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#052 天下無双の覇主

今回は筆者の宗教観が割と強めに出ています。

ある意味『死後の世界へと向かう途中』を描写していると捉えていただければ幸いです。

 そこは、不自然な空間だった。前後左右、上を見ても下を見ても星明かり一つ無い暗闇が広がっている。

 にもかかわらず、その只中を歩く男二人の周囲は不自然に明るく、その足取りは確かだった。


「なぁ。手前についていった方が早く母ちゃんに会えるってのは本当なんだろうな…治部大輔(じぶたいふ)、いや義元さんよ。」


 二人の内、後方を歩いていた武士…北条氏康が不信感も露わに呼びかけると、先導していた武士…今川義元が、引き締まった肉体の上で公家めいた頭部を巡らせて、底知れぬ笑顔を見せた。


()は既に死人(しびと)…一介の亡者に成り果てた身の上で、義兄上(あにうえ)(かた)ろうなどと考える筈も無い。」

「そりゃあ皮肉か?今や俺も一介の亡者に過ぎねえんだが?」


 生前の義元と氏康の間には、複雑に絡み合った因縁があった。

 氏康の正妻は義元の腹違いの姉…即ち、氏康は義元の義兄とも言える。

 しかし二人は、かつて河東(かとう)――駿河国東部を巡って泥沼の抗争を繰り広げた間柄でもあった。

 では宿敵かと言えば、それも違う。河越城が陥落の危機に瀕した際に氏康が今川との和睦を選んで以降、北条と今川は関係修復の道を辿り…やがて駿甲相三国同盟に繋がったからだ。


「では義兄上、いや氏康殿…余と共に歩き出して如何程の時が経ったか、お分かりか?」

「ああ?半刻(一時間)足らず…いや、もう丸一日は…んん?」


 歩きながら首をひねる氏康に、義元は高笑いで答える。


「ほほほ…この闇の中では、現世(うつしよ)の道理は通用せぬ。昨日の事は半刻前のごとく、来年の訪れは百年先のごとく思われるであろうのう。あのまま座り込んでおられては、気が狂ってもおかしくない…。」

「チッ、厄介な…大体だな、何で手前が黄泉路の水先案内を務めてやがる。俺の迎えに寄越すなら、親父殿(氏綱)や天用院殿(氏親)もいたんじゃねえのか。」


 生前の鬱憤(うっぷん)を晴らそうとするかのように、不平不満を垂れ流す氏康に、義元は余裕の笑みを崩さず応じる。


「この務めは余が自ら望んだもの…氏康殿の口から、氏真(むすこ)の近況を伺いたくてのう。」

「…朗報より凶報が多い、それでも構わねえなら聞かせてやる。」

「望むところ。」


 義元の言質(げんち)を取った氏康は、桶狭間の戦い以降の今川家の衰亡について、自身の知る範囲で語り始めた。

 徳川家康の分離独立、三河一向一揆に続いて発生した遠江の国衆による反乱、甲斐武田の内紛に端を発した外交関係の悪化、寿桂尼の死を待っていたかのように駿河国に進攻する武田と、それに呼応する徳川軍…。


「ほう、そこで氏康殿が武田と手を切り、掛川に後詰め(援軍)を送ってくれたと…やはり貴殿に後事を託した采配に間違いは無かった。」

「成り行きだ。上総介…氏真殿は上杉と密約を交わして、南北から武田を挟み撃ちにしようと企んでやがった。もしその策が実を結んでたら…俺は武田に肩入れして今川を討ってただろうな。」


 今川家の残存戦力を北条の勢力圏に退避させてからは、武田との熾烈な攻防戦。

 北条は一時的に駿河で優勢に立つも、上野方面から北条領内を縦断するという信玄の軍略に翻弄された挙句、いつの間にか劣勢に立たされていた…。


「で、俺は病に侵されてくたばったって訳よ。皮肉なもんだ、戦とあらば馬上一騎と一番鑓を競い合ってた俺が畳の上で落命して…十重(とえ)二十重(はたえ)(はかりごと)が得意な手前は太刀打ちの末に討死してるんだからな。」

「ほほ…余の首級を挙げたのが無名の若武者でなければなお良かったのじゃが…しかし遅いのう…。」


 訝しげに呟きながら突然立ち止まった義元に、危うくぶつかりそうになった氏康はギリギリで踏みとどまった。


「何だ、ここが三途の渡しか?何も見えねえが…。」

「いや…実はのう、余が初めてここを通った折に…(ゆい)殿が引き留めに、或いは見送りに参られてのう。此度も参られると踏んでおったのじゃが…。」


 きょろきょろと辺りを見回す義元に、氏康は呵呵大笑(かかたいしょう)で応えた。


「くくく…あっはっはっはっはっは…義元さんよ、そいつは無用の心配だ。俺あガキどもとしっかり別れの挨拶を済ませて来たからな。ここまで追って来る事なんざまず無えよ。」

「…ついさっきまで、義姉上と一刻も早く会いたいと…そう申していたように思うが?」

「ついさっき?ここじゃ現世の道理は通用しないんじゃなかったか?」


 自身の発言を逆手に取ってやり込められた事に気付き、義元は笑顔を消して沈黙する。


「俺の務めは終わった、あとは若い(モン)達の仕事だ…閻魔(えんま)さまのお裁きがどうなるやら見当も付かねえが…大人しく受け入れて、母ちゃんを待つとするさ。」




 『天下無双の覇主』北条氏康。

 元亀二年(西暦1571年)十月三日、病没。

 享年57歳。

北条氏康は拙作において非常に重要なキャラクターでした。

額の刀傷や乱暴な口調といった造形が読者の皆様の心に残り、いつか「北条氏康ってどんな人?」と聞かれた時に、真っ先にイメージするようなキャラクターになっていて欲しいです。

物語はまだまだ続きますが、北条氏康の死去をもって一段落とさせていただきます。

続きは一週間…半月…一か月…?先になると思いますが、待っていていただけると嬉しいです。

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