#043 別れの時は近づいて(前)
いよいよ拙作の第一章が終末に向かいます。
物語はまだまだ続きますが、北条氏康という、ある意味主人公以上に造形に気を使ったキャラクターの退場をもって、一旦の幕引きとなります。
あと十話ほどで一区切りとなる予定です。
元亀二年(西暦1571年)七月十八日 相模国 早川郷
「結…大事無いか?」
自宅の縁側から小田原城の方角を眺めていた私は、五郎殿の声に振り返った。案に違わず、五郎殿は白い喪服に身を包んで、私に心配そうな眼差しを向けていた。
いや、喪服を着ているのは私も一緒だ。何せついさっき、葬儀があったばかりなのだから。
「お心を煩わせてしまい、申し訳ございません。少し…思う所がございまして。」
室内に向き直ろうとする私を手で制して、五郎殿は私の隣に腰を下ろした。
「まずは重畳…と言って差し支えなかろうな。曲がりなりにも執り行う事が出来た…御黒木様の三回忌法要を。」
御黒木様。
五郎殿の実父、義元殿の義母にあたる寿桂様の妹であり…寿桂様亡き後も私の仕事をサポートしてくれていた女性。
五郎殿が、盟約を破棄して駿河国に侵攻した武田勢の迎撃に失敗し、駿府の放棄、掛川城への後退を決めた際も、老体にムチ打って付いて来てくれた。
そしてあの籠城戦を乗り越えて、私達と共に北条の勢力圏へと退避した矢先に体調を崩し…そのまま亡くなった。今日はあれからちょうど二年…三回忌に当たる。
「権大納言殿の書状は読んだ。世が世なら、駿府で法要を執り行い…自身も参列したかった、と。されど、京でも法要を執り行われるとの事…きっと御黒木様も草葉の陰でお喜びであろう。」
「左様…にございますね。そう願わずにはいられません。」
権大納言…正二位、山科言継卿。
京在住のお公家様だがフットワークが軽く、(主に朝廷の金策のため)地方大名を歴訪していた時に知遇を得た。…御黒木様の義理の息子でもある。
「近頃の天下の情勢は実に目まぐるしく…。」
そこで五郎殿は言葉を切って、私の顔を覗き込むように身を乗り出した。
「やはり気にかかるか。相模守(氏康)殿の容態が…。」
黙って頷く。四月の『家族旅行』の直後、父上が体調を崩してからずっと…私は父上と顔を合わせていなかった。
意識の混濁や吐血といった分かりやすい症状が出なかったため、様子見に徹する他なかったのだが…寝床から起き上がるのも辛くなったと聞いて、越庵先生を派遣した所、ショッキングな診断結果が返ってきた。
「相模守殿の臓腑に腫れや痼りが出来ております。ここまで広がっていては、それがしでも手の打ちようがございませぬ。薬で痛みを和らげる事は出来ますが…長くはないかと。」
…多分、癌の全身転移だ。
越庵先生は戦国時代でも頭一つ抜けた名医だが、現代医学でも『完治』が難しいものを、輸血も全身麻酔も抗癌剤も抜きで治せるとは到底思えない。自然、治療方針は現代でいう所の(多分)終末医療――漢方薬で症状を緩和しながら、死期を待つ方向で落ち着いた。
だが、そんな事情を考慮してくれる程、武田信玄は甘くない。こうしている間にも、北条領のあちこちに神出鬼没の攻撃を仕掛けて来ており、氏政兄さんはその対応に追われている。
代わりに小田原城の警備を任されたのが、お馴染み北条の遊撃隊長、氏規兄さんだ。現状、元々小田原城で暮らしていた母上と義姉さん達、そして氏規兄さん以外は、父上との面会を厳しく制限されている。…つまり、私はこの数か月間、父上の顔を見ていない。
正直、それをありがたく思う部分もあった。病に蝕まれ、弱り切った父上の姿を見ずに済むのだから。
そう自分に言い聞かせながら、気が付くと小田原城の方角を見る日々を送っている。
「…お梅と話して参ります。侍女頭の引継ぎについて、詰めて来なければ…。」
差し当たりの用件を言い訳のようにして、私は小田原城を背に立ち上がった。
後ろ髪を引かれる、という慣用句を、身をもって味わいながら。
北条氏康の直接の死因が何だったのか、調べた限りでは分かりませんでした。
精神に異常をきたしていたという記録が見当たらなかったため、癌という設定にした次第です。




