#057 そして母になる(後)
今更ですが、主人公を途中で交代させる予定はございません。
『北条結』が主人公のまま最後まで続ける予定です。
その夜、寝室にて。
紬を褒めるよう貞春様に進言された旨を報告すると、五郎殿は眉間にシワを寄せた。
「貞春が左様な事を…気を悪くさせてしもうたのであれば、すまぬ。儂が説き伏せておくゆえ…。」
「いえ、ご心配には及びません。むしろ…目を覚まされた心地にございます。未だ幼い竜王丸殿はともかくとして…お家のために精進を重ねている紬を称えないのは、道理に背いておりました。」
「む…そういえば、元旦の宴の折も、紬と言葉を交わす事が少ないように思うておったが…よもやとは思うが、何か紬の所業に気に染まぬ所でもあるのか?」
五郎殿の質問に、反射的に否定の言葉を返そうとして言葉に詰まる。露骨に罵倒したり、暴力を振るったりはしていないが、武家の親子という建前を抜きにしても紬と距離を取りたがっているのは否定しようのない事実なのだ。
「…少し時をいただいてもよろしいでしょうか?胸の内がうまく言葉にならず…。」
「慌てる事はない。落ち着いて考えよ。」
夫の許可を得て、少しマジメに考えてみる。どうして私は紬に冷たくしているのか…。
紬は転生者かもしれなくて、その為人は物語の主人公そのもので…私は実は主人公じゃなくて、脇役かもしれないから…だから…だから何だ?
私がやりたかった事は波乱万丈冒険譚の主人公になる事じゃなくて…素敵な家族とのんびりスローライフを送る事だった筈だ。だったら…私が主人公かどうかは大した問題じゃないのでは?
北条氏康と本城御前様は――現代日本のやり方とは大きく違ったが――二人なりのやり方で私をあ、あい…愛してくれた。前世の毒親夫婦と違って。
五郎殿は父上とは違うし、私も母上とは違うから、全く同じようには出来ないだろうけれど…お腹を痛めて産んだ子供たちを一人前になるまで育て上げるのも、それはそれで大変かつ大切な事なんじゃなかろうか?
それに、父上の死の間際…自分が未来からの転生者であると白状した私を、父上は拒絶するどころか抱きしめてこう言ってくれた。
『うるせえ!何度でも言ってやらあ!お前は俺の娘だ!』
『んなもん決まってら、俺がそう決めたからよ。それ以外に理由が要るか?』
あの時の父上の言葉の意味を、全て理解出来た訳じゃない。けれどきっと、父上は身をもって示してくれたのだ。
子供が産まれる事と親になる事は、全くの同義ではないのだと。
だとすれば、私に出来る事は…私がすべき事は…。
「お待たせしました。ようやく…ようやく胸のつかえが取れた心地にございます。」
長い沈黙の末に、私は五郎殿の顔を見ながらそう言った。
「明日…紬を広間に呼んで、そこで褒めてあげたいと存じます。上総介様も同席いただけますでしょうか。」
「勿論じゃ。ただ…聞く所によれば、ただ褒めそやし甘やかすだけではよい大人にはなれぬという…儂もそうであったがな。朝のうちに貞春を呼び、もう少し仔細を詰めておいた方がよかろう。」
方針は定まった。
正直不安を払拭出来た訳じゃない、けれど――何となく、狭くて暗いトンネルをくぐり抜けたような、そんな開放感を私は感じていた。
転生モノの主人公は物語のスタート時点で既に人格が完成しているケースが多く見られますが、拙作では事前知識も人生経験も不足したまま、実際に戦国時代を体感して成長していく主人公を目指しています。
様々な転生モノが世に出た現状、全く新しいタイプとは言えないと思いますが、共感していただければ幸いです。