#074 渡鴉、西へ征く(後)
今川氏真の戦況予想~。(BGM:底抜けに明るいテーマソング)
今日のテーマは…これ!(ジャジャン、という効果音と共にモニターが切り替わる)
三河、遠江に血の雨!徳川家存亡の危機ですね!
「結、いかがした?どこか嬉しそうじゃが…。」
書記係の侍女を加えて東海道一帯の地図を囲み、さあ会議を始めようという段になって、五郎殿が訝しげに言った。
「あ、これはご無礼を…こうしていると、掛川城での事を思い出して、つい…。」
今思い返せば、あの数か月間は希少な体験だった。
兵力で圧倒的に劣る状況下、攻め寄せる徳川軍を追い返すために出自や身分の上下を忘れてアイデアを出し合った、血と汗の臭いが充満する会議室…。
もう一回やる?と聞かれたら全力で拒否するが、あの時掛川城に集った人々には、今でもどこか特別な絆を感じているのだ。
「うむ、そうか…では式部丞殿、改めて…。」
詳しく釈明した訳でもないが、五郎殿は深掘りせずに本題に戻ってくれた。
「まずは戦の流れを推し量る事から始めよう。結、御世論の駒をくれ。」
五郎殿に言われた通り、御世論――幼い頃に駿河の職人に造ってもらった、白と黒が表裏一体の駒をひっくり返して遊ぶボードゲームのパクリだ――の駒が入った小箱を渡す。
すると五郎殿は大きな手で駒を掴み取り、手早く地図の上に並べていった。
「三河守(家康)の本拠が遠江浜松…嫡男の三郎(信康)が三河岡崎…そして武田に備えて築いた要害(城)が、ここと、ここと…この辺りか。」
白い石が徳川の拠点か。
これだけ見れば、防備が充実しているようにも見えるが…。
「三河、遠江の石高…その上各地の要害に兵を手当てすれば…三河守が浜松に集められるのは一万といった所か。」
私が何気なく書記に目をやると、担当の侍女は手元の紙を掲げて見せた。そこにはちゃんと『一万ばかり』と書かれている。
「さて、信玄公はどう攻めるか…武田の兵が山道を苦にせぬ事は、儂も身をもって知っておる。ゆえに…こう攻めるのが定石であろうな。」
今度は武田勢を示す黒い石が置かれていく。遠江の東、駿河だけでなく…三河と遠江の北に位置する南信濃にも。
「信玄公の攻め手は四つ。一つ、自ら率いる本隊が駿府から西進して遠江に討ち入る。二つ、南信濃から天竜川沿いに南下して北遠江を経略する。三つ、南信濃から奥三河に討ち入り岡崎城を脅かす。そして…四つ、南信濃から東美濃に討ち入る。」
「…しばしお待ちを。東美濃は織田領では?」
「信玄公は公方様(足利義昭)とも誼を通じておられる。此度の戦で京まで一息に…とは行かぬであろうが、天下で四方に敵を抱える織田にしてみれば、甲州兵が東美濃に討ち入るだけで大層な騒ぎとなろう。…さて。」
駒を並べ終えた五郎殿は、扇子で地図を軽く叩いた。
「肝心の式部丞殿の手勢じゃが…恐らく信玄公に同道する事となろう。信玄公率いる本隊は二万…恐らく三万には届くまい。問題は浜松を攻める事になるか、三河守を攻める事になるか、じゃ。」
「同じ事ではないのですか?」
知ったかぶって後で揉めるのも困るので正直に聞くと、五郎殿は「うむ」と頷いた。
「信玄公の事じゃ、領国に近い要害には既に調略の手を回しておろう。されど浜松はそうは行かぬ。この一戦で徳川に痛打を浴びせるとなれば二つに一つ…浜松城を攻め落とすか、三河守を引きずり出して後詰決戦に持ち込むか、じゃ。」
「手頃な小城を囲んで生殺しにして…囲みを破ろうと三河守が出陣すれば、これを迎え撃つ。流石は信玄公、無駄の無ぇこった。」
「三河守殿は、その魂胆をご存知でしょうか…?」
あれ、もしかして家康めっちゃ不利?
背中に冷や汗を感じながら質問すると、五郎殿と政信殿はそろって首を捻った。
「さてのう…分かっていたとて三河守は打つ手に乏しい。信玄公が待ち構えているからと浜松に籠っていれば、三遠の国衆は揃って武田に寝返ってしまうであろう。そうなれば徳川に未来は無い。」
「あっしとしちゃあ、三河守殿の方から出て来てくれた方が助かりやすがねえ。…しかし武田が後詰決戦に甲州兵を温存するとなると、信玄公に手荒く扱われそうだ。」
…家康の事だから今回のピンチも何とか切り抜けられる筈だが、今の私に出来る事は無い。それよりも、政信殿に出来る事は無いだろうか?
「…しばしお待ちください。」
そう言って一度自室に引っ込んだ私は、自筆の文書を携えて応接間に戻った。
儀礼上の手間暇が惜しいので、慣例を無視して政信殿に直接文書を差し出す。
「早川殿、こいつは…。」
「式部丞殿がかつて私達を助けてくれた事を示す証文です。駿遠三で困った事があれば、それを持って神社仏閣、豪商や庄屋を訪ねてください。…もし彼の地に未だ今川の威光を懐かしむ方々がいらっしゃるのであれば、式部丞殿の助けになるかと。」
政信殿は珍しく呆然としていたが、瞬時に表情筋を引き締めると、私が出した証文をうやうやしく受け取った。
「…かたじけねえ。この借りをキッチリ返せるよう、陣中では目を光らせ、耳をそばだてておきまさあ。」
「知っての通り、儂は武田に遺恨を抱えておる…が、貴殿が参陣するとなれば話は別じゃ。…武運長久を祈っておるぞ。」
五郎殿の激励に、政信殿はますます頭を低くする。
その後、我が家を後にするまで、政信殿の口からいつもの軽口が飛び出す事は無かった。
藤井尚夫先生を始めとした在野の先生方が究明した所によれば、戦国時代における大規模戦闘の多くは城を攻める軍勢とそれを撃退しようとする軍勢との間に起こる後詰決戦でした。
当初は戦術の未熟さや攻城軍の兵力不足から防御側が優位に立っていた(攻城軍は城攻めと後詰の迎撃の双方に兵力が分散する)ものの、戦術の発達や戦国大名の動員兵力増大から攻城軍の方が積極的に後詰決戦を志向するようになったようです。
こうした観点から戦国の合戦を分析すると、見方が変わってくると思います。




