#055 そして母になる(前)
北条家の『お茶会』再び。
「そういう次第で。大方の商いに関しては武田方と渡りがついたわ。越後との関わりが深すぎて抜けられなかった店は規模を縮小するという事で…。」
年明け初の『お茶会』――小田原城内の一室で開催される、北条家の女性陣による経済政策決定会合――にて、私のはす向かいに座っていた腹違いの姉…凛姉様が長~い煙管から煙草の煙をくゆらせながら淡々と報告した。
「凛…貴女には義理も人情も無いのですか。父上がお隠れになられてひと月も経たない内に、かつての仇敵に媚を売るような真似を…。」
凛姉様の向かいに座っていたもう一人の腹違いの姉…蘭姉様が咎めると、凛姉様は鼻で笑う。
「じゃあ如何程待てば良かったのかしら?ふた月?半年?こちとら大勢の手代や丁稚の命運を預かってる、悠長にしちゃいられないわ…ああ、姉様は銭を払わなくても義理や人情で食べていけるのだったかしら?いいご身分だこと…。」
どうしてこの二人は顔を合わせるとすぐヒートアップするのか…と半ば現実逃避のように白湯をすすっていた私は、やがて奇妙な事実に気付いた。
いつもならタイミングを見計らって仲裁に入る本城御前様…私の正面に座る母上が、一切動こうとしない。蘭姉様も凛姉様も、それに気付いたのか歯切れが悪くなり、私と母上をチラチラと見始めている。
と、母上がいつもの底知れない微笑みを浮かべながら、私を見て首をかしげた。
それは私に何かを問いかけているようで…ああ成程、はいはい分かりました。
「姉様方、どうかそこまでに…蘭姉様、凛姉様の差配は左京大夫(氏政)殿が武田と和睦し、上杉と断交したために進退窮まった商人達を救うためのもの。義理も人情もございます。されど凛姉様。私共に一切の相談なく、傘下の商会を大きく動かすのは如何なものかと…。」
逆ギレされたらどうしよう、と内心ビクビクしながらも堂々とした振りを装ってそう言うと、二人の姉は意外にもほっとしたような顔色を一瞬浮かべてから、渋々納得した、という雰囲気を醸し出しながら頷いた。
「流石は結ねえ。見事な仲裁だわ。」
母上はニコニコしながらそう褒めてくれたが、私は手放しでは喜べなかった。
「いえ、私は未だ若輩の身にございます。母上やお姉様方を手本として、今後とも精進して参る所存にございますれば…。」
「そうかしらねえ。今川の御前様を長年務め上げた上に、上総介殿との間に二人も子をもうけられたではないの。遠からず紬殿の手本となる身の上なのだから…もっと胸を張ってもよいのではないかしら?」
母上の何気ない言葉に、私は沈黙するしかなかった。
今更誰に指摘されるまでもなく…私はもう大人で、二児の母になった。そろそろ誰かに教えを請うたり、頼ったりする側から『される』側になる。
「恐れながら…母上とお姉様方にとって、私はどのような女子だったのでしょうか?」
しばらく考えた末に、私はそんな疑問を投げかけた。仮説が正しく、紬が転生者だった場合…その子育てに、かつての私に三人がどう接していたのかという情報が役立つのではないかと踏んだのだ。
「どのような?…本城御前様のお子だから、物心がついたら血筋を笠に着て振る舞われるものと思っていたけれど…そんな事にならなくて、安堵した事を覚えているわ。蘭姉様は?」
「わたくしは…勉学に熱心な佳き女子だと思ったわ。天用院殿が亡くなられてからは特に…わたくしと凛のどちらに付くか、迫った事もあったわね。」
…正直意外だった。
幼少期から未来の三英傑(信長、秀吉、家康)について聞いて回ったり、現代日本での常識=戦国時代の非常識をポロっと口に出したり…有り体に言って『変な子』扱いされても仕方がない行動を繰り返していた自覚があったため、その辺りが印象に残っているものと思っていたが…自意識過剰だった、のだろうか?
「わたくしは、そうねえ…少し危うい所があると、そう思っていたのではないかしら。」
実母の思いがけない感想に目を丸くする私に、母上は笑顔のままで続けた。
「貴女は昔から聡い子どもだったけれど…その分思い煩う事も多いのではと、そう案じていたのよ。上総介殿に嫁いでから大病にかかったと聞かなかったから、大事無いかと思っていたけれど…近頃また憂い事が増えたのではなくて?」
「っ、それは…。」
「貴女の父君は貴女達を心から信じたままお隠れになったわ。一廉の女性になったと…。わたくしも同心(同意見)よ。」
だからきっと、大丈夫。
言外に告げられた母上のメッセージは、突き放すと言うより包み込むような暖かさを帯びていて――私は無意識の内に頷いていた。
お気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、本編の展開は結が言い逃れ出来ない状態に追い込むための外堀埋め作業でもあります。
タグにある通り、バッドエンドにはならない、しない方針で執筆を進めています。