#048 北条氏康の遺言(氏政編)
北条氏康の人生が、いよいよ最終章に入ります。
戦国北条びいきだからこそ、終わり際もしっかり描写していきたいと思います。
「単刀直入にお伺いいたします。置文(おきぶみ=遺言)はいつ認められるお積もりにございますか。」
北条氏康が結と面談して数か月が経ったある日、見舞いに訪れた息子――新九郎氏政は父親にそう切り出した。
「何でえ出し抜けに…言ってなかったか?俺は置文を残す積もりは無え。」
「お戯れを…早雲殿は二十一箇条の戒めを、春松院殿(氏綱)は五箇条の置文を遺された。その跡を継いだ父上も、後裔への置文を遺されるのが道理にございましょう。」
滔滔と言葉を連ねる氏政に、氏康は寝たきりの状態で、鼻を鳴らして応じる。
「成程、確かに…早雲殿も春松院殿も立派なお言葉を遺した…これ以上無い程、な。それに下手な事を付け加えた所で、蛇足にしかならねえよ。」
「何を仰います。天下無双の覇主とまで称されたお方の言葉が、父祖に劣る事など有り得ましょうか。」
「よせ、こっ恥ずかしい…何年前の話だ。…どうしてそこまで置文にこだわる、本心を明かしてみな。」
実父の眼力にしばらく耐えた氏政だったが、やがて観念したように口を開いた。
「拙者が北条の家督を継いで十年あまり…されど、その功は歴代の父祖に比べてあまりにも僅少、痛恨の極みにございます。この上は父上の置文を拠り所に戦や政の采配を振るいたく…。」
「だったら無用の心配だ。お前は名実共に北条の当主…万事ソツなくこなしてる。大局を見極め、入念に布石を打ち…情に流される事無く最善の手を選ぶ。…その時その時の世情に流されて右往左往してた俺とは大違いよ。」
「謙遜も程々になさいませ…河越夜戦にて、雲霞のごとき大軍を蹴散らしたお方が、そのような…。」
「確かにあれは僥倖だった…あそこで天運を使い過ぎたのかも知れねえ。上杉や武田との戦で勝機を掴み損ねた事が何度あったか…博打の勝ち過ぎは良くねえと言うが、戦で『程よく負ける』なんて芸当が出来る筈も無えしな…。」
皮肉げに笑ってから、氏康は再び氏政を睨みつけた。
「なあ新九郎…お前ももう、妻も子もある身じゃねえか。坂東随一の領国を従えて、その上で越後勢(上杉)や甲州勢(武田)と渡り合うってのは並の武士じゃ務まらねえ。俺でも出来るかどうか分からねえ事をやってるってんだ、何を不安に思う事がある?」
反射的に何か言おうとした氏政は、何も言えずに口を閉ざし…ややあってから重々しく口を開いた。
「上総介(氏真)殿を見るにつけ、思うのでございます。もし兄上が…天用院(氏親)殿がご存命ならば…北条はとうに関八州の主となっていたのではないか、と。父上とて天用院殿を殊の外寵愛されていた筈…。」
「だから…何年前の話をしてんだお前は。」
呆れたように言うと、氏康は少し目を閉じ、沈思黙考した。
「…二年前の五月だったか、朱印問答があったのを覚えてるか?」
「は…父上が伝馬の手形に捺すべき朱印が、『常調』ではなく『武栄』であった事を拙者が咎めた、あの…?」
氏政が即答すると、氏康は苦笑した。
「伝馬手形に用いる朱印は『常調』ってのが通例…にもかかわらず、手前の名で出すなら『武栄』で構わねえだろうと掟を破った親父がいた訳だ。」
「…その節は…。」
「お前の言う事には筋が通ってた…物ぐさで行き当たりばったりの先代より頼りになると、領民どもも喜んでるだろうよ。…もうすぐ、武田との戦も終わるだろうしな。」
何気なく付け加えられた一言に、氏政は生唾を飲んだ。
「ご存知だったので?」
「隠居爺にもそれなりに伝手があってな…だが、そうでもなきゃあ気付かず仕舞いだった…謀でも俺を超えたんだ、誇りに思いやがれ。」
「されど、このままでは…あまりに親不孝。何卒拙者に何事かお命じくださいませ。それを以て、父上へのご恩返しとしたく存じます。」
「律儀だなあ…武田と和睦するなっつっても守れやしねえだろうに…だが、そうだな…結の奴が十年二十年先を見通せるって話はしたか?」
「…桶狭間の戦いと徳川三河守(家康)の改姓を予見した、とは聞き及んでおりますが…。」
瞬時に冷徹な戦略家の顔に戻った息子に、氏康は満足げに頷いた。
「今から二十年の内に…関白秀吉が天下の大軍を率いて小田原を囲み…北条を攻め滅ぼす、だとよ。秀吉ってのがどこの誰か、関白が兵を率いるのは何故か、分からねえ事も多いが…頭の片隅に入れといて損は無えと思う。」
「…今川の一族郎党を今後とも蔑ろにすべからず、と?」
「俺がお前に最後に頼める事っつったらそれくらいだ。ああそれと…余生を憂い事少なく過ごす要点を教えてやる。」
僅かに身を乗り出す氏政に、氏康は悪戯っぽい笑顔を向けた。
「手前より優れた跡継ぎを育てて、早々に家督を譲っちまえ。そうすりゃ後は屋敷で道楽三昧よ。少なくとも、俺はそうして過ごしてきた積もりだ。」
「…成程。されど、拙者がその境地に至るには…まだまだ時がかかりそうにございます。」
「つくづく律儀だなあ、お前は…。」
そう言って氏康が笑うと、つられたように氏政も笑った。
氏政の不器用な笑顔の片隅で一筋光るものがあったが、氏康はそれをあえて見なかった事にした。
戦国北条氏歴代当主の中でも、戦国武将を取り扱う書籍でピックアップされる事が多いのは初代早雲と三代氏康です。
早雲は関東に地盤が無い状態から独立勢力になった経緯が、氏康は河越夜戦を始めとした武功が目立つようです。
率直に言って、氏政は派手なエピソードも無く、家を滅亡させたという汚名を免れるのは困難です。
ただ、有名な汁かけ飯のように、若い頃から資質を疑われていたというのは間違いだと思います。
ではなぜ『戦犯』になってしまったのか、という疑問に答えられるよう、最後まで執筆したいと思っています。