#054 元亀三年のプロローグ(後)
どうして結さんは正月から情緒不安定なの?という疑問に答える回です。
家の中は祝賀ムード一色だが、私の先行き予測はだいぶ悲観的である。
理由は幾つかあるが、第一に挙げられるのは長女の紬が我が家で寝起きしている点だ。端的に言って、紬は『婚約破棄』されてしまったのである。
以前にも触れたが、北条家現当主である氏政兄さんは、息子である国王丸殿を今川家の婿養子とし、今川家の家督を名目上継承させる事で、武田から駿河を奪還する大義名分を確保していた。
しかし昨年10月、北条氏康がこの世を去って間も無く、氏政兄さんは北条の外交方針を転換し、上杉謙信との同盟解消、武田信玄との再同盟に踏み切った。これに伴い、国王丸殿の養子縁組は解消され、小田原城内で養育されていた紬は早川郷の我が家に戻される運びとなったのだ。
まあ、氏政兄さんの方針転換は前から予測されていたし、今川家丸ごと武田家に突き出される、という事態は避けられた訳だから、あながち最悪とも言い切れないのだが…。
第二の理由として挙げられるのは、これ以上の転落は無いだろうと思っていた今川家が、更なる没落の様相を呈している事だ。
私達が住んでいる早川郷は原則私達家族を養うための所領で、家臣達の領地は北条が確保した駿河国東部から割り当てられていた。しかし武田信玄の軍略は北条を圧倒し、一時は安泰と思われていた駿河国東部のほとんどが武田の手に落ちてしまった。
こうなると家臣達は独自の所領を確保出来なくなり…立身出世どころか現状維持すら困難となった彼らは、続々と五郎殿に暇乞い――つまり退職願を提出していった。
五郎殿は…その全てを快く受け入れた。それどころか、彼らの功績を証明する感状と、宝物庫に保管していた太刀を一人一人に直接プレゼントした。
「儂のごとき器量の小さい大将に、よくぞここまで付いて来てくれた。恨み言など言えようか…お主の前途が開ける事を心より祈っておる。」
五郎殿のそんな言葉に、暇乞いをした面々は例外なく感涙し…後腐れなく次の職場探しへと向かっていった。
それはそれでベストとは言えなくともベターな決着だったが、今川家の家臣団が最盛期の何分の一か、考えるのも憂鬱なくらい縮小したのは紛れもない事実だ。例え大金をバラまいて足軽をかき集めても、彼らを指図する指揮官が不足していたら五郎殿の命令が末端まで行き届かなくなる。
フリーの足軽大将で不足分を埋めるという手もあるが、実力も人柄も不明瞭な赤の他人に兵を預けるというのはいくら何でも博打が過ぎる。氏政兄さんが新しい土地を融通でもしてくれない限り、五郎殿が動かせる戦力は極めて少ないものとなるだろう。
そして今、私がもっとも悩んでいるのは…紬との付き合い方だ。
紬は賢くて、努力家だ。子供らしい遊びに全くと言っていいほど興味を示さない。今川家のためになるんだと高い意識を持って生きている。
…もうこんなんさあ!主人公じゃん!転生モノの!
何?私は転生モノの脇役だったの?
一般的な…一般的な?転生モノと言えば、一つの作品に転生する主人公は一人ってのが相場じゃないの?
私は…主人公じゃなかった?
第二の人生を三十年近く――しょっちゅうダラけてた自覚はあるが――生きてきた私の苦労は一体…。
もう紬とどう接したらいいのか全っ然わからない。
「すいません父上、私…もうくじけそうです。」
それからしばらく後、私の体調を心配した五郎殿の命を受けた下人が呼びに来るまで、私は布団にうつ伏せになって足をばたつかせていたのだった。
転生モノと一口に言っても、そのバリエーションは非常に豊かになったと思います。
隔絶した戦闘力や知識で無双する『王道』パターンから、チート抜きで足掻いたり、転生者が複数いたりといった『変化球』パターンまで…。
拙作がどうカテゴライズされるのか、戦々恐々としています。