#050 北条氏康の遺言(氏規編)
(文字数が…増えているのか…?まずい…!)
「何がまずい?言ってみろ。」
「此度、病床の父上を残して去る親不孝、どうかお許しいただきたく…。」
氏照に続いて氏康の見舞いに訪れた四男、氏規は、開口一番そう言って謝った。
「何言ってやがる。戦で功を挙げるのが武士の親孝行だろうが…だが、まあ…長い事世話になった。礼を言う。…有能な城代や陣代を大勢抱え込んでるっつっても、小田原で俺のお守りをしながらじゃあ限度があらあな。」
氏規は相模(神奈川県)の三崎城と伊豆(静岡県東部)の韮山城を氏政から預かり、長年に渡って敵対する房総の里見家と交戦しながら、戦況に応じて各地の援軍に馳せ参じるという二重の責務を担っている。その上で七月から氏康の病状悪化に伴って小田原城に詰めているとあっては、職務に停滞が生じても不思議は無かった。
だが、氏規が小田原城に在城している間も三崎城を拠点とする三崎衆は海上警備の任務を滞りなく遂行しており、八月には上総(かずさ=千葉県中部)に進攻している。
北条家中からさえ八面六臂の活躍と見られているこの働きぶりの陰には、問題の解決手段としてはあまりにも平凡な、それでいて実現には多くの困難が伴う手法――現代的に言えば、権限委譲の採用があった。
権限委譲は読んで字のごとく、配下に自身の権限を一部譲渡し、氏規が不在の場合でも独自の判断で行動出来るようにする事である。だが、『国家』『民族』『社会的責任』といった概念で武将の独断専行を予防したり、一定水準の通信手段をもって配下の言動をチェックしたり出来ない時代において、安易な権限委譲は謀反に直結しかねない。
しかし氏規は独自の判断基準をもって、自身に代わって城を守る『城代』や臨時に一隊を率いる『陣代』を複数選抜。相互に監視させる事で、限定的ではあるが配下の部隊を別々に動かす事が出来るようになっていた。
…それでもなお。何事にも限度というものは存在する。
駿東(駿河国東部)方面の前線が後退しつつある現状、伊豆の奥深くに存在する韮山城さえ、いつ武田軍の奇襲を受けるか分からないのだ。
氏規に代わって小田原城を警備する兵員の都合がついた以上、使い勝手の良い実弟を氏康の警固に張り付けている訳には行かない――それがつい先日、氏政から氏規に下された韮山城への移動命令の理由だった。
「またお会いする日を心待ちにしておりますゆえ、どうかお体を労り…。」
「へっ、心にも無え事を言うな、時間が勿体無え…この際だから聞いときてえんだがよ、」
世間話のような気安さで、氏康は息子に問いかけた。
「お前はどこまで見通してる?結と同じモンが見えてんのか?」
「…いつからお気付きに?拙者が未来を見通している、と…。」
さして動揺した様子も無い氏規に、氏康は「ふうん」と息を漏らした。
「成程、未来が見えるって事あ…俺が今日この場でお前に何を訊くかもお見通しって訳か。」
「は…されど、一挙手一投足、一言一句まで定まっている訳ではございませぬ。」
そう前置きしてから、氏規は自身が持つ(限定的な)未来予知能力について説明した。
『予言』は潮風に混ざって聞こえて来る事。
その確度は海面近くで直近の事例に思いを馳せた場合に高く、内陸で遠い未来について考えた場合に低くなる事。
『予言』は概して抽象的で、時間の経過に伴って具体化し、或いは一部が変化する事など…。
「そいつを使って里見水軍の動向を読んだり、配下の登用に役立てたりしてたって訳か。…何、お前は船軍に限ってやたらと勘が鋭くなるって評判を聞いてな…いつ、どこに網を張りゃあ房総の海賊がかかるか手に取るように分かってるってよ。雲行きから潮の流れまで…熟練の軍配者(戦場の『気』を読む専門家)でもそうはいかねえ。」
「それでもなお、里見水軍を根切り(全滅)に追いやり、房総を制覇するには至っておりませぬ。小競り合いで終始優勢に立っている以上、いずれ里見の配下から調略に応じる者が現れる…と踏んではおるのですが…。」
「まあ、妥当な策だな。陸でも武田や佐竹の相手で手一杯だってのに、水軍に銭や人手を集める訳にもいかねえ…それで?関白が天下の軍勢を率いて小田原を囲み、北条を攻め滅ぼすってのは本当か?」
ある意味本題に入った事を悟り、氏規は小さく頷いた。
「『潮風』にいわく…関白大軍を以て小田原を囲う、相模守は一戦を望むも、左京大夫は軍門に降る。北条の嫡流は絶えるも、坂東は泰平に至る…と。」
「成程…今の所、大軍を率いる関白なんざ存在しねえ。その上、相模守がこのザマじゃ…一戦を望む所じゃねえな。」
「それゆえ、御屋形様(氏政)が跡継ぎに『左京大夫』を譲り、『相模守』になられてからの事ではないか、と…。」
努めて冷静に回答しながら、氏規は内心で、氏康の反応に怯えていた。
いっそ現実味が無いと笑い飛ばして、安らかに浄土へと旅立ってもらいたい。
だが、衰えた体とは無関係にはっきりしている頭脳は、そんな楽観には走らないだろう。
「だが俺は…例え日の本中の軍勢が掛かって来たとしても、北条は滅びねえと思うぜ。」
氏規の予言をある意味では肯定し、ある意味では否定する言葉に、氏規は目を見張った。
「俺の息子や娘達はどいつもこいつも諦めの悪い連中でなあ…どんな苦境に陥っても勝ち筋を見出だそうとする。そんな奴らが、小田原を囲まれて嫡流が絶えた『程度』で諦めるとは…とても思えねえ。」
「…仰せの通りにございます。この助五郎、どこの誰が相手になろうとも…きっと北条を守り抜いて見せまする。」
氏規が丹田に力を入れて宣誓すると、氏康は屈託なく微笑んだ。
「いつまでも腹の底が見えねえ、ぼんやりした野郎だと思ってたが…すっかり一廉の武士になりやがって。…重ねて礼を言う。立派な大人になってくれて、ありがとうよ。」
数日後、突然氏規から手紙を受け取った三浦の水軍は、急遽出撃し、浜辺に停泊していた里見水軍の軍船多数を焼き払う事に成功する。
それは氏規が氏康に捧げた、餞と言うにはあまりに派手な灯火だった。
氏規が有能な家臣に権限を委譲していたという証拠は全くありませんが、管轄地域も任務内容もバラバラな職務を同時並行でこなしていたという事実からすると、そのような組織運営を行っていたのではないかと思われます。
『軍配者』は少なくとも戦国時代の一定時期まで本陣にいた専門職で、日時や方位などの吉凶を占っていたそうです。