の手下達は薄々理解していた。
そのため、手紙の二枚目以降に目を通した人間は陣中に一人もいない。
「すっ、すいやせん!皆には頭目が目を覚ましたと伝えて来やす!」
「ったく…さぁて、何から書こうかねェ…。」
慌ただしい足音と共に飛び出して行く手下の背中を見送った政信は、机上の紙に筆を滑らせる。
左肩の包帯から滴り落ちた血が、一滴また一滴と筵に吸い込まれていった。
空が夕焼けに染まり始めた頃、大藤政信の直属の手下達は、武田の采配に小声で不平不満を漏らしながら、拠点に戻って来ていた。
「最初から言ってくれりゃあそれらしく立ち回ったってのによ、他国の足軽衆だからってこき使ってくれやがる。」
「あれが城持ちにでもなりゃ相当厄介だぜ、あの武藤喜兵衛ってのは…おっと、頭目ァ、只今戻りやした。」
政信は手下の声に返事をする事無く、またも筵に横たわっていた。昼に認められたと思しき手紙が丁寧に折り畳まれ、文机の上に置かれている。
「頭目、寝ちまったんですかい?…頭目?頭目ァ!」
異変に気付いた手下達が政信に駆け寄り、その体を揺らす、が…血の気が失せた顔がいつもの不気味な笑みを象る事は無かった。
「…武田の本陣に使いを立てるぞ。明日にでも小田原へ兵を退く…頭目が討死したんだ、信玄だって文句はあるめえ。」
「頭目が書いた文は…先に届けた方がいいだろうな。第一、討死した事を御屋形様(北条氏政)に早く伝えねえと…。」
「馬は俺が用立てて来る。…それで、どうする。頭目の亡骸は。」
感傷に浸る間も無く善後策を協議していた手下達の会話が、一瞬止まる。
貰える物は貰う、使える物は何でも使う…政信自身に叩き込まれた『足軽の流儀』を当人にも適用すべきか、手下達の間に迷いが生まれた瞬間だった。
「…御屋形様の直臣を無縁仏にするのもまずいだろ。棺に入れて塩漬けにして…近くの寺に当面の供養を頼んで、小田原に連れ帰る。…それしか無えんじゃねえか。」
ある意味、二重基準とも言える提案に反対意見を述べる者はおらず、手下達は手際良く役割分担を終えて散って行く。
誰もいなくなった『渡鴉』の拠点、そこに降り立ったカラスは骸の顔をクチバシで二三度つついた後、「かぁ」と一声鳴いて飛び去って行った。
北条の足軽大将、大藤式部丞政信。
武田による二俣城攻略戦に参戦中、銃弾で命を落とす。
生没年不詳。
大藤政信が死んだのは二俣城攻略中の十一月二十八日、死因は鉄炮という所までは比較的早期に判明したのですが、そこに至るまでの経緯について推理と妄想が必要でした。
『甲陽軍鑑』によれば、二俣城をエサとした後詰決戦を企図した武田軍の配置において、北条の援軍は迎撃部隊に組み込まれていたためです。
しかし浜松城からの後詰が無かったのに、迎撃部隊にいた大藤政信が鉄炮で死ぬのも不自然なので、『当初は迎撃部隊にいたが状況が変わったため城攻め中に撃たれた』という筋書きにしました。




