#061 暗雲!スローライフ(前)
読者の皆様の中に、ノーヒントで徳川将軍15代全員言える!という方はいらっしゃいますか?
私は言えません。
正月気分も遠のいたある日の昼下がり、当面の仕事を終わらせて一人自室で一息ついていた私は、文箱から取り出した一枚の紙を睨みながらうんうんと唸っていた。
紙は去年の9月、東海一帯に網を張る諜報機関『沓谷衆』から届いた定期報告である。当然徳川家康に関わるアレコレについても報告が上がっているのだが…私を困惑させたのは家康の嫡男、竹千代についての情報だった。
「『徳川三河守(家康)の嫡男竹千代、8月28日を以て元服、松平三郎と称す。諱は信康なり』…秀忠じゃないの?」
前世では歴女には程遠い歴史知識しかなかった私だが、徳川幕府歴代将軍の有名どころは一応押さえている。
初代、家康。
二代目、秀忠。
三代目、家光。
四代目…は知らないけど五代目が綱吉。
間が空いて八代目が吉宗…といった具合にだ。
しかし家康の嫡男が数え十三にして名乗ったのは『信康』、『秀』も『忠』も見当たらない。
「一体どういう事なの…?」
額を揉みながら呟く。
『織田がこね、羽柴がつきし天下餅。座りしままに食うは家康』――三英傑は天下人になるべくしてなり、最終勝利者となった家康の子、孫へとつつがなく権力移譲が成される平和な時代…江戸時代が到来する事で、戦国時代は幕を閉じる。それが歴史のあるべき姿である筈だ。
「まさか…転生者の行動のせいで本来の歴史とは違う道を辿っている?いや、でも…。」
自分で立てた仮説には大きな穴がある事を、私は身をもって知っている。…『歴史の修正力』だ。
かつて私は乏しい歴史知識の中から桶狭間の戦いに関する情報をかき集め、生前の義父――今川義元殿に伝えた事がある。だが結果は変わらず…義元殿は討死してしまった。
しかもその時、今川の大軍が兵力に劣る織田軍に負けた原因の一つは…突然の暴風雨だったというのだからやっていられない。神か悪魔が信長に味方した、と説明された方がまだ説得力がある。
氏規兄さんの前妻、関口紫吹殿についても同様の事が言える。
氏規兄さんの『未来予知』で彼女が早逝する可能性を知った私は、臼川越庵先生の診断からその死因が紫吹殿の体の弱さにあると踏んで、食生活の改善や冬着のプレゼントなど、即効性はともかく長期的には体質改善に繋がるサポートを開始。病気がちだった紫吹殿の体調を相当なレベルまで引き上げる事が出来たと自負している。
だが結局…今川家の没落を押し留めようと無理を重ねた紫吹殿は、呼吸器系の病気にかかって早逝してしまった。あれだって幾つかの要素が重なってさえいなければ、氏規兄さんと紫吹殿が名実共に夫婦になって、二人で今川家を支える――という展開になっていてもおかしくなかった筈だ。
他にも、今川家…というか五郎殿にとって悪い事ばかり起き過ぎだとか、色々言い出したらキリが無いのでこの辺にしておくが、とにかく『歴史の修正力』は間違いなく存在している…多分。
断言出来ないのは、正に今ここで、私達一家が暮らしている現状があるからだ。
私が知っている戦国史において、今川家が登場したのは桶狭間の戦いが最後。その後、駿河、遠江、三河といった今川家の旧領国が戦乱の舞台となった時にも、今川家は全く表舞台に出て来なかった。
恐らくだが…『史実』において今川家は滅亡したのだ。掛川城から北条領へと退避する事も出来ず、完全に。
それを覆したのは厳密には私ではなく、掛川城で奮戦した五郎殿や朝比奈泰朝殿を始めとした今川家臣団、遠江や沼津から参戦してくれた若衆の皆さん、そして北条から派遣された援軍のお陰だと思ってはいるが…私の存在や言動が、間接的に彼らに影響を及ぼしていたとしたら?
「もしかして…歴史が変わる?戦国時代が終わらな――」
「ご無礼仕ります。御屋形様がお帰りにございます。」
部屋の外からかけられた声に、反射的に報告書を元の文箱にしまってから立ち上がる。
答えの出ない難問に頭を悩ませるのは一旦お終い。まずは目の前の務めを…五郎殿の妻としての役目を果たす時だ。
筆者が言うのもなんですが、こんなにこだわりの強い歴史(逆行転生)モノをご覧の皆様の中には、「主人公の史実知識が半端すぎる」と思われる方もいらっしゃると思います。
筆者のさじ加減による所は確かにありますが、『後世の創作が多分に混ざったマンガ等を中心に歴史を学んだつもり』の人の知識はこんな感じになると思います。
特に家康の場合、長く濃密な人生を限られたページ数の中に収めるため、正妻(瀬名)や長男(信康)に関する記述が省略されるケースが少なからずあったと思います。
ちなみに、主人公は大河ドラマを見たこともありません。