#076 大藤政信の戦争(中)
今回、鉄炮=火縄銃についてこれでもかと書いています。
長篠の戦いより前なのに、こんなに鉄炮の撃ち合いがある訳無いだろ!と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、
(1)長篠の戦いから20年前、武田信玄が旭山城に鉄炮(兵?)300を入れたという記録がある。
(2)以前主人公のグチに名前だけ登場した宮城泰業が着到定書で定められた軍役36名の内2名が鉄炮兵である。
こうした事を踏まえると、そこそこの武士であれば鉄炮を買えたし、大名が重要拠点に鉄炮兵を集中させる事もあったのではないかと思います。
複数の破裂音が、重なり合って響き渡る。少し間があって、同様の破裂音がやはり重複して響き渡った。
音の発生源は鉄炮。二俣城の中から外へ、外から中へと、鉛玉の応酬が繰り広げられている。
「城兵に当てようと思うなァ!狭間の近くに当たりゃ良い!…お前らはとっとと壕を掘れ!次の銃座を拵えろォ!」
攻め手の一つ、北条の足軽衆『渡鴉』と土を掘る人足達を指揮監督していた大藤政信が、銃声にも負けない大音声で指示を出して回る。
足軽達と人足達は返事をする間すら惜しんで、それぞれの役目に没頭していた。
鉄炮が日本に伝来しておよそ三十年。
刀や弓、鑓といった個人の膂力が威力に直結する武器とは異なる仕掛けで動くこの武器に、日の本の武士達はこぞって関心を寄せ、その活用法を模索して来た。やがて鉄炮に関する定石や戦術、戦技が発見或いは発明され、合戦を通じて広く共有されていく。
――例えば『鉄炮隊』の編成方法。
鉄炮自体の購入や維持には莫大な経費を必要とするが、兵員の調練はそれ程でもない。武芸の心得が『無い』百姓農民の方が鉄炮放として育成しやすいため、侍身分以外から戦力を確保する事に繋がった。
――例えば密集隊形での斉射の有効性。
鉄炮の弾は大抵の鎧兜を貫通するが、射程距離は精々二町(約200メートル)、狙った箇所に当てようとすれば二十間(約40メートル)まで近付く必要がある。仮に騎乗した鎧武者と鉄炮放が一対一で勝負したとして、鎧武者が二十間以内に入ったと見た鉄炮放が発砲――した上で外せば、次弾装填の間に距離を詰められてしまう。こうした事態を防ぐためには、五人、十人単位で鉄炮隊を編成して斉射させ、命中精度の低さを補う必要がある。
――例えば城攻めにおける鉄炮放の運用方法。
鉄炮の部品の中である意味最も取り扱いに注意を要する部分…火縄を着火状態で維持するには、鉄炮放を屋根の下即ち屋内で使うのが良い。一方、攻城においても鉄炮が発生させる破裂音と着弾時の衝撃力は守備側に身を守る動作を強要する『制圧』効果をもたらす…が、鉄炮の構造上、弾薬の再装填には鉄炮放が直立する必要がある。敵前でそんな態勢は自殺行為だ。
こうした課題を解決するために編み出されたのが、青竹を束ねて鉛玉を逸らす盾に仕上げた『竹束』。そして城に向かって壕を掘り、適当な所で土を盛り上げて鉄炮放の胸から下が隠れる銃座を構築、その横から別の壕を掘ってまた銃座を造る…これを繰り返して曲輪に接近する『仕寄』――今でいう『対壕戦術』である。
二俣城外縁部では、まさに鉄炮放を要とした攻防戦が繰り広げられていた。
「頭目ぁ!これ以上掘り進めるのは無理だ!俺達の壕が一等近いが…撃ち負けてる!」
(いかん、しくじったかもしれん。)
手下の悲鳴のような報告を聞いた政信は、ふてぶてしい笑みを崩さないまま、心の中で舌を打った。
(曲輪に攻め入る道を押さえるために『渡鴉』と自前の足軽衆に仕寄を造らせた…そう踏んだのは見当違いだったかも知れん。本命は別で俺達は囮…その方がしっくり来る。…だが、それでも。)
「頭目?…頭目、そっちは危ねえって…!」
「危ねえのはどこも同じよ。竹束を連れて来な。」
政信は手下の制止を無視し、整地が不十分な壕を通って造成中の銃座に近付いた。
そこには断続的に飛来する鉛玉に首をすくめ、縮こまっている足軽や人足達がいた。
「なァにやってんだお前ら…やる事はさっきと一緒だ、土をかき上げて撃ち返せ。」
「頭目…だが、この近さじゃ…。」
「チッ…鉄炮を一丁寄越しな。弾丸と火薬もだ。」
足軽の一人が命令通り差し出した鉄炮に、政信は手際良く火薬と鉛玉を詰める。そして流れるような動きで造りかけの銃座に上半身を寄せ、鉄炮の火蓋を切り、ひょいと身を乗り出して引き金を引いた。
破裂音と同時に鉛玉が二俣城へと向かい、城内からの発砲が一瞬止む。
「竹束ァ!土をかき上げるまで持ち堪えろォ!」
政信の号令に、竹束を抱えた足軽数名が弾かれたように土の壁を駆け上がり、銃座の前に立ちふさがる。遅れて二俣城からの射撃が再開するが、その時には人足達が竹束の陰で土をかき上げる作業を再開していた。
「頭目、一体どうやって二俣城の鉄炮放を黙らせたんで?」
手下の質問に、政信はいつもの歯をむき出しにする笑みを見せた。
「ここまで近寄りゃあ狭間も見えらあ。そこに撃ち込んでやったのよ。一人でも手傷を負やあ向こうの鉄炮放も少しは大人しくならあな。」
手下に説明しながら鉄炮の銃身に搠杖を出し入れし、内側の火薬カスを削ぎ落とした政信は、再度火薬と鉛玉を込めて完成間近の銃座に身を寄せた。
「さてもう一丁!」
お道化た声と共に身を乗り出し、二俣城の狭間に意識を集中した政信の目に入ったのは――自身に向けて鉄炮を構えた城兵の、真っ直ぐな殺意。
「やべっ。」
間の抜けた声と共に、銃声と鉛玉が交錯した。
作中でも触れましたが、鉄炮は従来の武芸とは全く異なる兵器体系にあったため、必然的に各大名家の譜代家臣よりも庶民出身者の方が馴染みやすく、出世の糸口になっていたようです。
出自が怪しい滝川一益や明智光秀が鉄炮の名手だったと伝えられているのも、そうした背景があるのかも知れません。




